第1話 始まりの事件
その少女の死を知ったのは、職員室で昼食を取っている時のことだった。
龍一は、いつものように手作りの弁当を食べながら、スマホでニュースを追っていた。すると、この「臨海市」で起こった殺人事件に関する見出しが、トップに上がっているではないか。
ほう、と興味を持った龍一は、記事の内容を詳しく読み始めた。
殺されたのは、臨海市に住むインド人少女である。まだ6歳とのことで、その若さに心痛めて眉をひそめた直後、画面をスクロールする指をストップさせた。
そこに書かれていた被害者の名前は、聞き覚えのあるものだったからだ。
「カイラ……⁉」
職員室を飛び出し、スマホで電話をかける。相手はカイラの母親サティだ。自分と同じ26歳のシングルマザー。都心のビッグテックに勤める優秀なエンジニアだと聞いている。この時間は仕事で忙しいかもしれない。普通ならば。
すぐにサティは電話に出た。
すっかり憔悴しきった様子だ。
「ニュースを見ました。まさかとは思うけれど、カイラは……」
『……お察しの通りです』
流暢で丁寧な日本語を使って、サティは返してきた。彼女は常にしっかりした態度を崩さない。今も、努めて気丈に振る舞っているようだ。それでも、泣き腫らした後であろう、声が震えているのは隠しようがない。
「なぜ……?」
龍一の口から、お悔やみの言葉よりも先に、そのひと言が出てきた。どうしても知りたかった。
カイラとは一昨日も会ったばかりだ。いつものインド紅茶店。サティと一緒に来ていたカイラは、人なつっこく、龍一に話しかけてきた。とてもいい子だった。それなのに、なぜ殺されないといけない。
「なぜ……!」
もう一度、同じ言葉を、龍一は放った。今度は疑問の思いよりも、怒りの気持ちのほうが強く入っている。
許せない。あの明るくて優しい少女を手にかけるなんて、悪魔の所業だ。
『私にもわかりません……ただ、私達が憎まれていることは、高峰さんもご存知でしょう?』
言われなくても、龍一はよく理解している。
いまの日本は世界的に見ても、貧しい社会となっている。単純に、物価の上昇と増税が重なっている中、収入は横ばいのため、ほとんどの日本人の生活は貧しい。
その中で始まった外国人に対するヘイト。
龍一が担任を務めるクラスでも、しょっちゅう、排外的な言葉を生徒達から聞いていた。それを注意すると、純真無垢な眼差しで、生徒達はキョトンとした表情でこう返してくる。日本人が日本人ファーストを願って何がいけないんですか? と。
そして、いまヘイトの矛先として特に被害をこうむっているのが、臨海市に住むインド人達だ。
カイラは、そのインド人ヘイトの果てに、殺されたのだろうか。
「さすがに憎いとか、嫌いだとか、そんなことで幼い女の子を手にかけるでしょうか」
『わかりません……ただ、最近も、私の知り合いの小学生が、日本人の中学生達にリンチに遭う事件がありました。死んでもおかしくない暴行を受けたそうです。だから、カイラも、もしかしたら……』
不意に、龍一の脳内に、電流のようなものが走った。
いても立ってもいられなくなり、ちょうどサティもこれ以上話すのが辛そうだったので、すぐに電話を切った。
階段を駆け上がっていき、2-Bの教室へと急いで向かう。
「荒井は、いるか?」
教室に入るなり、中の生徒達に声をかける。ここは、龍一が担任を受け持っているクラス。昼休みも半分過ぎて、すでに食事を終えた生徒達はいなくなっており、七、八人ほどしか中にはいない。
「荒井君はいませんよ。他のクラスの人達とどこかに行っちゃいました」
入り口に近い席に座っている女子生徒が教えてくれる。
「そうか、わかった。ありがとう」
行き先の見当はつかない。荒井はルール無用の少年だ。頭はいいのに、素行は悪い。各クラスの不良達とつるんで、しょっちゅう学校を抜け出して遊んでいる。校内にいない可能性もある。
教室を出てから、廊下の壁にもたれ、ふう、とため息をつく。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
サティの話から「もしや」と思っての行動。小学生のインド人を、日本人の中学生がリンチしたという事件。今回のカイラ殺しに、それと同じ幼稚な残虐性を感じた瞬間、思い出したのだ、自分のクラスの荒井が、前に言っていたことを。
『インド人とか日本からいなくなれよ、って思うんだよね。日本人の仕事をどんどん奪ってさあ』
龍一に聞かれているとは思わなかったのだろう、廊下で、仲間達を相手に、無邪気にそんなことを言っていた。
『俺、今度あのインド人の体臭をかいだら、我慢できなくてぶっ殺しちゃうかも』
もちろん、ジョークで言っていた可能性は高い。本気で人を殺そうなんて、まさか荒井ほどの頭脳の持ち主が考えるはずもない。殺人がどれだけリスクの高い行為か、わからないほど馬鹿では無かろう。
しかし……もしかして……
※ ※ ※
この時から、龍一は荒井を疑い始めた。調べずにはいられなかった。誰がカイラを殺したのか、真相を知りたかった。
そして、すぐに判明した。
カイラを殺したのは我が校の生徒達。荒井を中心とする、外国人ヘイトのグループ。
(なるほど、そうか、君達が殺したのか)
全てを知ったとき、龍一は冷たい怒りを覚えるのと同時に、口元を歪めて笑った。
久々に、腕を振るえる。
(先生は君達をどう殺すべきか)
日々の業務を終えて、マンションへ帰った後、ウィスキーを飲みながら、一人一人の処刑方法を練っていく。
一週間後、計画は出来上がった。
狂った生徒達を罰するための、狂った計画。
ノートに書かれた計画表を見ながら、龍一はクックッと笑い声を上げた。楽しくて楽しくて仕方がない。
五年間、耐え抜いてきた。悪目立ちしていたので、息を潜めて、普通の人間として生活してきた。だけど、それも限界を迎えていた。
やっと誰かを殺すことが出来る。なぜなら自分の中で、殺人のリスクを負うだけの、大義名分が出来たから。
高峰龍一。またの名を「ドクター・フォーチュン」。
彼の正体は、五年前まで日本全土を震撼させていた、狂気の連続殺人鬼であった。