第3話「厳しさと強引な囁きと」②
舞踏教師の腕に手を添え、ゆっくりとステップを踏む。
足は覚えているはずなのに、ぎこちなくて視線もすぐ下へ落ちてしまう。
「胸を張って、呼吸を合わせなさい」
呼吸を合わせろって……言われても!ダンスの呼吸ってか!?
こっちは通常の呼吸で精一杯なんですけど!?
なんならお前が私に合わせて来いよ!!
意識すればするほど肩が固まって、余計に動きがぎこちなくなる。
何度も繰り返して、ようやく一曲を踊り終えた。
「……形はできております。しかし殿下と並ばれるには、まだ余裕が足りませんな」
息を切らしながら裾を整える私に、教師は淡々と告げる。
「婚約式の時の方が踊れておりましぞ。あの時のことを思い出して今一度」
余裕なんて持てるわけないって。
だって婚約式は、エドとだったんだもん。
そうだ。あのときは、無理して余裕を作らなくても踊れていた。
エドが隣にいるだけで、呼吸が自然に合って、安心できたんだ……。
大きな手に導かれて、耳元に届いた低い声。
ステップが乱れかけても、強く引き戻してくれた腕の力。
頬が熱くなるのを必死に誤魔化し、深呼吸する。
「次回は、殿下との練習も視野に入れましょう」
「えっ……」
確かに、多分一番多く踊ることになるのはエドだろうとは思うけど。
心臓が跳ねるのを押さえ込む前に、教師はもう次の課題を指示していた。
庭に面した小広間で、侍女たちが紅茶と焼き菓子を並べていく。
やっと休憩だ……と椅子に腰を下ろした瞬間、にこやかにお茶を差し出される。
何度踊らされたことか。
アイドルのダンプラ撮ってんのかよ!?ってくらい踊ったわ……。
「お嬢様、まずは香りを楽しんでから一口、でございます」
香り!?飲むだけじゃダメなの!?
恐る恐るカップを口に運び、熱っ!と心の中で叫びつつも、外側だけは涼しい顔。
「……たいへん、香り高いですわね」
「さすがでございます」
侍女が微笑んで褒めてくれるけど、私は内心ぐったり。
正直、アールグレイもダージリンも区別つかないんだって。
……お茶ですら気ぃ抜けねぇ!
焼き菓子も『端を少しずつ崩すように』と注意され、ナイフを構えながら思う。
絶対、家でやってたクッキー丸かじりの方が楽なんだけど……。
ほんの半刻の休憩も、結局は学びの場。
頭ではわかっているけれど、胃のあたりがじんわり重くなっていく。
王宮の語学室に通されると、分厚い辞書や資料が机に山積みになっていた。
帝国出身の語学教師が低い声で告げる。
「ではまず、帝国語で自己紹介を」
「……えっ、いきなり!?」
慌てて口を開き、必死に舌を回す。
……RとLの発音!これTOEICのリスニングで死ぬやつ!!
頭の奥から、サボっていたはずの記憶がむくむく蘇る。
『ひたすら問題集を解いていた深夜の自分』。
『リスニング音声を2倍速で流し続けた地獄の日々』。
大丈夫、大丈夫……。
これはエドの家庭教師の時にもちゃんと習った。
必死で単語を繋げると、教師が驚いたように目を細める。
「ほう、発音は悪くない。ただし、語彙が古い」
古い!?うそでしょ!?
まさか、留学してない社会人英語みたいになってる!?
その後も外交儀礼のケーススタディが続く。
「視線を合わせすぎるのは失礼。だが逸らしすぎても無礼」
どっちだよ!私の目どこに置けば正解!?
脳みそがオーバーヒート寸前。
必死に口を回し、汗をにじませながら、なんとか一日を乗り切った。
「……本日はここまで。失敗を恐れず口に出すことです。それが上達への近道」
教師の言葉に、私は椅子に崩れ落ちそうになる。
「では最後に、帝国語で『殿下』を呼んでみなさい」
教師がさらりと告げる。
「えっ……」
突然の指示に慌てて口を開く。
「……Sir Edgar……」
舌の動きを意識して発音すると、教師が頷いた。
「悪くない。だが、公式の場で殿下に呼びかけるのなら、もう少し柔らかく、敬意を込めて」
柔らかくって、どうやるのよ!?
必死に言い直してみる。
「……エドガー殿下……」
思わず、声が優しく響いた。
自分でも驚くほど自然で、温かい響きになってしまって、顔が熱くなる。
「うむ。その調子です。その響きなら、帝国の使者も違和感なく受け入れるでしょう」
教師は満足げに頷いたが、私の心臓はばくばく。
ただ名前を呼んだだけなのに、どうしてこんなに……。
……勘弁してよ。
自室に戻るなり、ドレスのままベッドにばたりと倒れ込む。
エドの家庭教師初日と既視感すごいんだが。
私の様子に侍女たちはもう慣れたもので、ため息まじりに笑いながら、慣れた手つきで私をベッドに転がし、手際よくドレスを脱がせてくれる。
マジでゴメン。そして本当にありがとう……。
「お嬢様、お食事はいかがなさいますか?」
夕食か。
でも今日は父とも母とも顔を合わせる気力がない。
「ごめん……今日は自室で。もう、ネグリジェになりたい……」
侍女が微笑んで「かしこまりました」と頷く。
ほどなくして軽い夕食のワゴンが運ばれ、ネグリジェに着替えた私はベッドに腰を下ろしながら、スープをすする。
あぁ……マナーを気にせず食べる夕食って、こんなに幸せだったっけ……。
もう今の姿を見られたら、絶対『0点』とか言われる気しかしない。
エドと結婚したら、ずっとあんな気ぃ張った食事をしないといけないのか?
でも……エドなら。
きっと二人でその日あったことを笑い合いながら、気取らない食卓を望んでくれそうな気がする。
スプーンを持ったまま瞼が落ちそうになる。
気づけば枕に顔を埋め、今日の授業のあれこれを思い返しながら、意識が遠のいていった。
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