第5話「異世界屋台にすけ屋開店!忍び寄る魔王の影」
木工ギルドの扉を押し開けると、木の香りと削りくずの匂いがふわっと鼻をくすぐった。
店内奥の展示スペースには、三種類の屋台が整然と並んでいる。
ひとつ目は、組み立て式の簡易な作り。
板材も軽く、設営も撤収も楽そうだが……見た目は質素。
値札には銀貨7枚とある。
ふたつ目は、同じく組み立て式だが彫刻や屋根飾りがついて、ちょっとした高級感が漂う。値段は銀貨10枚。
そして三つ目──俺の視線は、自然とそれに吸い寄せられた。
大型で車輪付き、折りたためば一枚の板のようになるが、展開すれば立派な屋台が完成する移動式だ。
天板には鍋を置ける耐熱加工、下部には収納棚もある。
そして火を使うための炉と網も付いており炭焼きなども出来そうだ。
値札は銀貨14枚──今の俺の全財産とほぼ同じ額。
「どうする?」とフィリーネが横目で俺を見る。
「迷う余地はねぇな」
俺は懐の袋を取り出し、じゃらりと銀貨をカウンターに置いた。
「これだ。こいつをくれ」
職人がにやりと笑い、屋台の木枠を畳んで手渡す。
意外なほど軽く、これなら俺ひとりでも運べそうだ。
そして残り一枚の銀貨で、木椀と匙を10組、炭を10kgくらい買った。
ギルドを出た俺たちは、市場の通りへと足を向けた。
活気に満ちた人々の声、干し魚や果物の香り……中でも、通りの中央にぽっかりと空いた、日当たりのいい一角が目に留まる。
「ここだな」
俺は屋台を展開し、鍋を据えた。
さらし布に包んでおいた巨大貝の身を取り出し、下処理の済んだ貝柱と貝ひもを丁寧に切り分ける。
出汁用の鍋では、すでに昆布と鰹節の旨みがじわじわと立ち上っている。
そこへ刻んだ貝柱を入れると、ふわりと甘い香りが広がり、市場のざわめきがわずかに止まった。
「極上の……貝スープ、いくぞ」
俺は柄杓でそっとスープをすくい、味を確かめる。
深みのある旨み、貝柱の甘み、貝ひもの珍味感が溶け合った、至福の一杯。
すでに何人かの通行人が、香りに誘われて立ち止まっていた。
その中には──黒いフードの影も混じっていたが、俺はまだ気づかない。
「で、このスープ……いくらにする?」
フィリーネが腕を組み、じろりと鍋を覗き込む。
「そうだな……」
俺は柄杓を置き、顎に手を当てた。
「ギルドに卸すとしたら、この貝の身は銀貨五枚だっただろ。スープにする手間暇考えたらそれ以上にならないとな」
「ふむふむ」
フィリーネが頷く。
「だから直接売るなら、その分は客に払ってもらえばいい。……一杯あたりの具材と手間を考えると、銀貨一枚ってのが妥当じゃないかと思うんだ」
「一枚か……」
彼女は視線を客寄せのための看板代わりの木板に向ける。
「高いと思う人もいるだろうけど……この香りなら納得してくれるはずね」
「だろ? あとは味で黙らせる」
俺はにやりと笑い、鍋底をさらいながら温度を確かめた。
湯気は濃く、香りは濃密──これなら、銀貨一枚の価値を証明できる。
「お、なんだこの香り……!?」
「貝の匂いがする...いや、もっと複雑な……」
通りを行き交う客たちが、ふわりと漂う湯気に鼻をひくつかせ、屋台の前へ足を止める。
しかし値札の『一杯・銀貨一枚』を目にした瞬間──
「た、高ぇ……」
「屋台で銀貨一枚って、正気か?」
眉をひそめ、去ろうとする者もいる。
だが、俺は逃さない。柄杓を手に取り、小さな木匙にスープをすくい上げた。
「まあまあ、まずはひと口、試してみな」
半信半疑で匙を受け取った男が、湯気を吸い込み、口に運んだ瞬間──
「……っ!? な、なんだこれ……! 甘い……いや、旨みが層になって押し寄せてくる!」
隣の女も試し、両目を丸くする。
「ひもの歯ざわり……これ、珍味じゃない!?」
その様子を見た周囲の客たちも、我先にと試飲を求め、あっという間に小さな行列ができていった。
匙を口にした瞬間の驚きと笑みが、伝染するように広がっていく。
やがて──
「銀貨一枚だろ? ほら、二杯くれ!」
「俺も三杯だ!熱々にしてくれよ!」
活気と香りが、通りを支配していった。
あっという間だった。
湯気と香りに引き寄せられた客たちの列は途切れることなく続き、気がつけば残り2枚分の巨大貝も、鍋のスープも、最後の一滴まで売り切れていた。
「……完売、だな」
最後の一杯を受け取った客の顔が一瞬でほころび、その笑顔を見た瞬間──
〔経験値+500〕
〔累計経験値:1,300〕
……ふっ、これだからやめられねぇ。
ふと横を見ると、フィリーネも上機嫌だ。
「売り上げ、銀貨五十枚ね。全部で五十杯……完売よ」
「へぇ……思ったより稼げたな」
俺が鍋底を木杓でさらうと、フィリーネが満足げに腕を組んで頷く。
「ふふっ、これで銀貨も経験値もたっぷりよね?言ったでしょ? 屋台は正義だって」
「いや、言ってねぇだろ、そんなセリフ...」
......お互い沈黙し、目が合った瞬間、二人して横腹痛くなるくらいゲラゲラと笑いあった。
その頃──
通りの端、石造りのアーチの影から、黒いフードの男がこちらを見つめていた。
魔王は、じっと、列の切れ目を狙っていたのだ。
しかし、客たちは一向に減らず、完売の声が上がった時には──
「……な、なんだと……?」
呆然と、その場に立ち尽くすしかなかった。
口にするはずだった一杯は、湯気ごと彼の前から消え去った。
黒フードの奥、金色の瞳がわずかに揺れる。
(……クソッ、まさか並ぶことすらできぬとは……)
しかもそんな魔王に二人は気付きもせず、なんだか楽しそうに大笑いしている。
身体の力が抜け、がっくりときて両手両膝を地面につき落ち込む姿の魔王。
それを見た小さな子供が「あの人どうしたのー?」と母親に言うと「見ちゃいけません!」と叱るお約束の一コマ。
彼の中で、にすけへの興味は、静かに、しかし確実に燃え上がっていったのであった。
握り締めた拳の中で、指先がわずかに震えている。
(……待っていろ。必ず、あの味をこの舌で……)
日はすでに西に傾き、空が橙から群青へと変わり始めていた。
「そろそろ宿を探すか」
「そうね、もう暗くなるし」
だが、どこの宿屋も満室だった。
祭り前夜らしく、通りには旅人と商人が溢れている。
ようやく見つけた空き部屋は──
「……二人部屋、だと?」
受付の言葉に俺とフィリーネは固まった。
一瞬、互いの視線が交差し、微妙な沈黙が落ちる。
「もう歩き疲れたな、どうする?」
「……別に、わたしは構わないけど」
フィリーネが視線を逸らし、頬を赤く染める。
俺もなぜか心臓が妙に早鐘を打っていた。
部屋の鍵を受け取ったその瞬間、背後からまたあの視線が──
振り返ったときには、もう誰の姿もなかった。
……今夜は、いろんな意味で眠れそうにないかもな...
次話、『二人部屋の夜、早まる鼓動を隠す夜』へ続く。
――あとがき(女神アリュ・エイン)――
ふふ……ここまで物語を追ってきたあなた、なかなか熱心ね。
第5話までに描かれたのは――ただの冒険譚ではなく、魂が交わり、響き合う軌跡だったと思わない?
ツンデレのエルフは、飢えを満たされてなお、心の隙間を埋められ始めている。
老練の料理人は、若き肉体を得てなお、五十年の経験を振るう道を選んでいる。
そして魔王さえも……退屈を癒す観察から、思わず足を踏み入れてしまった。
――それらはすべて、あなたが見届けてきたからこそ輝く物語。
だからお願い。
もし、この歩みを「続けて見たい」と思ったのなら――ブックマークを。
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そして、あなたの声――感想――を聞かせて。
それらすべてが、この物語をさらに広げる“祝福”になるのだから。
さあ……まだまだ、この物語は続くわよ。