あなたといつまでも一緒
この物語は、平凡で穏やかな日々を送っていた主人公が、ある日突然、命に関わる病気を宣言されます。
読者の皆様にとって、この物語が心に響き、少しでも「今」を大切にしたいという気持ちを呼び起こすことができたなら、私はこの上ない喜びです。
ぜひご覧ください。
「お昼のニュースをお伝えします」
テレビから流れるアナウンサーの声が、部屋の静寂を割った。
『四月十五日、未明。二十代の男女が自室で無理心中したもようです。現場の四十嵐さん、お願いします』
画面が切り替わり、青空の下でマイクを握るリポーターが映る。
「はい、こちら現場です。現在、建物の前にはブルーシートが掛けられており、中の様子は確認できません。警察関係者によりますと、二人は寝室で亡くなっていたとのこと。また、争った形跡なども見られないようです。現場からは以上です」
アナウンサーの声が再び戻ってくる。
『山越さん、このニュースを受けていかがですか?』
「いやー、最近…」と、山越さんが言いかけたところで、私は無意識にリモコンを押していた。
画面が一瞬で暗転し、瞬間的に目の前が静寂に包まれる。
その静けさが、次第に不安へと変わっていくのを感じた。
夢の中の自分が目を閉じると同時に、現実の自分が、目を開けると、そこにはいつもの自分の部屋の光景が広がっている。
テレビの音も消え、部屋の空気も変わっていた。
ふと、夢だと気づくが、呼吸が荒くなっている。
私は深く息を吸い込み、呼吸を落ち着かせながら呟いた。
「不思議な夢だったなぁ…夢占いでも調べてみようかな」
まだ脳が寝ている状態でベッドを抜け出し、仕事の準備を始める。
頭の中では、あの青空の下でブルーシートが覆う光景がちらついていた。
けれども、現実の自分には関係ないことだと言い聞かせる。
今日もやることが山積みだ。
頑張ろうと思い、身の回りを慌ただしく整えていく。
その時、ふと笑い声が聞こえる。
「こころの朝は相変わらず忙しないね。フリーライターって、働く時間を自由に決めれるはずなのに。」
この憎たらしい言い方をしてくるのは、同居人の奏汰だ。
家事などをやってくれる、いい人なのに、性格が…
そんな奏汰を無視して、用意された朝ご飯を食べる。
「美味しい!さすが、1人暮らししてただけありますね。」
皮肉ぽく伝えると、奏汰は少しむっとした顔で言い返す。
「うるせぇ。お前、ひと言が多いんだよ。」
私の目の前で、同じご飯を食べながら話していると、奏汰は心配そうな表情で、「今日、調子悪いのか?唇の色、悪くないか?喘息の薬、ちゃんと飲んでる?」
と尋ねてくる。
私は、さっと手を振って答える。
「大丈夫!今日は変な夢見てさ…それで体がびっくりしてるだけだと思う」
そう言って、仕事の準備の続きを始める。
「それならいいんだけど」
奏汰は少し安心した様子で言う。
「行ってきます」とだけ言い、急いで家を出る。
無事に取材先の事務所に到着する。
一軒家のような事務所で、ここが本当に取材先で合っているのかと、少し疑ってしまう。
事務所の玄関には、紙が貼られている。
「用がある方は、インターフォンを押してください。」
緊張で早まる呼吸を落ち着かせながら、インターフォンを鳴らす。
「おはようございます。取材依頼を受けた、雨野です。本日はよろしくお願いします。」
ガチャッという音が鳴り、30代くらいの女性が出てきて、中へ案内される。
リビングのような部屋に入ると、男女3人がパソコンをいじっている。
「誰が社長なんだろう?」と思いながら、少しその場で待つことにする。
しばらくすると、隣の部屋から30代くらいの男性が出てきた。
名刺を差し出しながら、
「遅くなってしまい、すみません。社長の青木です。本日は、よろしくお願いします。」
私も名刺を取り出し、
「フリーライターの雨野です。本日はよろしくお願いします。」
名刺交換をし、取材が始まる。
取材が終盤に差し掛かった時、突然、視界が真っ暗になった——
そして気がつくと病院のベッドで横になっていた。
私が目を覚ましたことに気づき、看護師さんが優しく声をかけてきた。
「体調いかがですか、雨野さん。取材中に急に倒れて、救急搬送されたんですよ。今、先生をお呼びしますので、少しお待ちくださいね。」
看護師が部屋を出て行くのを見送りながらため息をつく。
「そうだったのか…青木さんに申し訳ないことしたな。あとで謝罪しに行かなきゃ。」
1人で呟き顔に手をやると、コツンと何かが当たる感触があった。
確認しようと思ったその時、病室のドアが開き、奏汰が入ってきた。
「こころ、大丈夫か?」
倒れたと聞いて心配そうな顔で駆け寄る奏汰。
「やっぱり、呼吸が苦しかったのか?」
泣きそうな表情で、私を見つめる。
その目に、胸が少し痛んだ。
しばらくして、先生が部屋に入ってきた。
先生の顔は真剣そのもので、私は自然と身を乗り出して聞き耳を立てる。
先生は深刻そうな表情で、病状を説明し始めた。
診断は「肺がん・ステージⅣ」
私は、絶望を感じると同時に、やっぱり呼吸が苦しかったのは喘息ではなく、癌だったからなのだと、やるせない気持ちになった。
「雨野さんと似た症例がないか論文を探してみます。それから、専門医に紹介状を送ってみますので、その間は入院していただきます。」
治療法が見つかるまで、入院することになった。
何日かが経過し、人工呼吸器のおかげで呼吸が楽になってきた。
このまま機械なしで生活するのは難しいだろうなと思いながらも、ふと、部屋の扉をコンコンと叩く音がした。
誰だろうと考えていると、担当看護師が部屋に入ってきた。
「失礼します。お休みのところすみません。これからご家族の方と病状説明を行いますので、会議室に行きましょう。」
病棟の椅子に座っていた奏汰が、私に気付き明るく声をかけてきた。
「おはようございます。いつもこころがお世話になっております。おはようこころ!一緒に会議室に行こ。」
部屋に入ると、呼吸器の先生と担当医、看護師など、癌診療チームが待っていた。
自己紹介をしたあと、担当医が少し困ったような表情で口を開いた。
「いろいろな症例や論文を調べましたが、今のところ治療法がなく……あとは、時間を待つだけです」と告げられた。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
きっと奏汰も同じ気持ちだったのだと思う。
担当医は淡々と告げた。
「病院で余生を過ごしても、ご自宅で過ごされても構いません。ご家族の方とゆっくり話し合ってください。」
そう告げると、癌診療チームは会議室を後にした。
残された私たちの間に、重い沈黙が落ちた。
しばらくして——奏汰が小さく息を吸い込み、震える手で私の手を握った。
「……家で暮らそう。俺が介護する。約束だからな。」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。
「うん。ありがとう」
私は手を握り返し、静かにうなずいた。
私たちは、看護師に自分達の家で療養する旨を伝え、担当医から許可を得た。
その後、ソーシャルワーカーからは、訪問看護の手続きを行ってもらい、看護師から人工呼吸器についての説明などを受け、私は自宅で過ごすことになった。
何ヶ月かの月日がたち。
朝日が静かにカーテンの隙間から差し込んでくる。
その暖かい光に包まれると、私は目を覚ました。時計に目をやると、今日は四月十三日。
いつもと変わらぬ日常が、私の前に広がっている。
何も変わらない、そう思った瞬間、ほっと安心する。
今日も、生きている。生きている実感が、私の胸にじんわりと広がる。
ただ、呼吸が少し苦しく、体が重い。
息を吸ってみると、いつも通り機械的な音が響き、私は人工呼吸器がしっかりとついていることを確認する。
そうだ、これがあるから、私は今日もこうして生きているのだ。
その瞬間、奏汰が私の動きを察して、目を覚ましたことを確認すると、静かに近づき、優しく私の頭に手を置いた。
「おはよう、こころ。今日もいい天気だよ。」
私は、思わずその言葉ににっこりと微笑み返した。
奏汰の笑顔が、私にとっては何よりの安心感だ。
奏汰は、いつものように人工呼吸器の状態をチェックする。
病院でもらった資料を広げ、機械が適切に動いているか確認している。
目を細め、満足そうに頷いた。
「うん、今日も順調みたいだね。」
その後、奏汰はカーテンを開けるために立ち上がる。
シャーとカーテンを引く音が部屋に響き、明るい日差しが私のベッドに差し込む。
暖かな光に包まれると、どこか心がほっと安らぐ。
「日差し浴びた方がいいよ。」奏汰は言い、キッチンに向かう。
その背中を見送りながら、私は静かに目を閉じる。
やがて、キッチンから漂う美味しそうな匂いが部屋に広がる。
奏汰が作る朝ごはんの匂いだ。
私にはもう、口にすることはできないけれど、それでもその香りを感じるだけで、少し幸せな気分になる。
しばらくして、奏汰は完成した料理をテーブルに運び、私の隣にある椅子に腰を下ろした。
「美味しそうだなぁ。私も食べられたらいいのに。」私は、ぼそっと呟く。
奏汰はにっこりと笑い、私の言葉に応えるように、エンシュア・リキッドをスプーンで一杯、私の口元へと持ってきてくれた。
「しょうがないだろう。今はこれで我慢して。また一緒に食べられる日が来るよ。」奏汰の優しい言葉に、私は少し不満気な表情を浮かべながらも、口を開けて飲み込む。
その後、奏汰は「今日は訪問看護師が来る日だから、準備しないとね。」と言って、私の服を選び始めた。
「こころの今日のラッキーカラーは…」と、彼は携帯を取り出して占いを調べる。
「あ、青だって!こころ、青の服が似合うから、これにしよう。」奏汰は嬉しそうに、海の絵が描かれた前開きの服を手に取った。
その時、ピンポーンとチャイムが鳴り響く。
奏汰は、素早くドアへ向かい、訪問看護師を部屋に招き入れる。
「おはようございます。今日も素敵な服ですね、こころさん。何を着てもお似合いです。」
その言葉に、奏汰は誇らしげに微笑む。「そうでしょ、俺が選んだんだから。」
「仲がいいですね。羨ましいです」と、訪問看護師が笑顔で言ってきた。少し照れながらお辞儀する。
いつものように、奏汰は「俺、仕事に行くから、こころのことをよろしくお願いします」と言い残して、出かけていった。
訪問看護師は、私の身の回りのケアをしてくれ、必要な医療処置を終えると、1時間ほどで部屋を後にした。
夕方になると、奏汰が帰宅する音が聞こえる。「ただいま。今日も仕事が疲れたよ。でも、こころのことを見ると、安心するんだ。」奏汰は、私の顔を見ると、安堵の表情を浮かべた。
私は静かに彼の仕事の話を聞いて、今日もまた、不安を抱えたまま、眠りにつくのだった。
今日も、目覚ましの音が部屋中に鳴り響く。
その音を止める奏汰の小さな動作音が、静かな朝を告げた。
外はまだ薄暗い。
雨音はしないけれど、どこか重たい空気が漂っている。
きっと曇りなのだろう。
時計を見ると、四月十四日の午前七時。
いつもならこの時間には起きているはずなのに、今日は目が重く、体の奥に鉛のような倦怠感が沈んでいた。
「少しだけ…」そう呟いて、私はもう一度まぶたを閉じた。
──次に目を開けたとき、時計の針は午後一時を指していた。
寝すぎた、と思った瞬間、玄関の方からガチャッ、ドドドッと慌ただしい音が響く。
「誰……?」
そう思う間もなく、奏汰が医師と訪問看護師を連れて部屋へ入ってきた。
「先生、こころが全然目を覚まさなくて。何度呼びかけても反応がないんです。」
奏汰の声は焦りに満ちていた。
私は驚きながらも、先生の方を見てペコリと頭を下げる。
先生は優しく微笑んで、「ちょっときつくなってきたかな?」と静かに問いかけた。
訪問看護師が私のバイタルを測りながら、私はかすれた声で答える。
「今日は、目が重くて……少しだるいです。」
先生はサチュレーションや肺の音を確認しながら、静かに頷いた。
「少し酸素の量を増やすね。」
人工呼吸器を調整する音が、部屋に響く。
「ゆっくり休んで。」
そう言い残して、先生は奏汰と何かを話しながら部屋を出ていった。
私に直接伝えてくれないってことは、そろそろ時間なのかな、と1人で考える。
訪問看護師は、私の暗い表情に気付き、優しく毛布を直してくれた。
「こころさん、何か気になることがあったら、遠慮せずに言ってくださいね。無理しないで、ゆっくり休んでください。今日は雨も降るみたいですし、少しでもリラックスできるようにお手伝いしますから。」
私は、笑顔で頷いた。
訪問看護師が部屋を出ていき、再び部屋が静かになった。
私は再び、意識の底へ沈んでいった。
──次に目を覚ますと、外は静かな雨。
ポツポツと窓を叩く音が、夜の静けさを際立たせていた。
時計は午後十一時五十分を示している。
体が重い。
視線を向けると、奏汰が私の上に覆いかぶさるように抱きしめていた。
彼の体温、汗の匂い、鼓動──そのすべてが、私の中に溶け込んでいく。
奏汰は、私との思い出を語り始めた。
「初めて、こころと会った時は確か学生の頃だよね。俺、緊張して会話噛み噛みだったよね。そこから…」
この瞬間が永遠に続けばいいと、心のどこかで願った。
そのとき、奏汰はそっと人工呼吸器を外した。
「……ありがとう、こころ。思い出いっぱいあってまだまだ話し足りないな。」
彼は微笑みながら静かに言った。
「一緒にあの世へ行こう。俺が行くまで、隣で待ってろよ。約束だからな。そして、来世でも一緒になろうな。」
私は、涙を堪え微笑んだ。
「こちらこそ、ありがとう。もちろん。ずっと一緒だよ。」
そして──
ーーぐさ。
意識が遠のいていく。
奏汰との思い出が頭の中を駆け巡る。
今度は、病気にならずあなたと生涯共に生きたいと強く願いながら。
時計の針が午前零時を告げる音が聞こえる。その音を消すように、もう一度同じ鈍い音が聞こえた。
私は、幸せだった。
だって…
この物語を最後までお読みいただき、心より感謝申しあげます。
この物語があなたにとっても、何か一つでも心に残るものとなったなら、私は幸せです。物語を読み終えた後、少しでも「今」に感謝し、大切にする気持ちが芽生えてくれることを願っています。




