第67話 立春、春はまだ遠く ~けんちん汁~
――二月。
暦のうえでは立春なんて言って、すでに春なんですという顔をしているけど、北国の冬はこの時期こそが本番だ。
だいたい、地上の季節は二か月遅れでやってくるという。
二か月前と言えば、息も凍る十二月なわけで、その時期にキンキンに冷やされた大気が二か月後の今、大雪となって降り注ぐわけだ。
外は一面の雪景色――なんて表現は可愛いもので、雪かきをしなければ一階がまるまる雪に埋もれてしまうくらいのドカ雪を前に、気分も雪の中に沈んで行ってしまいそうだ。
もう少し北の方に行くと、それこそ一階は当たり前に埋もれてしまうので、玄関が二階にあるなんていう家の作りが多くなったりもする。
または、春用の一階の玄関もありつつ、冬用の二階の玄関もある――なんていう、トリックアートみたいな家もある。
それくらい、雪の対策というのは当たり前に生活の一部に組み込まれてしかるべきもの、ということである。
この時期は、剣道部寮でも朝練は無しにして、寮生総出で雪かきをするのが習わしだ。
朝からモコモコの防寒具で重装備して、スコップやスノーダンプを振り回しながら重い雪を片付けるのは、トレーニング目的じゃなくてもいい運動になるだろう。
そんな中で、朝食を作らないといけない私は、雪かきのお役免除を頂き、手足のしばれる極寒の炊事場に引きこもって、お野菜と格闘していた。
雪かきシーズンの朝食は、毎日汁ものをメインにすると決めていた。
防寒具を着てなお、内臓まで冷え切るくらいの寒さに耐えて仕事をしてきたみんなに、身体の内側からぽかぽか温まって貰いたい。
冷えた身体の中で、アツアツの汁が食堂を伝って胃に落ちていくあの感覚。
あれだけは、何物にも代えられない幸せの瞬間だ。
というわけで、今日はけんちん汁を作る。
けんちん汁――まあ、豚汁の親戚みたいなイメージの人が多いと思うけど、その実、使う食材はそう変わらない。
違いがあるとすれば、豚肉を使わずに、代わりに豆腐やお揚げを入れるくらい。
これは、けんちん汁が鎌倉のお坊さん発祥の精進料理だから、ということが理由らしい。
動物性たんぱく質は使わずに、それでも大豆を使ってたんぱく質は取るということだね。
作り方も、豚汁と大きくは変わらない。
人参、椎茸、ごぼう、里芋など、根菜を中心としたお好みの野菜を食べやすい大きさに切る。
これを、ごま油を熱したお鍋に入れて――たっぷりと、油を回すように炒める!
豚汁の時もそうだけど、最初に食材を炒めておくかどうかで、仕上がりが全然違う。
野菜のうまみがぼやけずに、ぎゅっと実に詰まった、味わい深い汁になるんだ。
お野菜に軽く火が通ったら、だし汁と一緒にこんにゃくと油揚げを加える。
個人的に、油揚げの油は、お肉の油に負けない旨味を持っているような気がする。
大根のお味噌汁にちょっと入れるだけでも、旨味が抜群に増すよね。
ダイエットなんか意識すると油ものって避けがちだけど、油って基本的には旨味なんだ。
予め炒めていることもあって、煮込み時間はそれほど長くしなくてもいい。
せいぜい十分少々くらい。
そしたら豆腐――の代わりに厚揚げを入れて、軽くもうひと煮立ちさせよう。
厚揚げも油揚げと同じ、旨味の油をたっぷりと出してくれるうえに、普通のお豆腐より身がしっかりしていて崩れにくい。
それに、たんぱく質も豆腐よりたっぷりとれるので、寮では積極的に使いたい食材のひとつだ。
お醤油で軽く煮絡めたり、焼いて薬味で食べるだけでも手軽で美味しいしね。
最後に味付け。
けんちん汁は、基本的に醤油味にするすまし汁系の料理なのだけど、この寒空の下で雪かきを頑張ったみんなのことを思うと、お味噌味の方が染みるだろうな。
火を止めた鍋にお味噌を溶いて、隠し味程度に醤油をちょっと垂らす。
これで、今日の朝食のメイン――けんちん汁の完成だ。
「うぅ~、さむさむさむっ!」
料理が出来上がったころ、ちょうどみんなが表の雪かきを終えて帰って来た。
身体を震わせながら真っ先に食堂にやってきた晴海さんが、石油ストーブの前を陣取って暖にあたる。
後から遅れて、他の一年生組――亜利沙さんや、星来さんもやってくる。
「あぁ~……ぬくい。正直、東北の冬、ナメてたよ~」
「いや~、ナメてなくても今年はヤバいって。地元の福島も、すごい積もってるって言ってたよ」
「そんなこと言ったら、星来ちゃんちの北海道なんて、もっとヤバいんじゃないの?」
「え? いやいや、北海道も確かに降るけど……でも、こっちのがすごいかもしれない」
そんな会話を横耳に、私は保温ポットに詰めた暖かいお茶を、みんなのところに持って行ってあげる。
「前に調べたことあるけど、日本で一番雪が降るのが山形らしいよ」
「え、そうなの? そりゃあ、大変なわけだ……あぁ、お茶もぬくい」
縮こまりながら、目を細めてお茶を啜る晴美さんは、ギャルなのになんかお婆ちゃんみたいで、ちょっと笑ってしまった。
「他の一年生――すずめちゃんと、歌音さんは?」
二年生は、先にシャワーを浴びに行ってるとして、まだ姿を見せない他の一年生の姿を見渡して探す。
すると、亜利沙さんが外の方を指さしながら教えてくれた。
「ふたりなら、外で雪だるま作ってたよ。元気だねぇ」
「歌音ちゃんとか、九州だから……大雪自体が珍しいみたい。すずめちゃんは……まあ、いつも元気だよね」
「そうなんだ」
星来さんの言葉に、なるほどなと外を見つめながら頷く。
私にとっては日常で、うんざりするくらいの雪景色も、生まれた場所が違えば人生で初めての感動になるというわけか。
だとしたら、なんだかちょっとうらやましいな――なんて。
そんな気持ちは、単なる無いものねだりだろうけど。
そうこうしている間にみんなが食堂に集まってきて、最後に先生もご実家の方からこっちに顔を出してくれる。
テーブルに並んだ、もうもうと湯気の立つ熱々の味噌けんちん汁を前にして、先生は部員たちを見渡した。
「それじゃあ、頂きましょう」
「いただきます」
「いただきます!」
部長の号令に続いて、みんなが一斉に手を合わせる。
まずは、かじかんだ指先を温めるように、お汁のお椀を両手で包み込むように持ってひと心地。
それから淵に口をつけて、火傷しないよう――そっと、汁を啜る。
鼻に抜ける甘いお出汁と味噌の香りの向こうに、柔らかい塩味が舌の上を満たして。
その熱い幸せを、一思いに飲み下す。
「はぁ~」
ほとんど同時に、寮生みんなの至福の溜息がこぼれた。
「冷えた身体に染みわたる……」
「生き返るわぁ……」
鈴奈先輩も、はー子先輩も、すっかり頬が緩み切って恍惚の表情を浮かべている。
雪かきの重労働を経たところで、お味噌のまろやかな塩分も染みていることだろう。
やっぱり、醤油じゃなくてお味噌味にしてよかったな。
ドカ雪も極寒も、たぶん二月いっぱい続くだろう。
だけど、温かい汁物を糧にして、みんなでどうにか乗り切っていこう。
ここは剣道部寮――共同生活の場として、私たちの日常は、常にチームプレイだ。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした!」
食事を締める号令が終わって、みんなバタバタと食べ終えた食器を片付け始める。
表情もカチコチに凍っていた食事前に比べると、ずいぶんほぐれて笑顔も温かくなったような気がする。
「あ、そう言えばなづな大明神!」
晴美さんが、思い出したように声を上げて、私は振り返る。
「わっ、その呼び方久しぶりに聞いた。どうしたの?」
以前、私の勝負メシには試合で勝利を呼び込む力があるとかなんとか、よく分からないジンクスを当てにされて彼女にそう呼ばれたことがあった。
結果的に、本当にジンクスなんてあるのかよく分からなかったけど……ただ、なんかその呼び方は、むずがゆいというか、微妙に遠慮したい気持ちがある。
「あのさぁ……お願いあるんだけどさぁ……聞いてくれる?」
「お願いの内容による……かな?」
すごくぶりっ子な眼差し光線を放ちながら迫ってくる彼女に、私は、面倒ごとじゃなければいいななんて思いながら、後ずさるように距離を取る。
すると晴海さんは、いつかそうしたように両手を合わせて自分の額に当てながら、まさしく神仏に祈りを捧げる勢いで私に頭を下げた。
「美味しいチョコの作り方……教えてくださいっ!」
「……え?」
思ってもみなかった言葉に、理解するまでの時間が必要だったことは、言うまでもない。




