5話
アザレア嬢が訓練場を壊してから、だいたい一週間ほど経って。
寮の自室で目を覚ました僕は、一通り身だしなみを整えてから。
……さて。今日は休日なので講義もない。最近すこし疲れているから、一日身体を休める日とするか……。
テーブルで、朝から優雅に紅茶を一口。素晴らしい香りだ、心が落ち着く。
しかし、こんな時であっても魔法の腕を磨くことは忘れない。カップを片手に持ったまま、魔力を固めた球をいくつも部屋中に浮かべて複雑な軌道を取らせる。
ふむ。今日も調子は悪くない。五十個の同時制御には慣れてきたから、次は百でいってみるか……。
しかし……そろそろ訓練方法の見直しが必要かもしれん。あれから何度か演習でアザレア嬢を負かそうと試みたが、未だに成果が出てないからな。
あいつ、一体どうなってるんだ。ちょっと何でも出来すぎだろう。
第一魔法演習で期せずして教えてしまった技術――あれが余計アザレア嬢を手がつけられない存在にした気がする。
なにか特殊な性質の魔力を持っているようだが、その制御に一役買ってしまったらしいからな……。痛恨の極みだ、敵に塩を送ってしまうなんて。
くそっ。まだ卒業まで間はあるとはいえ、あの女を上回る策の、その取っ掛かりくらいは早く見つけたい。
それも全ては、僕がヒイラギ侯として絶大な権力を手に入れるため――。
「必ず。アザレア嬢、あの忌々しい女を一位から引き摺り下ろして――」
「――おはよーございまーす! 起きてますかあ、トールさ――まっ!? なにこの玉!」
「……リュー。だから、ノックもせずに入ってくるなと何度も――」
「わっ、きえた。……いまの、もしかして全部魔力ですか!? えっ、あんなことできるものなんですか?」
「……ああ、できるとも。魔力量さえあれば、あとは一つ一つの魔力球に分割した思考のリソースを充てるだけだ。言うなれば……ジャグリングを少し高度にしたようなものだ」
「えー。そんなの宮廷魔法士とかそれ以上のレベルじゃないですか? さっすがトールさま!」
……。ふっ、まあな。僕はヒイラギ家次期当主だから、これくらいはな!
「朝から訓練なんて偉いですね〜。この様子を見たら、きっとご当主さまも満足されますよ!」
「侯爵家の嫡男として、日々の研鑽は欠かせないからな。……ただ、なぜ父上の話がいま出てくる?」
「ついさっきまでお話ししてましたから! トールさまの成績を気にされてましたよ〜」
「なにっ? リューお前、通信魔道具まで持たされているのか?」
「はい、ちょっと前くらいから! ご当主さま、最近のトールさまはピリピリしてるし、あんまり試験のことも話してくれないからって」
あのクソ親父……リューまで使って僕の成績を監視しようとしてるのか!
クソ、いくら侯爵家次期当主の地位が重要とはいえ、こうも僕の力を疑われると気分が悪い……!
「トールさまお顔に出てますよ〜。べつにご当主さま、トールさまが想像されてる理由で気にされてるわけじゃないと思いますけどね」
「……顔には何も出していないが。しかしリュー、なら父上はどうしてお前にまで高価な通信魔道具を持たせたと言うんだ?」
「それはもちろん、親としてトールさまのことが気になるからに決まってますよ! 自慢の息子でしょうから、トールさまが最近そっけなくなって寂しいんです、きっと!」
あの冷酷な父上が? そんな馬鹿な。
「父上はそんな方ではない。僕のことも息子というより次期侯爵として見ているはずだ。だからこそ、僕が学園で不甲斐ない姿を晒していないか気にしているんだろう」
「え〜? トールさまはちょっとご当主さまのこと誤解してますよ。あの方、案外可愛らしいとこあるんですから!」
リュー、お前よく侯爵家の当主にそんなことを言えたな。しかも、ヒイラギ家歴代当主の中で特に優れた政治と魔法の腕を持つと言われる父上に。
恐れというものを知らないのか?
「あっ、信じてないですね!? わたしこう見えてご当主さまから色々相談されてるんですからね! ご当主さまのこといっぱい知ってますから!」
「にわかには信じられんな。……まあ、リューが父上から高価な魔道具を貸与されるほど信頼を得ていることは分かったが」
……ともすれば、僕の従者が父上に信頼されているということは色々利用できるのでは? あの口煩さ、リューを通じて封じ込められれば。
「あーまた何か企んでますね? トールさまもご当主さも口下手なんですから」
ふむ。これはリューのお手柄かもしれないな。この溌剌として素直な性格は中々敵を作りづらいからな。父上も絆されたか。
「よしよし。でかしたぞリュー。また詳しい話は今度詰めるとしよう」
「わっ、髪の毛乱れちゃいますって! もぅトールさまー」
ははは、愛いやつめ。今度なにか褒美をやらないと。
「へへ。頭撫でられるのなんてひさしぶりですねっ」
「ああ……外ではみだりに淑女と触れ合うべきではないからな。それでも、リューは幼い頃から一緒だった妹みたいなものだ。誰もいないところならこれくらい良いだろう」
「む、妹? うーん……」
なんだ? 急に微妙そうな顔するじゃないか。まさかいつまでも子どもなリューのくせに、姉のつもりだったなどと言わんだろうな。
「まいいや。……あっ、それより!」
「うん?」
「さっきご当主さまから連絡があったのは、トールさまの様子を聞くのが目的じゃなくって。べつに命じられた大事な任務があるんでした! わたしとトールさまでこなすようにって」
任務だと? 僕もか。というか、なんで僕じゃなくてリューに言うんだそれ。
……まあいいか。それで、内容は?
「トールさま、最近学園で違法な薬物が流行ってるって聞いたことあります?」
「……なに? いや、耳にしてはいないな」
違法薬物だと? 大ごとじゃないか。
「やっぱり知らないですよねー」
「……やっぱりとはどういう意味だ」
「えー。だってトールさまはほら……ちょっと孤高じゃないですか!」
ぼかして言ってるが……要は僕に友人がいないと言いたいのか?
クソ、うるさいな。別に友人ができない訳じゃないぞ。僕の格に見合った人物が同級生にいないというだけのことだ!
それよりも。
「……それで。その薬物とはどんなものだ。麻薬の類いか? 流通元を追って黒幕を捕えろというのが父上の指示か?」
「ご当主さまに命じられた内容はそうなんですけど。どうも、その薬物ってのが特殊でして」
「特殊?」
「はい。どうもですね。――飲むだけで魔力が増える。そんな魔法薬だっていうんです!」
なんだと? 魔力が増える、だと――?
「ふつうの麻薬ならだいたいの流通経路も予想がつくみたいなんですけど、今回のはぜんぜん足が掴めないらしいです。それで、学園内で出回ってるっていうなら、わたしたちが調査の役に立つんじゃないかって!」
リューは「わたしたちご当主さまに期待されてるんですよー!」なんて、ずいぶん気合いを入れてるようだが。
それより僕が気になるのは、その魔法薬自体についてだ。
――薬を飲むだけで、魔力が増える。普通ならあり得ないその効果。
魔力量なんて生まれた時にだいたい決まっている。訓練で多少は増やすこともできるが、基本的には才能と言っていい。
それを後天的に増やせる薬だと? ……そんなものが本当にあるなら。
――ぜひ、僕が飲みたいくらいだ……!
「……その薬があれば。今以上に魔力を増やすことができれば、学年一位も夢ではないぞ……!」
「? トールさま、いまなにか言いましたか?」
「……いいや。だが、そんな怪しい薬が出回っているというなら、ヒイラギ家嫡男として見過ごすわけにはいかない。早急に出所を突き止めて確保しなければな……!」
「わ、いつになくやる気ですね! ご当主さま直々のお願いですもんねー!」
父上は関係ないが。僕が確実に家督を引き継ぐために。
――その薬、必ずこの僕が独占してやる!