第7話「ツンデレエルフと歩く市場は、出汁より芳醇」
朝の市場は、まるで活気そのものが色を持って弾んでいるかのようだった。
荷車の車輪が石畳をこすり、威勢のいい掛け声が飛び交う。
香草の青い匂いと、炙られた肉の香り、潮風を孕んだ干物の香りが入り混じって、胃袋を刺激してくる。
俺とフィリーネは並んで歩いていた――いや、正確には、ほんの半歩ほどフィリーネが前を歩く。
ツンデレだからって距離を取ってるわけじゃない……はずだが、微妙に距離が変わらないあたり、彼女なりの「距離感ルール」があるらしい。
「……アンタ、今日は何探すつもりなの?」
「まずは昆布みたいな海藻と、干し椎茸。それから、味噌っぽい発酵調味料があれば最高だな」
「ふぅん……味噌、ねぇ」
フィリーネは鼻をひくつかせ、香辛料商人の屋台を横目で見ながら歩く。
俺は歩みを止め、目の前に積まれた長い海藻束を手に取った。
――おお、これ、完全に利尻昆布だ。いや、呼び方は違うかもしれないが、見た目も香りも、まさしく出汁の王様。
「お、これだこれだ! すみませーん、この海藻、全部ください!」
「全部って……アンタ、何に使う気?」
「決まってるだろ。これでスープも味噌汁も、さらに次元が変わる」
俺の目が輝いた瞬間、横のフィリーネは一瞬だけ口元を緩め――すぐにむすっとした顔に戻った。
「……ま、勝手にしなさいよ」
──チリンッ♪
《フィリーネの心を揺らしました 経験値+20》
《現在の累計経験値:870》
(……いやいやいや、なんでこれで経験値入るんだよ!?)
そんな俺の心中を知ってか知らずか、フィリーネは香辛料屋の前で足を止め、試食用の小皿を手に取っている。
「これ、美味しいわね……あっ」
ふと視線が俺とぶつかる。
「……べ、別にアンタにあげるつもりじゃないけど! ほら、一口だけ!」
匙を突き出す仕草は妙に照れくさそうで、思わず俺も笑ってしまった。
その二人を、路地の影からじっと観察している黒フードの影。
――そう、魔王である。
(くっ……この二人、朝っぱらからなんなんだ……! それに、さっきの海藻……あれは間違いない、この世界では滅多に見ない“深海魔草”だ……! 出汁を取ったらどうなる……? ああ、知りたい……! 飲みたい……!)
魔王は鼻をひくひくさせながら、今日もストーキングを続けるのであった。
塩や香辛料を並べる屋台の前で、俺は足を止めた。
海藻と干し椎茸を求めて歩き回っていたが、椎茸的な香りを持つキノコはどうしても見つからない。
「むぅ……乾燥キノコすらないのか。和食の出汁三本柱の一角が……」
その代わり、目の前には雪のように白く輝く塩の山があった。
粒は細かく、指でつまむとさらさらと零れ落ちる。
「……おっ、これはいい塩だ。苦味が少なく、甘味もある。塩むすびにしたら絶品だぞ」
「塩むすび? また聞き慣れない言葉……でも、美味しそうね」
フィリーネはじっと塩を見つめる。
俺は袋ごと銀貨で支払い、次の屋台へと向かった。
そこには、黄金色に輝く甘味料が山積みにされている。
「これは……サトウキビ系か? いや、蜜を煮詰めたタイプだな」
指先につけて舐めると、柔らかい甘みとコクが口の中に広がった。
「うん、使える。これは買いだ」
さらに進むと、大粒で艶やかな豆が袋詰めで売られている。
手に取ると、ほんのり青い香り――間違いない、大豆に近い。
「これは……! 味噌と醤油の原料だ! でも……」
フィリーネが首を傾げる。
「でも?」
「いや、この世界にはまだ味噌も醤油も存在しないみたいだ」
「それ……作れるの?」
「時間はかかるけど、理屈は知ってる。発酵させれば……いや、今はまだ早いか」
俺は豆の袋を抱えながら、キノコ、小麦粉、米的な穀物を探し続けた。
だが、乾燥棚や穀物屋台を何件回っても、それらしい物は影も形もなかった。
「……残念。今日は塩と甘味料と豆だけ、か」
「まあ、三つも見つけたんだし十分じゃない?」
フィリーネは肩をすくめ、少しだけ笑う。
──路地の奥から覗く黒いフード。魔王だ。
(塩……甘味料……豆……ふふ、なるほど。あれらをどう組み合わせるつもりだ? あの男……ただの料理人ではない……)
俺は袋を背負い直し、フィリーネと並んで市場を後にした。
その背後では、魔王の視線がなおも刺さっていた。
素材探しを一旦切り上げ、俺たちは道具屋の軒先に足を踏み入れた。
棚には大小様々な鍋や鉄製のフライパン、木工職人が削り出した木椀や木匙が整然と並んでいる。
「……おぉ、こりゃあイイ。厚手の鍋だな、これなら煮込みでも焦げ付きにくい」
「ほら、この木椀なんてどう? 軽いし、模様も可愛いわ」
「お、いいじゃねぇか。木匙も合わせて買っとこう」
ひと通り道具を抱えて会計を済ませると、脳裏にふっと浮かぶのは――
醤油と味噌の作り方。
(大豆を蒸して……麹と混ぜて……塩水に漬け込んで……発酵は……)
前世の経験と知識が、まるで脳内の引き出しから勝手に飛び出してくるようだ。
宿に預けてあった移動式屋台を引き出し、広場へ向かう。
「よし、まずは豆を煮るぞ」
新しく手に入れた鍋に水を張り、大豆を投入。
炭火を起こし、じっくりコトコトと煮込む。
やがて豆はふっくらと膨らみ、湯気とともに甘く香ばしい匂いを立ち上らせた。
「……うーん、この香り。なんかもう、このまま食べても良さそうだな」
木匙でひと粒すくい、口に放り込む。
ほろっと崩れる食感と、素朴な甘み。
(……そうだ、これで一品作れる!)
「にすけ、なんか閃いた顔してるけど?」
「おう、ちょっと新メニューの予感だ」
俺はニヤリと笑い、煮豆を入れた椀を手に取った――。
鉄板を熱して甘味料をぱらり。
香ばしく溶けはじめたところに豆を戻し、さらに刻み香草を加えて炒め合わせる。
緑の香りと豆の甘塩っぱさが絡み、鼻孔をくすぐる芳香が辺りに広がった。
「はい、試食係さん一番乗り」
差し出された木椀を受け取ったフィリーネは、ぷいっと横を向きながらも一粒口に放り込む。
——ほくっ。
噛むほどに豆の甘みと香草の爽やかな香りが口いっぱいに広がり、耳まで赤くなる。
「……ま、まあまあね! あたしはもっと濃い味のほうが好きだけど!」
ツンとした声の裏に、隠しきれない満足感。
その香りに誘われ、通りの人々が足を止めた。
「一粒どうぞ」
煮介が手渡すと、食べた瞬間に目を輝かせ、「これ、一皿!」と次々に声が上がる。
最初は値段を渋っていた客も、一口で態度が変わり、あっという間に行列ができた。
——そして、木桶に山盛りだった豆は、夕刻前にはすっかり姿を消していた。
――経験値+350。累計経験値1,200。
「……いや、豆でこんなに伸びるとは思わなかったな」
呆れ笑いする煮介を、フィリーネは満足げに見やった。
その横顔は、夕暮れの光を浴びてひときわ鮮やかだった。
この日はもう豆が一粒残らずなくなり、夕焼けが迷宮都市の屋根を朱く染めていた。
屋台を片づけながら煮介は、明日への決意を口にする。
「よし……明日は豆を大量に仕入れて、いよいよ味噌作りに入るぞ」
今日の売り上げは銀貨35枚。
今日は運よく宿の一人部屋を二つ確保できていた。
「やっと広々寝られるな」
笑い合いながら宿に入り、荷を置いたところで、煮介の腹が別の欲を思い出す。
「……酒、飲みてぇな」
宿の一階には酒場が併設されており、賑やかな声と木樽の匂いが漂っている。
フィリーネを誘い、ビールに似た黄金色の飲み物を二つ頼む。
だが——口をつけた瞬間、二人同時に眉をひそめた。
「ぬるいし、なんか酸っぱいわね……」
「うむ、これは……ビールというより酸味の強い何かだな」
しかし煮介は、舌の奥でその酸味を転がしながらふと閃く。
——この酸味、もしや新しい酢のような調味料になり得るんじゃないか?
〈味覚の絶対領域〉に問いかけると、すぐさま脳内に澄んだ声が響く。
《可——発酵条件次第で、調味料としての利用価値は高い》
「……ふっふっふ、やはりか」
一人ごちる煮介を、フィリーネは訝しげに見て首をかしげた。
翌朝。
市場のざわめきの中、煮介は昨日の酒場で出されていた“あの酸っぱいビール”を樽ごと二つ仕入れた。
さらに、味噌作りに欠かせない豆を麻袋いっぱいに三袋。
「これで……味噌と新しい酢、両方いけるな」
フィリーネが手際よく袋を運びながらも、目を輝かせる。
「本当に味噌ってやつ、作れるの? あの豆で?」
「ああ。塩と菌の力でな。時間はかかるが、間違いなく旨くなる」
荷を屋台に積み込みながら、煮介は辺りを見回す。
昨日の広場は人通りが多すぎて、あっという間に豆が消えた。
「……今日は静かなとこを探そう。味噌作りは手間がかかるし、酢の試作も落ち着いてやりたい」
フィリーネも頷き、二人は迷宮都市の外れ、石畳の細道を進み始めた。
陽の光を浴びた豆袋が、未来の味噌の香りを予感させるように温かく揺れていた。
豆を洗い、薪の上で大鍋にかけてコトコト煮込む。
屋台の片隅では、木樽に塩を量り入れ、麹菌代わりの香草粉末を準備する煮介。
フィリーネは豆を潰す作業を手伝いながら、時おり香りをくんくん嗅いで頬を緩めていた。
「……これ、絶対おいしいやつだよね」
「一年待てば、な」
「……え? そんなにかかるの?」
「本来はな。でも、発酵を早める手はある」
そんな会話をしていたその時——。
「おーい! 煮介さんっ!」
振り返ると、泥と血でまだら模様になった軽鎧姿の若い冒険者が、何やら大きな網袋を引きずってくる。
彼は貝のスープの時に食べて以来、にすけ屋のファンになっていた男だ。
手に持つ網袋の中では、ぬめぬめとした銀色の魚がギラリと光り、口をパクパクさせまだ生きていた。
ただ、その顔……妙に長く、眼が四つも頭の横についていて、しかも牙がびっしり。
「……うわ、なにこれ気持ちわる!!」
フィリーネが眉をひそめる。
「迷宮の地下湖で釣れたんですけど! 気持ち悪くて誰も食べようとしなくて……煮介さんならどうにかできるかなって!」
「……おい...」煮介は思わず天を仰ぐ。
「味噌作りの途中なんだが……一体これをどうしろと!?」
ぬめる鱗の光が、これからの波乱を予感させていた。
次話、『食材持込み和食変換サービス、はじめました』へ続く。
―あとがき(フィリーネ&にすけ)―
フィリーネ「ちょ、ちょっと! 第7話まで読んだなら……もう分かってるわよね? ブックマークと星! それから感想! ぜーんぶ置いていきなさいよ!」
にすけ「おいおい、フィリーネ。料理だって、食べっぱなしじゃ行儀が悪いだろう? “ごちそうさま”の一言があるからこそ、作り手は次の一皿をさらに旨くできるんだ。」
フィリーネ「べ、別に……アンタに褒められたいわけじゃ……ないけど! で、でも……読者の感想くらいは……ちょっと、気になるんだから!」
にすけ「はは、素直じゃねぇな。だが言ってることは正しい。――ブクマは“また食べたい”って印。星は“うまかった”って評価。そして感想は、“次はこうしてほしい”って声。どれも料理人には欠かせないスパイスだ。」
フィリーネ「と、とにかく! あんたが読んだ証を残さなきゃ……わたしたち、次に進めないんだから!」
にすけ「そういうことだ。だから頼むぜ、読者さん。ブクマ、星、感想――三つ揃えて、また明日も席についてくれ。」
フィリーネ「わ、分かった? ……ふんっ、ちゃんと押しなさいよね!」