第13話「誓いの鐘」
王宮の奥、花婿控室。
重厚な軍装のような正礼装に身を包み、じっと扉の向こうを見つめる。
周囲では侍従が礼服の皺を丁寧に伸ばし、騎士たちが最終確認に余念がない。
だが俺の意識は、そこにいる誰でもない一点……彼女にだけ向かっていた。
……いよいよだ。
今日、あの人は俺の妻になる。
結婚式前日に新郎新婦が顔を合わせることは不吉とされるという古い慣習がある。
必死にそれに従ってはいるものの、昨晩から何度も会いに行ってしまおうかと心が揺れた自分を止めるのは難しかった。
セシルのためにと早めに整えたこの日。
彼女はその期待に応え、完璧にお妃教育をやり遂げてくれた。
胸の奥に湧くのは、誇りと安堵と、言葉にしがたい愛惜だ。
ずっと夢見て、数えきれないほど心の中で呼び続けたリエルを、ようやく隣に迎える日だ。
諦めかけた夜もあった。折れそうになった瞬間もあった。
それでも今日、ここに立てている自分のすべてが、いま報われる。
ふと、指先に触れた感覚で、無意識にあの日の契約書を思い出す。
王宮で血判を押した瞬間、クローバー家の側から光が走り、名前が重なった……あのときの冷たく光る刻印の感触まで思い出す。
……これでもう、どんなに運命が揺らごうと、彼女は俺のものだ。死んでも離さない。離すつもりもない。
侍従の低い声が現実へと引き戻す。
「殿下、まもなくご出立のお時間です」
俺はわずかに目を閉じ、深く息を吐いた。
彼女の姿を思い描く。
無防備な自室での素顔、気さくに街を歩くときの庶民めいた服装。
幾度も見たドレス姿。だが今日しか見られない、ために用意された特別な装い……きっと、この世のものとは思えないほど美しいだろう。
リエル……もうすぐ、君に会える。
大聖堂の高い扉がゆっくり開くと、朝の光が一斉に差し込み、会場に澄んだ空気が満ちた。
無数の視線が一斉に私に注がれる。王族の列席者が最前列に並び、その背後には高位貴族がずらりと並ぶ。
煌びやかな礼服やドレスの色彩は、ステンドグラスの色と溶け合い、まるで夢の中の舞台のようだ。
楽師の調べが静まると、神官が厳かな声で結婚の誓約を告げる。
私は純白のドレスを纏い、長いベールを垂らしたまま、一歩一歩バージンロードを踏みしめる。
冷たい大理石の床が静かに足裏を伝い、緊張が一つずつ身体に染み込んでいく。
やがて祭壇の前、待つエドの姿が視界に入る。
金糸を織り込んだ軍装風の正礼装に身を包み、真っすぐに私を見据えている。
その眼差しは、冷静な仮面の奥に燃えるような情熱を隠しきれず、胸が強く跳ねる。
侍従に導かれ、私は彼の隣に並ぶ。神官が巻物を広げ、古い言葉で誓約を読み上げる。
「……死が二人を分つまで、互いに支え合い、運命を分かち、王国の未来を共に築くことを誓いますか」
「誓います」
エドの低く澄んだ声が堂内に深く響く。やがてその視線が私に向けられる。
エド。私には相変わらず、大それた言葉を真正面から受け止めるだけの覚悟はない。
だけど、お前と一緒なら、少しは頑張れそうな気がする。
だからここで誓うのは、国でも神でもなく……お前にだけ、だと。
「……誓います」
その瞬間、堂内が一瞬ざわめき、厳かな鐘の音が大きく鳴る。
続いて指輪の交換が行われる。
侍従がそっと運んできた小さなクッションの上には、王家に伝わる二つの指輪が静かに並んでいる。
宝石は控えめに、小さなサファイアが中央で静かに光っている。
エドが私の手を取る。彼の指先は温かく、ふと肩が震えるほどの熱を感じた。
躊躇うことなく、これまで空席だった左手の薬指に指輪が滑り込む。
そして今度は、エドの指に指輪をはめる番だ。
この手に触れるのは、いつ以来だろう。
大きくて頼もしい。いつも私の手をすっぽり包み、時にぎゅっと抱きしめ、髪や頬にそっと触れてくれる。
この世界で私に触れることが許されている、唯一の手。
「大丈夫。うん」
自分に向けた弱い返事を心の中で繰り返す。
エドの顔をちらりと見上げると、彼の表情がふっと柔らぐ。
王太子妃なんて柄ではない自分でも、目の前の彼の妻になら、なれるような気がした。
エドの左手の薬指に指輪をはめた瞬間、柔らかな光が二人の手を包み、淡い魔法の紋がゆっくり浮かび上がる。
「!!?」
彼はわずかに口元を緩め、私にだけ聞こえるくらいの小声で囁いた。
「大丈夫。王家とクローバー家の縁を示す加護の証だ」
……だからさぁぁぁっぁ!!
なんでこういうの、誰も事前に教えてくれないんだってばぁぁぁ!!!!
もう、これって別にもっと凄い誓約とかが隠れてるんじゃないかって、不安がぐるぐるするんだけど!!!
堂内に大きな拍手が湧き起こる。私はまだ少し呆然としながら、隣のエドを横目で見た。
「……リエル、愛している」
心臓の高鳴りを必死で押し隠し、祝福の拍手に包まれて私は立ち尽くしていた。
拍手の余韻が消えかけた頃、誰かの温もりが伝わる。
エドの手がぎゅっと私の指を強く握り返す。それは言葉以上に確かな約束の重みを感じさせる仕草だった。
私は呼吸を整え、ゆっくりと目を閉じた。
ドレスの裾が床に触れる感触、花の甘い香り、誰かが囁いた祝福の声……そのすべてが胸に積み重なり、これから始まる日々の重さと幸福がじわりと押し寄せてきた。
エドの瞳を見て、私は小さく笑った。それだけで、もう迷わないと自分に言い聞かせた。
これが、私たちの始まりだ。本当に、きっとそう。
結婚の誓約と指輪交換を終え、神官の言葉が静まり返る。
玉座に座していた国王がゆるりと立ち上がったその瞬間、大聖堂にぴんと張り詰めた空気が走る。
「ここに、アストリア王国第一王子エドガー・ルクス・アストリアと、クローバー公爵家令嬢アリエル・C・ラバーの婚姻を認め、アリエルを正式に王太子妃とする」
堂内いっぱいに響き渡る王の声。王族も貴族も一斉に立ち上がり、深々と頭を垂れる。荘厳な鐘が再び鳴り、扉の外からは民衆の歓声が轟いた。
……ちょ、待って。今さらっと言われたけど、私もう『王太子妃』になっちゃったの!?
あぁ……さっき『誓います』って言っちゃったから、もう契約解除とかできないんだよな……?
うわぁぁぁ……完全に既婚者じゃん!
あれ、もしかして名前変わってるのかな?『アリエル・ルクス・アストリア』になってる?
……慣れないんだけど。夫婦別姓とか、この国にあるわけないよなぁ、絶対。
横に立つエドがわずかに口元を綻ばせ、私の手をぎゅっと握る。その仕草が『逃がさない』と告げているようで、胸の奥がゾワッとするような感覚がする。
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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ
※本作には、この物語の前段階にあたるお話しがあります。
ご興味のある方はそちらもご覧いただけると嬉しいです。
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