第1話 「ツンデレエルフの葛藤、和食とはなんぞや?」
湯気の立つ椀を抱えたまま、金色の双眸がこちらを射抜く。
路地裏の空気は冷たく、さっきまで漂っていた香草の青い香りは、今や出汁の甘みと塩の柔らかさに塗り替えられていた。
「……アンタ、一体何者?」
一口ごとに眉がほどけながらも、声だけは刺々しい。
俺は炎を弱めながら肩をすくめた。
「そっちこそ、一体何者だ?」
互いに目を細め、わずかな沈黙。
やがて彼女が先に口を開いた。
「私はフィリーネ。遠い北の森にあるエルフの里から、この迷宮都市ラザニアへ来たの。
出稼ぎよ……少しでも金を稼いで里に送るために」
「出稼ぎねぇ……なんでわざわざこんな物騒な都市に?」
「物騒だからよ。迷宮に潜れば一攫千金の可能性がある。……それに」
フィリーネは一瞬、言葉を濁した。
「……うちの里は、今ね、深刻な少子化なの。婿候補を探すのも使命のひとつ」
俺は思わず噴き出しそうになったが、真剣な瞳に押されて笑いを飲み込む。
「なるほど。じゃあ俺が婿候補かどうかは……今このスープ次第ってわけだな」
「は、はぁ!? そんなわけないでしょ!」
耳の先まで真っ赤になっているのが、湯気越しでもわかる。
「じゃあ、俺の番だな。俺の名は鮎川煮介、にすけって呼んでくれればいい。元の世界じゃ和食職人やってた」
「元の世界?……わしょく?」
「とある事故が原因でこっちに世界に来た。
和食ってのは俺の故郷日本の料理のことだ。米と水と、海と山の恵みを活かした料理。
旨味を引き出すために、塩や火加減、時間を極限まで計算するんだ」
俺は昆布を取り出し、まだ残っている湯の中に滑らせる。フィリーネは興味と警戒が入り混じった目で、それを見ていた。
「アンタの料理……変わってるわね。見たことないやり方ばかり」
「だろうな。俺の世界じゃ当たり前でも、この世界じゃ珍しいだろ」
「ところで...この都市……見た目以上に雑多だな」
そう切り出すと、フィリーネは椀を両手で温めながら小さく頷いた。
「ここ迷宮都市ラザニアは交易の要所よ。北の山からは鉱石、南の海からは魚介、西の砂漠からは香辛料、東の森からは薬草。
人間族も獣人族も魔族も混ざって住んでる。けど一番の稼ぎ頭は、中央にある世界樹の根元に口を開けてる“迷宮”よ」
「百層あるって聞いたぞ」
「正確な数は誰も知らないわ。潜るたびに形が変わる事もあるし、新しい階層が見つかることもある。魔物の素材は高く売れるけど、食材としては……ほぼ使われないわね」
俺は眉を上げた。
「もったいねぇな」
「だって危険だもの。毒がある物が多いしそもそも魔物を食べるっていう発想自体がないわ」
「……なるほどな」
女神の言葉が蘇る──この世界には、味を知らない者が多すぎる。
「……なぁ、フィリーネ」
「なに?」
「和食ってのはな、ただ腹を満たすだけのもんじゃないんだよ。心まで満たせるものなんだ。
米を研ぐときの手触り、煮立つ前の静かな湯、火を落とす瞬間の香り──全部が一皿の中に生きてる」
フィリーネは黙って耳を傾けていた。
「このスープだって、昆布と水だけじゃただの薄い湯だ。でも、火加減と時間を間違えなけりゃ、旨味が花みたいに開く」
「……花、ね」
彼女の瞳が一瞬だけ柔らかくなった。
「……べ、別に感心したわけじゃないから」
「そうかい」
「ただ……もし、その“わしょく”ってのが本当に美味しいなら……私の遠征中くらいは、食べさせてあげてもいいわ」
「お、おう……ん?」
「間違えた! 食べてあげてもいい、よっ!」
耳まで真っ赤にしてそっぽを向くその横顔を、俺は少しだけ笑って見ていた。
そのときだ。
路地裏の奥から、ひんやりとした風がひとすじ、足元を撫でた。
……風なのに、潮の匂いがする。
フィリーネの表情が一瞬で険しくなる。
「……まさか、あれがもう現れるなんて」
「“あれ”ってなんだ?」
「説明はあと。とにかく市場に急ぐわ」
俺はまだ知らなかった。
この潮の匂いこそが、後に迷宮都市を揺るがす“あの存在”の前触れだということを──。
次話、『潮の匂い──その正体を知れば、もう戻れない』へ続く。
―あとがき(フィリーネより)―
ちょ、ちょっと! 第一話をここまで読んでおいて……そのまま閉じるつもり!?
べ、別にわたしはアンタのために戦ったり、喋ったりしてるわけじゃないんだからね!
……で、でも……もし少しでも面白いとか、次も読んでやろうとか思ったなら……ほらっ!
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