第66話 もう一度 ~おこわ稲荷~
「――できたっ」
民宿時代に使っていたのだろうか。
戸棚の奥にあった、手のひらサイズのひとり用お重の蓋を閉じて、私は大きくひと息ついた。
真冬なのに額に浮かんだ汗は、焦りと緊張感によるものだろう。
「時間は……!?」
スマホの時計に目をやると、約束の一時間を三十分ほど過ぎてしまっていた。
マズイ、時間がかかっちゃった。
はー子先輩はどこに?
慌ててお重を弁当包みに包んで、炊事場を飛び出すと、ちょうど戸口のところまで来ていた先輩とはちあった。
「わっ!」
「ちょ、気ぃつけや!?」
よろけるように、数歩後ずさる。
ぶつかりそうになったのに、松葉杖でもびくともしないはー子先輩は、流石の体幹ですくりと立って私を見下ろしている。
毎日あれだけの稽古をしている人は、私なんかとは鍛え方が違う。
「準備できたん?」
「はい。すいません、遅れてしまって……」
「謝るのはあと。外にタクシー待たせとるから」
「タクシー?」
わざわざ、そんなの呼んでくれてたの?
焦りにもうひとつ、申し訳なさを咥えながら寮の玄関に向かうと、外に赤江先生が待っていた。
「え、先生?」
「空港へ向かうのですよね? 車、準備してます」
そう語る彼女の傍には、ミニパジェロみたいな小型のオフロード車がエンジンを唸らせたまま停まっていた。
「はよ乗り。ギリギリやと思う」
「は、はい」
先輩に押し込まれるようにして、ふたり、後部座席に乗り込む。
私たちがシートベルトをしたのを確認して、先生も運転席に滑り込んだ。
「安全運転で、できる限り急ぎます」
「お、お願いします」
雪の照り返し避けか、濃い色のサングラスを付けた先生の後ろ姿は、どうしようもなく頼もしかった。
そこからは早かった。
先生の小型車は、大通りではなく、曲がりくねった路地の道を右へ左へ行きながら、ぐんぐん空港の方へと向かって行く。
たぶん、地元の人だけが知ってる最短ルートというやつなのだろう。
乗せられている私は、先生の運転にすべてを託すほかなく、ただただ「間に合って」と心の中で願い続けるばかりだ。
「そないに渋い顔せんと」
先輩が、松葉杖の端で私の二の腕を小突く。
「時間だけはせんない。間に合う時は間に合う。間に合わへん時は、間に合わへん」
「でも……」
「大事なのは試合時間残り二秒。そこで、覚悟を決めて飛び込めるかどうかや」
「先輩……?」
見上げた彼女の横顔は、唇をきつく結んだままじっとフロントガラスの向こうを見つめたままだった。
それは試合前、コート脇の自陣からじっと試合を見つめる彼女の表情に、どこか似ているように思えた。
車が空港に滑り込み、私たちは玄関口のロータリーで下ろされる。
「私は、駐車場に車を停めてますので、急いで」
「はい!」
先生へのお礼もそこそこに、私たちは上階の搭乗口を目指す。
地方の小さな空港なのが幸いしてか、エントランスからエスカレーターを駆け上がれば目的地はすぐ目の前だ。
どうか、まだ居てください――
縋るような願いの先に、ちょうど、手荷物検査の列に並ぶ葵さんの姿があった。
「葵さん!」
見つけるなり、私は人目も気にせずに声をあげる。
彼女は、ぎょっとしてこちらを振り返ると、すぐに怒ったような、諫めるような、厳しい表情を浮かべた。
「何をしてはりますの? そんな、大声で」
葵さんは、前後の人にそれぞれ頭を下げてから、そそくさと列を離れてこちらへやってくる。
そうして、息を切らせ気味の私と、凛として立ち振る舞う先輩とを交互に見比べてため息をつく。
「非常識やと思いまへんか? こんな公の場で大声出して」
「それは……その、すみません」
「それで、何の御用で?」
平謝りするしかない私は、おずおずと抱えて来たお重の弁当箱を彼女に差し出す。
「お弁当……移動、時間かかるでしょうから、お腹がすいたら摘まんでください」
「……これを渡すためだけに、わざわざ?」
「はい」
見つめたまま受け取ろうとはしない葵さんへ、それでも「受け取るまで帰らない」という意思を示すように、私は弁当を差し出し続ける。
やがて、彼女の方から観念したように、それを受け取ってくれた。
「これで終わり? ……ほな」
一度だけ、隣のはー子先輩に視線を向けて、葵さんはくるりと踵を返す。
先輩……これで、良いのかな。
だけど、これ以上は私が口を出せることではなくて、ぎゅっとコートの裾を握りしめる。
「葵はん!」
すると、立ち去ろうとした葵さんの背中に、はー子先輩が呼びかけた。
「ウチ、この夏絶対に全国に行く。それで一番取る。だから――」
その先を語るのを躊躇するように先輩の言葉が詰まった。
それでも、恐怖心をぐっと生唾で飲み込んで、彼女は口を開く。
「信じて見とって。ウチは……誰にも負けない!」
言い切って、先輩はじっと葵さんの背中を見つめた。
誰にも――その言葉には、先輩自身も含まれているような、そんな気がした。
「……やる以上は、勝ちたいと思うのは当然のこと。最低限。だけど、それが目的であるうちは、まだまだ半人前や」
「あ……」
どこか聞いた口ぶりに、私ははっとして顔を上げる。
葵さんは、こちらを振り向かずに、それでも静かに言い聞かせるよう語る。
「副部長なんやろ。あんたが強いだけじゃ、組織は動かへん。そこんとこ、しっかり学びぃ」
「……はいっ」
どこか縋るように見つめていた先輩が、もう一度背筋を正して、ハッキリと頷き返す。
声色からそれを感じ取ったのか、葵さんはいくらかトゲの抜けたトーンで、最後にひとこと付け加えた。
「おはようおかえりやす」
ぽかんと目を見開く先輩に見送られて、彼女は手荷物検査の向こうへと姿を消してしまった。
私は、言葉の意味が分からないまま、首をかしげるほかなかった。
「……それ、ウチの台詞やない? いや、それもそれでおかしいか……ふふ」
先輩が悪戯な笑みを浮かべる。
いつもの、人を喰ったような手の内を見せない笑み。
それを見ただけで、ここに連れてきて良かったと思った。
帰りの車中にて、グゥと大きく鳴った先輩のお腹の音を聴いて、私はそもそもなんで料理をしていたのかを思い出した。
「わっ、すみません! 先輩の分、来るとき先にあげればよかったですね」
「ええよ。どうせ喉通らへんかったやろうし」
荷物の中から、先輩の分の弁当箱を取り出して、渡す。
受け取った彼女が蓋をあけると、そこには綺麗に並んで詰めたお稲荷さんが並んでいた。
「はぁー、お稲荷さん。また、珍しいもんを」
「数を作ろうとすると、結構大変ですからね。こういう時だけの特別です」
言いながら私は、「ナイショですよ」と口の前で人差し指を立てて見せる。
「ほな、いただきます。お腹ぺこぺこやったんや」
行儀よく手を合わせた先輩は、お箸も使わずにお稲荷さんをひとつ摘まんで、口に運ぶ。
もぐもぐとしばらく咀嚼して、「おっ」と目を開いた。
「中身、おこわ? それで時間かかってたん?」
「ホントのおこわだったら、あの時間でも足りないですよ。お餅を使った、なんちゃっておこわです」
作り方は、さほど難しくない。
研いで給水したお米に、醤油、酒、みりん、お出汁を加えて規定量の水を入れる。
そこに人参、椎茸などお好みの具を乗っけるのだが、その前にお米の上にお餅を小さく刻んだものをまんべんなく散らす。
量は、だいたいお米二合に対して、市販の切り餅一個分くらい。
こうして炊き上げると、溶けたお餅がお米に絡んで、お手軽に食感だけおこわな炊き込みご飯ができるのだ。
「これ、うまいな。すごいもちもちで、本物のおこわみたいや」
「ご飯にしっかり味がついてるので、包むお揚げは出汁とお砂糖で香りをつける程度に留めてます」
「ふぅん。よう考えるなぁ」
先輩は、感心したように頷きながら、あっという間にお稲荷さんを平らげてしまった。
普段から、試合の合間の栄養補給何かもあって、食は早い部員のみんなだけど、とりわけお腹が減っていたのもあるんだろう。
「これ、ウチ好きやわ。また食べたいから、ナイショで作って?」
その言葉に、私はようやく確信というか……どこか、作り手として満たされた気分を覚える。
そうだ、やっぱり、今の私が欲しいのは、そのひと言なんだ。
「そんなこと言われても、ほんとに作れる時だけですよ」
「いけずやな、ほんま」
口では不満を言っているけど、指先についたお揚げの汁までちゅっと舐めとった彼女の表情は、笑顔だった。
美味しいものを食べさせたいという気持ちは、持っていて当然。
でも、一晩の食事でお客を満足させる料亭と違って、私の料理は一年中、ほとんど三百六十五日、みんなに食べて貰うことになる。
だからこそ、また食べたいって思って貰える料理――それが、剣道部寮の料理長・山辺なづなとして作るべき、私の料理。
それが定食屋の娘・山辺なづなの料理として正しいのかは分からないけど、私は、今の私が大切にしなければならない役目を精いっぱいに務めようって、そう思っている。
これで、おせちを作るお父さんに、少しでも近づけたかな……?
「いろいろと、心配をかけてしまったようですが」
はー子先輩がお弁当を食べ終えるのを待っていたように、先生が運転しながら声をあげる。
「確かに、今の寮の運営には至らない点――みなさんの自主性を強いている面が多いことは理解し、反省はしています」
「先生……でも、それは私たちも理解して、部のためにも必要なことだと思ってやっていることです」
「はい。私も、そう願っています」
語る先生の口調は、どこまでも続く雪道みたいにまっすぐ迷いが無く、むしろ自信と確信に満ちていた。
「この環境だからこそ得られる学びが、必ず皆さんの目標へ繋がっていると、私は信じています」
「全国制覇……口にしてしまえば、確かに大層思い目標やわ」
先輩が、自嘲気味に笑う。
「せやけど、できない約束はしない。いや、約束した以上は成し遂げる。何が何でも。どんなにキツイ道のりでも」
「はい。私も、先輩たちを全力でサポートします」
「えぇ? アホ言わんといて?」
マネージャーとして、心からの決意のつもりだったのに、先輩は諫めるように私を睨む。
「サポートやなくて、あんたもやるんや。観戦者やなくて、部員やろ」
「あ……は、はいっ」
言われた言葉を理解しては、私は背筋を正す。
応援するんじゃなくて、当事者になる。
そうだ、私だって一緒に苦しんで、泣きたくなって――それで最後に、私たちの全国制覇を成し遂げた時に、みんなと一緒に思いっきり喜んでやるんだ。




