第7話「恋と祈りのはざまで揺れる夜」①
「……っ、エド!」
思わず声を潜めて詰め寄る。
「確かに直前はちょっと体調悪かったけど!変に目立つこと、止めてほしいんだけど!?」
「リエルが気にする必要は無いよ」
エドは肩越しにこちらを見下ろし、平然とマントを直している。
「顔色が優れないように見えたのは本当だしね」
「……っ、それは、その……緊張してただけで……」
声が小さくなる。言い訳が見つからない。
「なら、俺のせいにしておけばいい」
「え?」
「『殿下が無理を言って助けてくれた』とでも思っておけばいいんだ」
悪びれもせず、当たり前のように言ってのける。
その笑顔がズルいんだよ!なんでそんな顔して当然みたいに言うの!?
再び会場へ。エドに導かれ、玉座の前へと進む。
膝を折ると、王の低い声が響いた。
「よく参ったな、アリエル」
「楽しんでいらっしゃる?」
「はい、王妃殿下。身に余る光栄にございます」
王の眼差しは厳格でありながら、どこか温かさを含んでいた。
王妃の柔らかな問いかけに、胸の緊張がふっと和らぐ。
その時、背後から久しぶりに聞く声がする。
「兄上、姉上」
振り返れば、エドによく似た面影を持つ少年……第二王子のセシル。
間近で見ると本当にエドに似ていて、やっぱり『ミニエド』みたい。
可愛い~!って、思わず心の中で叫んでしまった。
同じ王子様なのに、まだ幼さが残っていて、無意識に胸がくすぐったくなる。
ふと気づく。
本来なら隣に並ぶはずの后妃の姿が見えない。
「……あの、セシル殿下。后妃殿下は……?」
恐る恐る問いかけると、王妃がすぐに応じた。
「体調が優れなくて、今宵も控えていただいているの」
その穏やかな声に、場はすぐに落ち着いた。
后妃にはいつ挨拶できるんだろう。
そんなに私に会いたくない理由が、やっぱりまだあるのか……。
大広間の灯りが遠ざかり、冷たい夜気の中へ一歩踏み出す。
雪はまだ静かに舞い降り、吐く息は白く空へと溶けていった。
用意された馬車に乗り込むと、さっきまでの喧騒が嘘みたいに消える。
暖かなランプの光と、揺れる毛布の温もりだけが支配する、閉じられた小さな世界。
「……お疲れさま」
エドがそっと肩にマントを掛け直す。
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた糸が一気にほどけるように、胸の奥が緩んでいった。
「ん。セシルにも会えたし、来て良かったよ」
「セシルか……」
「ふふっ、王太子のくせに弟にヤキモチ妬いてるの?」
軽口を叩いたつもりだった。けれど、氷青色の瞳がランプの灯りを映して揺れた次の瞬間……ドサッと押し倒される。
「当然だろう?俺の婚約者が、こんなに美しいんだから」
至近距離で響いた声に、心臓が跳ね上がる。吐息が重なり、唇が触れるのは必然だった。
「……そっか。なら、しょうがないな」
短く、甘く、安心を込めた口づけ。
一度きりじゃ終わらない。触れては離れ、また触れる。
そのたびに鼓動が重なり、世界が小さく閉じていく。
窓の外には雪。けれど、曇り始めたガラス越しではもうよく見えない。
残されたのは、互いの息遣いと、ぬくもりだけ。
雪の夜を走る馬車の中、まるで世界に二人きりになったような錯覚すら覚えた。
公爵邸に付くと、エドの手を取り馬車から降りる。
けれど、エドは再び馬車の方に戻る。
「え?上がらないの?」
公爵邸に着き、当然お茶でも飲んでいくと思っていたのに。
「その気持ちだけでもらっておこうかな。おやすみ」
「あ……おやすみ……」
あっさりと背を向けるその姿に、思わずぽかんとする。
ほんの数分前まで馬車の中で押し倒してきた人と、本当に同じ人物なんだろうか。
まったく、貴族のルールってやつは、最後まで理解できそうにない。
「……どうすんだよ、読み切っちゃうじゃん」
ページを閉じた瞬間、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような虚しさが広がる。
あれだけ山のように買い込んだのに、結局最後の一冊まで辿り着いてしまった。
もしエドがそばにいたら……きっと、迷いなく『じゃあ本屋ごと抱えてこよう』と言い出すに違いない。
そんな姿が頭に浮かび、思わず口に出しかけて、慌てて唇を噛んだ。
ガウンの袖口に指を沈めると、かすかに残る香りが鼻先をくすぐる。
それだけで、まるで彼が隣にいるような錯覚に陥る。
……ほんと、バカ。いないのに、どうしてこんな気持ちにさせるんだよ。
悔しい。癪に障る。
だったら、今度は私からも贈り物をしてやろうか?
けれど、いざ考えてみると困ってしまう。
王子に贈る物って、いったい何がふさわしいんだろう。
エドは何かを欲しがる素振りを見せたことなんてない。
街に出ても、私が手に取ったものを次々に買い込むばかりで、自分の欲望を口にする姿を見たことがなかった。
服なんて必要な物はすべて仕立ててあるだろうし、宝飾品なんて言語道断。
誕生日や婚約式に贈られたものに張り合える自信なんて、私にはない。
思えば、エドの好きな食べ物も、趣味も、実はよく知らないんだよな。
知っているのはせいぜい誕生日くらい?
あ、でも好きな物一つだけ確実にあるわ。……アリエル。
なんて自意識過剰な考えが浮かんでしまい、顔が熱くなる。
誤魔化すように、横で丸まって寝ているワンワンを抱きしめた。
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