第7話「恋と祈りのはざまで揺れる夜」②
「普段は呼んでもないのに顔出すくせに……この五日間、私を放って何してたんだよ」
そう吐き捨てるように言いながら、年越しの祈りに迎えに来たエドの前に仁王立ちして問い詰める。
だが当の本人は、まるで気にも留めない様子で、いつもの余裕の笑みとともに手を差し伸べてきた。
「公務が思ったより立て込んでしまってね」
「ほんとかよ……」
疑わしげに睨んでみても、氷青色の瞳は悪びれることなく静かに光る。
首元には誕生日に贈られた青い宝石のネックレス。
左手には婚約式の指輪。
そして、真紅のドレスに合わせるように仕立てられたエドのタキシード。
……会う時間はなかったはずなのに、いつの間に色合わせなんて打ち合わせしてるんだよ。
その手を取らざるを得ず、馬車に乗り込む。
「今日から明日にかけて、一緒に過ごす時間を確保できて良かったよ」
「明日にかけて……?」
「今晩は王宮のゲストルームを用意してある」
「え!?泊まり!!??」
衝撃で声が裏返る。
転生して五カ月、外泊なんて一度もしていない。
それに、準備だって何もしてきていないのに!
「お泊まりセット!!ガウンとストールがないと寝れな……あっ……!」
しまった。うっかり漏れた言葉を飲み込む前に、エドの表情が輝きに満ちていく。
「愛用してくれているみたいで、嬉しいな」
「~~~っ!!!」
耳元に落ちた囁きに、心臓が跳ね上がる。
「ち、ちがっ……いや、違わないけどっ……!」
火がついたように顔が熱くなる私をよそに、エドは見送りの侍女に向かって淡々と告げた。
「ということなので、ストールとガウン、それに明日のドレスの準備を王宮に頼む」
……っ、言わなきゃよかった!
どうして私、余計なことばっかり口にするんだ!!
馬車がゆっくりと止まり、扉が開かれる。
煌めくシャンデリアの灯りに照らされた石畳の上、ずらりと並ぶ宮廷の侍従たち。
「王太子殿下、アリエル公爵令嬢、ご到着です!」
響き渡る声と同時に、広間へとざわめきが波のように広がる。
エドに差し伸べられた手を取ると、冷たい夜気と無数の視線が一斉に押し寄せた。
さっきまで胸を占めていたのは泊まりへの動揺だったのに、今はもう別の恐怖がのしかかる。
『王太子妃候補』として見られる緊張が、全身を縛り付ける。
「……大丈夫だ」
小さな囁き。氷青色の瞳と目が合い、息を呑む。
何を根拠に言ってるんだよ。
こちとら去年は当直の合間に紅白を見ながら年越ししてたんだぞ。
泊まりの不安と羞恥で頭がいっぱいで、正直、何も考えられない。
祈りだって、まともにできる気がしない。
年越しの祈りと夜会が待つ大広間へと、一歩ずつ進んでいく。
大広間は聖夜祭の華やかさとはまた違い、どこか落ち着いた空気を纏っていた。
金色の燭台がずらりと並び、壁には冬の花が飾られ、楽師たちが柔らかな旋律を奏でている。
『年の終わりを穏やかに迎える』という趣が強く、聖夜祭のような熱気や高揚感はなかった。
周囲に満ちる笑い声や談笑が、まるで遠い世界の出来事のようにぼんやりと耳に届く。
次々と近づいてくるのは大臣や貴族の令息たち。
形式的な挨拶を交わすたびに、背筋がぎゅっと固まる。
けれど、横に立つエドは落ち着き払った微笑を崩さず、自然に会話を引き取っていく。
……いつも通り、堂々としてる。
その姿に少し安心する。確かにエドがしっかりしてくれているから、私は微笑んでいるだけでいいんだ。
『大丈夫』という言葉の意味を実感しつつも、頭の隅ではまだ『泊まりセットが……!』が消えず、一人で赤面してしまう。
「顔が赤いな。……やはり少し熱でも?」
低い声が耳に落ちてきて、思わず飛び上がりそうになる。
「っ、ち、違っ……!大丈夫だから!」
「気分が悪くなったら、すぐに言うように」
納得したように頷く横顔は、わざとらしいくらい穏やかで、それが余計に心臓を騒がせる。
楽師の演奏と談笑が続く夜会も、やがて終わりの気配を帯び始めた。
人々の視線は自然と大広間の奥、祈りの場へと向けられていく。
「これより、年越しの祈りに移ります」
侍従の声が響いた瞬間、ざわめきがすっと鎮まり、空気が一変した。
王と王妃が先に立ち上がり、続いて王族や高位貴族たちが礼拝堂へと足を進める。
私もエドに導かれるまま、大広間を抜けて冷たい石造りの回廊を歩いた。
壁に並ぶ燭台の炎がゆらめき、吐く息は白く揺れる。
……ああ、もうすぐ新しい年になるんだ。
胸の奥で、緊張と期待がないまぜになって高鳴る。
「殿下、アリエル」
歩みを進めていると、兄のユリオスが声を掛けてきた。
かと思えば、一瞬で顔色を変え、エドにだけ耳打ちするように言葉を落とす。
「帝国の皇太子が病に臥せっていると情報が入った」
「……それは確かか?」
小さく頷いた後、ユリオスは何事もなかったかのように、にこやかに笑い
「では、また後程」
そう言って礼拝堂へと先に進んでしまった。
怖……!外交官って聞いてたけど、何その一瞬で表情切り替える芸当。
「エド……?どういうこと?」
問いかけると、困ったように微笑むだけの横顔。
さっきまで『泊まり』で頭がいっぱいだったのに、今は胸の中を得体の知れない不安が覆っていく。
帝国……。お妃教育で習ったことが脳裏をよぎる。
確か王位継承権第一位の皇太子と、第二位の皇女がいるはず。
その皇太子が病に臥せった……いや、きっとただの風邪。そうに違いない。
ユリオスのもたらした情報のせいで、泊まりへの動揺なんて吹き飛んでしまった。
やがて礼拝堂に足を踏み入れると、荘厳な空気が全身を包む。
高い天井、星を模したステンドグラスが夜の光を受けてかすかに輝き、
祭壇に立つ聖職者が低く、祈りの言葉を紡ぎ始めた。
「この一年の恵みに感謝を……来る年に祝福を」
列席者が一斉に膝を折り、頭を垂れる。
静謐な空間に、祈りの声だけが澄んで響いた。
隣に立つエドを横目で見やる。
真摯に目を閉じる横顔は、やっぱり王太子そのもので……
普段の『強引に迎えに来る男』とはまるで別人のように見える。
零時を告げる鐘の音が高らかに鳴り響く。
その瞬間、祈りの声と共に新しい年が幕を開けた。
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