12 薬舗は要塞
「………はぁ~………」
「王太子殿下」松川柾耶は、「敬愛する兄」こと竹丸の愛の巣となるはずだった薬舗で解放感に悶えていた。ランタルニアの図録を抱えながら、結い上げをほどきボサボサの髪型になって、全身で喜びを表し転がっている。
元来、柾耶は王の息子として申し分のない品行方正、頭脳明晰な男子で、加えて容姿端麗でもあった。
しかし、彼をつけ狙う者どもの殺意から守ってもらうために敬愛する兄から殺意を向けられるという混沌に倦み疲れてしまって、敬愛する兄からの休暇の申し出に、ここ絶対要塞たる薬舗に籠城させることと引き換えに、一も二もなく頷いてしまった。
「玉子焼美味しかった。毒の心配のない温かい飯最高だった………。嬉しそうにしちゃったから、三回は死ねるぐらいの殺意漏れちゃってたけど………。」
……すぅ…………すぅ…………
王太子殿下は虚な目のまま、寝落ちてしまった。
・・・・・・・・・・
これこれ、危ないよ。池に落ちてしまう。
おじさん、かんざし、みなかった?あおい、ちいさいの。
さあ、みてないよ。とにかくお帰り。ほら、手もこんなに冷たい。
ちいさいかんざし、あれしかないの。みんなおおきくておもいの。
じゃあ、これをあげよう。おじさんのだから少し大きいけれど、軽いからね。
ありがとう。あたまがおもくない。おっこちてこなくてごはんもたべやすい。
いつもひとりなのかい?お友達は?
おともだち?なあにそれ?
・・・・・・・・・・
(っ簪!……お気に入りなのに、どこへ置いた?まあ、気にしなくてもこの部屋のどこかか。それにしてもあの簪、軽いし、柔らかく光る黒が素敵で細工もいい逸品だ。瑛都中探してもそれらしき品はないし、よくもあんな品を軽々くれたものだ。)
お気に入りの簪をもらった日の夢を見て、くれた人はどんな顔だったか憶えていないことを残念に思う。
柾耶は王太子として物には不自由せず育ったが、父も母も子を膝にのせてあやしてくれるような身分ではなかったので、使用人から傅かれるだけで寂しく過ごしていた。
もうすぐ六歳という頃、ある日の夜とても優しそうな老人が玩具を持ってふらりと柾耶の自室に訪れた。彼はその玩具で柾耶が満足して眠ってしまうまで遊んでくれた。度々現れる彼を心待ちにするようになった頃、外に出ようと誘われた。昼ならいいよ、と言うと困った顔で、簪をくれた人が待っているがどうか、と聞かれた。会いたいというと、頷かれたが、また来るよといって急に立ち去ってしまった。
そんななか、父柾史とその側用人紫矢が連れてきたのが竹丸である。髪も眼も鱗もよく似た色の活発そうな男の子だと思った。柾耶を可愛がり、なにくれと世話を焼いてくれた。武術も勉学も教えてくれた。父よりも身近な竹丸は、たちまち柾耶にとって「敬愛する兄」になった。
そんな兄が長年の恋を実らせ手に入れた幸せを犠牲にして自分を守ってくれている。
有り難くも辛い……。
愛しい人に近寄る男に向ける殺意を鋼の精神で抑える兄。漏れているけれど。漏れた分だけで十分死ねそうだけれど。
柾耶の父、柾史は祖父柾太郎と折り合いが良くない。父は祖父をランタルニアかぶれの道楽者と罵るが、柾耶は祖父をを尊敬している。交易を活性化して外貨を稼ぐのも、施療院を建て医道を進歩させたのも立派な功績だと思っている。
祖父が施療院を建てようと思いついたのは、彼が城下へのお忍びを趣味としていたためであり、祖父に憧れる柾耶もまた、城下へのお忍びを無上の楽しみとしている。
護衛兼従者の竹丸は、柾耶と四つしか歳が違わないこともあり、年若くも凄腕忍者であった彼は、彼の父に許しを得ると、射的場やら、神殿の裏やら大人であればあり得ないような場所も含めて、ありとあらゆる自分が面白いと思った場所に連れて行ってくれた。
お陰様で、柾耶は瑛都の隅々まで知り尽くしている。ちょっとした忍者稼業ができると思う。
柾耶が薬舗で微睡んでいると、親友の声がした。
「あれぇ、お留守?」
柾耶は飛び起きて外へ出て、親友を捕まえた。
久しぶりに会った親友は去っていったときの余所余所しさは消え、いつもの親友だった。口には出さないが、戻ってきてくれるつもりらしい。手応えを感じた柾耶は待つことにした。
(嬉しい。最高の贈り物だ……。)
伊織はハンスと一緒だった。柾耶は二人を招き入れ、ハンスが永住を考えていて、伊織が邸を探していることを知った。柾耶はその件は紫矢に通そうと二人に請け負った。
竹丸と倫子が大湊に行って繋路石を置くようだと言うと、ハンスは微笑を深め、頷いていた。
「ところで、こちらの薬舗ですが、矢が飛んできたりしたときに防げませんな。お渡しした石になかったようで申し訳ございません。楠瀬殿がいれば問題ないでしょうが…。」
ハンスがいつの間にか険しい顔になってそう言ったとき、部屋の壁が消え、代わりに豪奢な執務机のある部屋になり、倫子と竹丸とかなりの荷が現れた。
「これはこれは。御邪魔致しております。いやぁ鮮やか。よく、あの小石で壁ひとつ分綺麗に繋げましたなぁ。ランタルニアでしたら、まぁ人ひとり分くらいの円形の穴が開くのですよ。そもそもこんな遠いところを繋げないのですがね。」
ハンスが破顔一笑して言った。
「流石は大きなマギー力ですな。少し失礼致します。壁を拝見致したく。…ほぉ、これは。小さいほうにピタリと合っていますな。大湊の壁の両端を残す形で。倫子殿はよほど薬舗を思い浮かべてマギーを発動なさったらしい。これは重畳。マギーを発動させるときは、できるだけ正確に欲しい結果を考えられますと、失敗なく綺麗に発動できますぞ。」
ハンスが壁から離れて戻ろうとすると、コツッと軽い音がして、ハンスの足が何かを弾いた。
「おや。殿下、簪が落ちていますぞ。」
ハンスが柾耶に手渡す。
「よく私のだと分かるな。」
「それはワタクシがランタルニアから運びました石で作られておりますので。木からできた石でしてな、黒くて軽く、柔らかく光ります。その石にしては珍しく大きなものを、先王陛下が所望され、数本簪に仕立て上げられましたのでよく憶えてございます。」
「なるほど。探しても売っていないわけだ。由縁を知りたかったところだ。礼を言う。」
「御存じなかったので?」
「見知らぬ者からもらったのでな。」
「左様でございますか。お役に立ててなによりでございます。」
ハンスは「人だけではなく侵害するもの全てを排する」文様に改めるべきことを四人に伝え直し、石が無いので紙に文様を描いて届けますと商館へ去っていった。
ハンスから文様の描かれた紙が届く。見慣れない鳥がそれを入れた筒を掴んで飛んできた。
「うわぁ、鷲、初めて見たっす!大きいっすねー。」
「商船の上を結構飛び交ってるぞ。手紙を運ぶっていうより遊ばせてるんだけどな。」
鷲は竜舞国では内陸の奥深くの山々にいて、瑛都で見ることはない。
「そろそろ暗いから烏くらいにしか思わなかったろうが、昼なら大騒ぎだな。」
「ははは、確かに。じゃ、これ。倫、頼む。」
倫子は紙を「侵害者除外石」と「盗難守護石」の隣に置いて、石と同じように力を込める。文様がキラと光ったような気がすると、「侵害者除外石」が割れた。
「力込め過ぎた?」
「まぁ、この紙の文様は「侵害排除」を意味するので、効果が重なるところがあり、要らないから割れたんでは?んん…でも力が溢れたからこそ石が応じた?ハンス殿に聞きますね。」
「鷲で聞け。待ってるぞ、鷲。返事もらえって言われてるみたいだな。俺の伝達鳥よりいいなあ。」
「そうするっす。あ、伝達鳥みたいな魔道の術もあって、それ使えばいいんじゃないすか。」
「魔道?」
「ハンス殿に言われて僕が考えたんです。名づけの心は聞かないで欲しいんすけど、マギーのことです。マギーって言ってたとこを魔道にする感じです。」
伊織が文を認めながら柾耶に応える。
「聞かないでと言われれば、聞きたいな」
「はい、文、書き終わりました。またにしてください。倫子さん、良かったら使ってみてください。ハンス殿は、繋路石みたいに、ランタルニア語のままでなくて竜舞国の言葉にしたら倫子さんの制御が格段に良くなったって言ってましたよ。」
伊織は柾耶をかわし、筒に文を入れて竹丸に渡した。
「俺かよ。ちゃっかりしてんな、伊織。ちょっと大きくて怖いんだろ?……ほぉら、これ食うか?…ご苦労さん。行ってくれ。」
鷲は竹丸から餌をもらうと筒を掴んで戻っていった。
「なあ、伊織、じゃ、マギー力はなんて言うの?」
「魔道力とか魔力とか。」
「魔力!言いやすいけど。ハンス殿、時々発動とか魔力を入れるっていうとき、詰まる気配がするんだけどなんで?」
「マギーを掛けるって言いそうだからでは。マギーとかマギー力を水みたいに考えてるそうっす。」
まぁ、倫の言いやすいのにしよう、と竹丸は呟いた。
薬舗に伊織と柾耶を残し、倫子はいつもどおり竹丸に家まで送り届けてもらった。




