第8話「后妃の冷たい微笑み」②
「殿下、アリエル公爵令嬢。こちらへ」
案内役の声に促され、私たちはゆっくりと進み出す。
白い大理石の回廊に、二人分の靴音が重なる。
裾を揺らしながら歩くたび、胸元のサファイアが朝の光を受けて淡くきらめいた。
凛とした空気の中で、指先まで緊張している自分を意識する。
礼拝堂の重厚な扉が近づくにつれて、周囲の空気が一層張り詰めていく。
王と王妃、そして王族たちが揃い、やがて国中が祈りを共にするその場へ。
隣を歩くエドは、何も言わずに前を見据えていたが、揺るぎない横顔が不思議な安心をくれる。
整列した王族の列、その中でセシルの隣に見慣れぬ女性の姿があった。
白銀色の髪をきっちりと結い上げ、深い色のドレスを纏った気高い姿。
……あれが、后妃。
王妃が私に微笑みかけるより先に、后妃が一歩前へ進み出た。
「このたびは、ご挨拶が遅れてしまいましたね。体調を崩しておりましたの」
柔らかな声音に、一瞬ほっとする。けれどその瞳の奥の光は、私を値踏みするように鋭かった。
「后妃殿。こちらアリエル・C・ラバー公爵令嬢。……私の婚約者でいらっしゃる」
「お目にかかれて光栄です、后妃殿下」
「……ふふ。なかなか可愛らしい方ね」
后妃の唇に浮かんだ笑みは柔らかいはずなのに、どこか掴みどころがない。
その横顔を見た一瞬、エドの表情がかすかに険しくなった気がした。
「王妃様のサロンにいらしたと伺いましたわ。
機会がありましたら、ぜひわたくしのサロンにもいらしてね」
「ありがとうございます。ぜひ、お願いいたします」
……王様とも、王妃とも、そしてエドとも違う。
『気品』という言葉だけでは括れない、冷たい威圧感を纏った存在感。
これが后妃か。
后妃との挨拶を終えても胸の奥はざわついたままだった。
笑みを浮かべながらも、一瞬も気を抜かせない眼差し。
本当にこの人が、可愛らしいセシルの母親なのだろうか。
そして多分、この人がリリアナを……。
隣に立つエドの気配がわずかに強まる。
ほんの少しだけ私の前に出て歩き、まるで目に見えない盾のように庇ってくれている気がする。
その事実に安堵しながらも、手のひらにはじっとりと汗がにじんでいた。
やがて礼拝堂の大扉が重々しく開かれる。
荘厳な鐘の音が響き渡り、場にいたすべての人々が一斉に静まる。
燭台の炎に照らされた高い天井。
星を象ったステンドグラスからは、淡い朝の光が差し込み、色とりどりの影を床に落としていた。
祭壇の前に立つ聖職者が両手を広げ、低い声で祈りを紡ぎ始める。
「旧き年に感謝を、新しき年に祝福を」
一斉に頭が垂れ、静謐な空気が礼拝堂を満たした。
私も膝を折り、両手を胸に添える。
重なる祈りの声が天へと昇っていくようで、背筋がぞくりと震える。
……私も、今ここに立っている。
昨年の聖夜祭、失意のどん底に突き落とされたアリエルでは考えられなかった。
けれど今は、王太子の隣で、婚約者として。
その瞬間、隣から氷青色の瞳がちらりとこちらを見やった。
目が合っただけで、不思議と胸のざわつきが和らいでいく。
私はそっと息を吐き、祈りの言葉を胸の奥で繰り返した。
ゲストルームに戻ると、侍女たちが慌ただしく立ち働いた。
乱れた裾を丁寧に直され、湯気の立つ温かな茶を勧められる。
やがて全員が一礼して下がると、部屋には静寂が戻り、張り詰めていた肩の力がようやく抜けた。
「……はぁ。緊張で足が棒になった」
椅子に沈み込み、思わずぼやく。
「堂々としていて、誰よりも美しい。……自慢の婚約者で誇らしかったよ」
隣に腰を下ろしたエドの声は低く、それでいて穏やかに響く。
こいつ、どれだけ私に対して評価が甘いんだよ……。
頬が熱くなるのを隠すように、慌てて茶器を口に運ぶ。
「昨晩は何時に寝たの?」
軽い気持ちで尋ねたつもりだった。
ところが返ってきた答えに耳を疑う。
「……4時ごろかな」
「はぁ!?ってことは2時間くらいしか寝てないの!?体力お化けかよ……」
思わず声を荒げると、エドは平然と肩をすくめて微笑んだ。
「隣の部屋にリエルがいると思うと、眠れなくてね」
「……は?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
何言ってんだコイツ……?
私はといえば以前はオペ明けで気絶するように眠っていたけれど、転生してからは『絶対に自分のベッドじゃないと寝れない』タイプだと思っていたのに、気づけば朝までぐっすりだったんだけど?
「睡眠と食事は大切だぞ……気をつけろよ」
ふと口から出た瞬間、自分でも苦笑してしまう。
三日三晩寝ずに不摂生で死んだ医者が言うんだ……説得力ありすぎだろ。と我ながら思う。
「……心配してくれてるのか?」
エドの真っすぐな問いに、一瞬言葉を失い、慌てて視線を逸らした。
「お前が倒れたら、誰が私を養うんだよ?」
「ふ……確かに。その通りだ。じゃあリエルのためにも、もっと気をつけることにしよう」
彼の肩が小さく揺れ、抑えきれない笑みが零れる。
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