2話
そして、明くる日の朝。
学園内の寮から講義棟に向かって歩いているわけだが……。
――朝から気分が悪いぞ。あのヒゲ親父……何が「私が学生の頃は、一位以外取ったことがなかったものだが」だよ!
いったい誰から聞いたのか、朝っぱらから通信魔道具なんて使ってきて。おかげでいつもより睡眠時間が三十分も短くなってしまった。
「……今日の演習で悪い結果だったら睡眠不足のせいだぞ、まったく」
「――なんですか、ひとりごとですか!? ていうか置いてかないでくださいよトールさま〜!」
「む。リューか」
後ろを振り向くと、フワフワ茶髪の小柄な少女。
「そーです貴方の従者のリューです! 従者なんだから、ちゃんと朝から仕えさせてくださいよう……!」
「……僕は朝目覚めて一時間後に寮を出ると決めている。今日はいつもより早く目が覚めたから、リューを置いて出てきただけだ。そもそも、従者だからといって学園内でまで世話を焼かなくてもいい」
「もー細かいんですからあ。わたしはご当主さまにトールさまのことを頼まれてるんです。しっっかりお世話させていただきますよ!」
あ、こらやめろ。ネクタイ曲がってるんじゃないかって、リューが弄るから形が崩れたんだろうが。
……はぁ。しかたない、好きにさせてやるか。
「ほら、トールさま! お鞄お持ちしますから!」
「いい。従者とはいえ淑女に荷物を持たせるなどみっともない」
「え〜。紳士でカッコイイですけど、トールさまって貴族らしからぬこだわりがありますよね」
失礼な。僕は侯爵家嫡男だぞ。僕以上に貴族らしい貴族など滅多にいない。
「あ、ムッとしたお顔して! ダメですよ〜
トールさま。貴族たるもの相手に感情を悟らせるべからず、って。ご当主さまがそうおっしゃってましたから!」
「父上の話は……いまちょっと出さないでくれ。腹が立つ」
「また喧嘩されたんですか? もう、ダメですよ」
あのヒゲオヤジが朝から鬱陶しいから、余計な心労を掛けられているんだ。
クソ……。わざわざ念を押してこなくとも分かっている。
――学園卒業時、ぜったいに首席を取らねばならないことなど。
「あのネチネチした小言を思い出すだけで腹が立つ……。見ていろ、僕が首席卒業して当主になり次第、すぐに郊外の別荘ででも隠居させてやる」
「どうしたんですかー? また独り言ですか?」
「しかし……現実問題、大きなハードルがあるのは確かだ。まさか今回も学年一位を取りこぼすとは」
ニア・アザレア。あの女をどうにかせねば、学園首席の座を手に入れることはできんぞ。
この学園生活もそろそろ折り返しなんだから、これ以上二番手に甘んじているわけにはいかん。
卒業時の席次は入学してからの通しの成績で決まるからな。アザレア嬢が途中転入でやってきたことを考えても、そろそろ一位を取り返さないとかなり厳しい。
試験と演習の順位で……そろそろアザレア嬢を上回らなければ。
「しかし。正直、道筋が見えん……」
認めたくないが、いい加減今回のことで思い知らされたからな。
あの女に正攻法で勝つのは……おそらく、極めて難しい。
なんせ、今回の試験は俺も相当に力を入れたのだ。試験対策に費やした時間は、優に一日四時間を超えるだろう。
だというのに、今回も一位はアザレア嬢。
――もう、無理だ。正攻法で勝つのは。
「あのー。トールさま? 今日はなんだか一段と荒れておられますね。大丈夫かな……ギューします?」
「ん? ……いや、そんなことするわけないだろう! 年頃の淑女がはしたないぞまったく……!」
「わっ。ほんの冗談ですよう」
「冗談で言うようなことではないッ」
まったく、幾つになっても大人にならんなリューは。背丈もちみっこいままで、大きくなったのはその胸くらいのものだ。
ん? 僕はもともと何を考えていたっけか……。
「……ふふふ。やっぱりトールさまは素敵な紳士です。やらしい目の男子たちとは大違い……!」
なんだ? 何言ってるかわからんが、うるさいぞリューのやつめ。
……あ。思い出した。アザレア嬢にどう勝つかという話だった。
――そう。
まともにやっても勝機が見えない現状。それでも僕が実家の家督を継ぐためにはもう……。
「工作活動しか、ないか」
「工作ですか? なにします? なんでもこのリューにご用命を!」
僕は由緒あるヒイラギ侯爵家の次期当主。汚い手を使ってでも。
――結局、勝てばいいのだ!
ということで、早速だが。
「――よし、では開始するぞ。さあ、自信のある者から並んで始めろ」
屋内の演習場で、いかにも貴族らしい女性教師に告げられる。
いま僕たちが受けているのは、第一魔法演習の講義。いわゆる属性魔法の実践講義だな。
三年次に進級して間もない僕たちにとって、魔法らしい魔法を学べる初めての講義と言っていい。
しかも、前回までは魔力操作や魔法陣の構築が主な内容だったから、実際に第一魔法を使えるのは今回が本当に初めてと言っていいか。
そして。魔法士としての資質が露見してしまうこの大事な演習で。
さっそく僕は仕掛けることに決めたわけだ。
「――おや。どうやら、誰も先陣を切りたがらない様子だな。栄えあるレンドーア魔法学園で学ぶ者として、それではいけないのではないか」
ふふ。特級クラスでも最上位である僕の言葉に、クラスの皆もざわついている。
分かる、分かるぞ。ここにいる者は、いずれも貴族家や出身地を代表するエリート。
しのぎを削る者同士、まずは周囲の様子を見てから挑戦したかろう。
一番槍で失敗するのが一番恥ずかしいものな。
「トールさまー。みんな一番はやっぱり緊張しますよお。わたしだってイヤですもん」
「ふむ? リューよ、なんて生ぬるい考え方だ。僕たちはいずれ国を背負って立つことが義務付けられているんだ。この程度のプレッシャー、難なく跳ね除けなければ」
「わたしはトールさまの従者ですからね。トールさまにプレッシャーから守ってもらえます! ということで、そこまで言うならまずはトールさまからでどうですかっ」
ふ。単純なやつだ、リューよ。主人を風除けに使うとは言語道断だが、今回ばかりはそれが僕の狙いだ。
べつに、僕はこの程度のプレッシャー、なんら負担にも思わんからな。小さな頃から注目されるのには慣れているし、第一魔法だって前から使える。
しかし、他の者はそうではなかろう。高位貴族が多いから純粋な視線には慣れていようとも、そもそも第一魔法自体高度だから、僕のように以前から使えていたものなどそうはいまい。
さらに。こうして皆の前でわざと大きなことを言って、余計にやりづらい空気を作ってやり。
そして――。
「いいだろう。それでは、先鋒はこの僕が務めさせてもらおう」
周囲からは「お〜」と歓声が上がる。ふふふ、もっと讃えるといい。気分が良いから。
しかし、僕の狙いはここからだ。
演習場に集まった有象無象の中から、烏の羽のような黒髪――宿敵たる少女を見つけ出すと。
「しかし――」
僕は堂々と言った。
「――この場には、僕以上に皆の代表であるべき者がいる。先日の試験でも一位だった……アザレア嬢」
「え……。私……?」
「ああ、そうだとも。君にも、僕と同じく皆を先導する義務があるだろう」
ふふ。戸惑っているな、アザレア嬢。
さあ。僕と違って人前に慣れていなさそうな天才よ。
――お前は、この注目集まる状況で、いつも通りの天才性を発揮できるかな?