プロローグ〜味覚の絶対領域と女神の戯れ〜
―まさかこの俺が、美しいツンデレエルフを嫁さんにして、魔王も勇者も弟子にして和食で異世界を無双することになるとはな―
そんな未来を、死ぬ直前まで想像すらしていなかった。
その夜は、夏祭りの後片づけをしていた。
屋台で焼き鳥を焼き続けて、炭の匂いとタレの甘辛い香りが髪と服に染みついている。
片付けを終え、濡れたアスファルトを踏みしめながら帰路につこうとした時──鼻をつく焦げ臭さが風に乗ってきた。
「……ん? どっかで火事か?」
振り向くと、細い路地の奥で煙が渦を巻いている。胸の奥がざわつく。
気づけば足は勝手にそちらへ向かっていた。
路地の突き当たり、木造二階建ての家から炎が噴き出し、窓の中で小さな影がもがいている。
「だ、誰か!……助けて……!」
少女の助けを呼ぶ声が、爆ぜる火の音にかき消されそうになりながら耳に飛び込んできた。
気づいたら全力で駆け出していた。
玄関はすでに火に包まれていて近づけない。
俺は迷わず裏口に回り、肩でぶつかるように戸を蹴破った。
中は灼けるような熱気。視界は煙で真っ黒だ。咳き込みながら、声のする方へ身をかがめて進む。
やっと見つけた小さな体。
「しっかりしろ!」
震える肩を抱き寄せ、胸に抱え込む。驚くほど軽い。
その瞬間──天井から梁がきしみ、崩れ落ちてきた。
咄嗟に少女を庇って背中を差し出す。鈍い衝撃、肺がつぶれるような痛み。
視界が暗くなっていく。
──ああ、やっちまったな……でも、まあ、いいか。
音が消え、闇がすべてを包み込んだ。
―白の間―
彼は真っ白な空間に立っていた。
私は彼の前に、あえてゆっくりと姿を現す。
長い銀髪を波のように揺らし、金の瞳で彼を見つめた。
「やっと来たわね」
「……誰だ、あんた」
「私は女神アリュ・エイン。転生と循環を司る女神よ。」
男──鮎川煮介は眉をひそめ、しかし怯えてはいない。むしろ、面倒くさそうに腕を組んだ。
「……ああ、俺はやっぱり死んだのか」
「そうよ。燃える家で少女を庇って……そのまま、ね」
「……そうか、死んだのか俺...。あの子は?」
「無事よ。泣きながら走っていったわ」
「そうか、なら良かった」
胸の奥で、小さく笑みがこぼれる。
こういう人間、嫌いじゃない。
それどころか──正直、探してた。
飽き飽きするほど繰り返す世界に、波風を立てられる“何か”を持った魂を。
「では改めて。ようこそ女神の間へ、鮎川煮介」
「ふん、女神さんが俺に一体何の用があるってんだ?」
「ふふ、そうね。六十五歳、独身。料理人として五十年、全国の味を舌で歩いた。
西洋料理や中華料理などにも精通していて、育てた弟子は二十人。
そのうち十人が暖簾分け、独立開業を果たしている。
剣道は師範クラス、道場破りを撃退したこともあるのね。
剣技は一流、包丁の扱いは達人級。……あら、書道も茶道も俳句も出来るし兵法書なんかも嗜むのね」
「……なんであんた、そんな事まで...?」
「女神ですもの。魂を覗くなんて呼吸するみたいなものよ。それに──あなた、料理の腕だけじゃなくて、武も文化も持ってる。
“和文化モンスター”って言葉が似合う人間なんて、そうそういないわ」
「モンスター言うな。褒めてんのかそれ」
「もちろん褒めてるわ。だって、私の世界にはね……味を知らない人が多すぎるの。剣も魔法もあるくせに、食事はただの燃料。
焼けばいい、煮ればいい、塩さえあればいいって思ってる。もったいないでしょう?」
「だから、お願い。あなた、私の世界であなたの料理を広めて。そのお礼に、特別な力をあげるわ」
「特別な力、ね……何をくれるんだ?」
「ひとつめは“味覚の絶対領域”。
食材に触れただけで、その食材の鮮度・成分・毒の有無から、最も美味しく調理するための手順や調味料の組み合わせまで、頭の中に“正解”が浮かび上がるスキルよ。
君の舌は、真実だけを知る羅針盤になる」
「羅針盤とは言い得て妙だな。
しかし絶対領域ってのは、またずいぶんと大層な名前をつけたもんだな……」
「言葉の趣味はまあ今は置いといてちょうだい。効果は単純明快。
あなたが舌で決めた基準が、真理側に寄るの。つまり、本当にうまいへ世界のほうが近づく」
(注:ここで言う「寄る」は、神術的補正で現実の味覚評価が最適値へ収束し、正解を引き寄せる集中線みたいなものだと思ってほしい。)
「……ほう。それは面白い、が、それは少しズルい気もするな」
「ズルくはないわ。あなたの技と経験があるから成立するのよ。下手な人が使っても、雑は雑のまま。ただ、あなたが決める──その一点だけが、世界に響く」
「で、もうひとつは?」
「感応成長の器。
あなたが作った料理で誰かの心を動かしたとき──その感情が経験値となって、あなた自身を成長させたり新たなスキルを解放するための力になる。
食べさせれば食べさせるほどあなたは強くなるのよ」
俺は思わず眉を上げた。
「戦って経験値、じゃなくて……食わせて経験値? そりゃあ変わってんな」
「でしょう? だって、強さだけじゃ世界は救えない。心を満たす者が、最終的にすべてを包み込むのよ」
「...条件がある」
俺は女神をじっと見つめながら言った。
「どんなにいい食材でも、水がまずけりゃ台無しだ。最高の水を出す力が欲しい」
女神は楽しげに手を打った。
「ふふっ、やっぱり。そう言うと思って水魔法スキル『湧泉』を用意しておいたのよ。
これはどこでも、どんな時でも、清らかな水を湧かせる力。温度も自由自在。どう? 料理人としては喉から手が出るほど欲しいでしょう」
「……ああ。悪くねぇ」
「それと、これは私からの──未来の旦那様への結婚祝い」
女神は手をひらひらと振り、空中に金色の魔法陣を浮かべる。
そこから現れたのは、漆黒の金属で出来た見事な中華鍋と、赤く光る石を埋め込んだ銀色の台座のようなもの。
「これは神銀製魔石コンロよ。火加減は意のまま、小型だから携帯にも便利。そして魔石がある限り、嵐の中でも炎は揺らがない。……まあ、あなたの料理の力なら、そのうち魔石すらいらなくなるでしょうけど」
「...いやちょっと待て、さっきの未来の旦那様って一体何の話しを『さあもう時間がないわ、行ってらっしゃい!』
女神の指が軽く弾かれ、白い光が爆ぜた。
光の渦に包まれながら、耳元で彼女の声だけが響く。
「迷宮都市ラザニア──そこには人族、獣人族、魔族などの思惑が渦巻く交易の街。
表通りは活気に満ち、野菜や干し肉、異国の香辛料や衣服が並び、路地を入れば闇市と裏取引が息づく。
街の中央にそびえる世界樹の根元からは、底知れぬ深淵が口を開けている。そこが迷宮。百層にもなる迷宮グランナビス、獰猛な魔物と、異形の食材たちが蠢く迷宮よ」
彼女は言葉を選びながら続けた。
「戦士も、魔法使いも、そこで戦って素材を持ち帰る。でも……美味しい料理は誰も知らない。塩焼きか茹でるだけ。魔王すら、満足に食べたことがないのよ」
──魔王が、満足に食ったことない?
俺は笑いを堪えた。そんな世界なら、包丁一本で天下が取れるじゃねぇか。
「いまならまだ取りやめる事も可能よ。行くかどうかはあなたの選択次第」
「ただし──あなたが来るなら、私は少しだけ手を貸すわ」
「……なんでそこまでしてくれる?」
「簡単よ。面白そうだから。それに──私も、美味しいものを食べたいの」
ふっ、それが本音か。
そこに腹を空かせた奴がいるんなら俺は美味いもんを食わせる、ただそれだけだ。
行ってみるか、異世界とやらに―。
足元から光が弾けた。
―異世界の匂い―
気がつけば、背中の痛みも、煙の臭いも消えていた。
代わりに漂ってきたのは、香ばしい焼きパンの匂いと、香草の青い香り。
見渡すと、石造りの建物が立ち並び、石畳を馬車が走っている。露店では見たこともない赤紫の果実や、銀色に輝く魚の干物が並んでいた。
足元には、黒いアタッシュケース。
開けると俺の包丁たちと愛用していた調理器具一式、粗塩、巾着袋、そしてあの黒光りする中華鍋と神銀製?だかの魔石コンロ。
「ここが異世界、か。よし、まずは出汁だな」
人気のない路地へ入り、魔石コンロを地面に置く。中華鍋を置き、中心に手をかざす。
心の中で「湧け」と呟くと、透明な水が、じわりと現れ始めた。冷たく澄んだその水は、見たこともないほど透き通っている。
続いて「火よ」と念じる。ゴウッという低い音とともに、炎が鍋底を舐める。匂いは一切なく、熱だけが伝わる。
巾着袋の中には女神からの贈り物なのか、乾燥昆布が入っておりその一枚を水に浸す。
魔石コンロの炎をほんの少し弱めると、湯の表面が静かに波打ち、昆布の旨味がじわじわと溶け出していく。
湯気が立ちのぼり、空気がふんわりと甘くなる。
そこへこれまた女神の粋な計らいで巾着袋に入れられていた鰹節をフワッと入れる。
──すると、背後から足音。
「……な、なによ、その匂い……」
振り返ると、あの火事場の少女──いや、よく見ると長く尖った両耳と、金髪のツインテールが陽の光を受けて輝く、紛れもないエルフの美少女だった。
きめ細かい雪のような肌、切れ長の瞳。緑色の軽装鎧を見に纏い、胸元は大胆に開かれており豊かな膨らみが目に毒だ。
けれどその瞳の奥は、空腹を必死に隠して震えている。
「出汁スープだ。飲むか?」
「だ、だしって何よ?べ、別に……飲みたいわけじゃないけど不思議な香りがしたから気になっただけなんだけど......でもまあそこまで言うなら特別にわたしが味見してあげるわ」
そう言うと、差し出した椀を恐る恐る両手で包み込む。
黄金色の出汁をすする音が、静かな路地に小さく響く。
一口、二口──彼女の頬がほんのり赤く染まり、細い肩がわずかに震え、すーっと綺麗な瞳から一筋の光が頬を伝う。
「な、ななななによこれ?なんで涙が......!?」
「わるいな、俺のスープは心に沁みる仕様なんでな」
《感応成長の器──経験値+80》
頭の奥で、女神の声が微かに笑う。
“ほらね、言ったでしょう。あなたの料理は武器になるって”
脳内に直接響く声に内心驚きつつも「(なるほど、こういう事か)」と冷静に飲み込む。
彼女は二杯目を飲み干し、太陽のような明るい微笑みを見せたのだった。
その笑顔は、この先の長い物語の始まりを告げていたのかもしれない。
──そしてこの時の俺はまだ知らない。
このエルフが、やがて俺の嫁になることも。
そして、魔王と勇者までもが、俺の弟子になることも──。
次話、『ツンデレエルフの葛藤、和食とはなんぞや?』へ続く。
―あとがき(女神アリュ・エインより)―
あら……最後まで覗いてくれたのね。ふふっ。
人の魂の軌跡を見届けるというのは、なかなか乙なものだわ。
この物語は、まだ始まったばかり。
けれど、あなたが少しでも「続きを見たい」と思ってくれるなら――どうか印を残していってちょうだい。
そうね……この世界での“ブックマーク”という小さな祈り。
それが積もれば積もるほど、私が彼を導く力にもなるの。
だから……あなたの指先で、この物語を未来へとつなげて。
忘れずに“ブクマ”を授けてちょうだいね。
ついでに星もつけてくれてもいいのよ。
……さあ、次はどんな出会いが待っているかしら?