第56話 故郷の味 ~しらすピザ~
「それじゃあ、ご指導お願いします! 料理長!」
「だから、私も初めて作るんだけど……」
意気揚々と敬礼するすずめちゃんに、私は丁寧に手を洗って消毒してから、発酵させた生地のひとつを取り出す。
ピザの作り方自体は、それほど難しいものじゃない。
生地ダネさえ作ってしまえば、あとは丸く伸ばして、具を乗せて、焼くだけだ。
「おお、意外と伸びないね。元の形に戻っていく力が強いみたい」
「そう。だから、これが結構重労働……なんだって!」
私は両手の指先を、交互に押し付けて、少しずつ生地を伸ばしていく。
これは……結構、疲れる。
テレビやネットの動画だと簡単に伸ばして、こう、クルクルーって宙で回したりするけど、いかに熟練の技なのかと思い知らされる。
「こ、こんなもんかな?」
それっぽいフリスビー状になったのを確認して、ようやくひと息。
ちょっといびつなところは、そっと生地を引っ張ってあげて形を円形に整える。
「こっからは時間の勝負だよ。ソースを乗っけたら、どんどん生地が緩くなって崩れちゃうから、大胆に手早く!」
今回は、定番のトマト味を作る。
ソースは言わずもがな、今日のメニューで出したサルサの流用だ。
隠し味で白だしを加えたのは、このためと言って良い。
「適量のソースをスプーンで生地に載せて、うすーく広げる。その上に溶けるチーズ、薬味にネギを散らして――最後にしらすを、ばばーっと埋め尽くすように!」
「おおー、具沢山たっぷり!」
生地の上に降り積もるしらすは、どこか雪みたいだなと思った。
最後に、上からオリーブオイルを垂らすようにかけて、軽く胡椒を振って完成。
「具を乗せたら、生地が千切れないように慎重にフライパンに載せて、コンロにかけるだけ。あとは焼ければ完成だよ」
「ピザってフライパンで焼けるんだね?」
「うん。昔は、宅配ピザとかもフライパンで焼いてたとこあるくらい、定番の焼き方だったみたいだよ。チーズに焦げ目とか欲しいなら、最後にバーナーで炙ればいいし」
「なるほどねー」
「じゃあ、すずめちゃんにバトンタッチして良いかな? フライパンあるだけ、どんどん焼いちゃおう」
「おっけー」
私が火の番をしている間に、交代ですずめちゃんが次のピザを作り始める。
「中心から外に広げるように……っと」
私と同じく初めてだと言っていたけど、彼女の手つきは手馴れているというか、生地を触ることに対しての遠慮が無い。
これは、普段から生地ものを扱いなれてるかどうかの差と言う奴だろうか。
「……あれ?」
彼女の手さばきに関心していると、ふと視界の端に炊事場の前を横切る人影がかすめた。
今乗って、もしかして――私は、慌ててすずめちゃんの肩を叩く。
「ごめん、すずめちゃん! ちょっとだけ離れる!」
「え? あ、うん!」
ほとんど返事も待たずに、私は廊下に飛び出した。
それから、遠く歩き去ろうとする背中に声をかける。
「安芸先輩!」
「……あ?」
安芸先輩が、機嫌悪そうな顔で振り返った。
それだけで気おされそうになってしまうけど、ここは勇気を振り絞って、そろりそろりと歩み寄る。
「あの……どこに?」
「部屋に帰る。食うモン食ったし」
「でも、ほら、まだメインとケーキもありますし」
「あー……別にいいわ。チキンとシチューで十分食ったし」
「そんなこと言わずに」
「んだよ……くどいぞ、お前」
安芸先輩は、一層不機嫌そうに私を睨みつける。
不断ならそれで引いてしまうところだけど、今日ばかりはそうもいかない。
別にケーキはいい。
でも、メインのピザだけは……これだけは、どうしても彼女に食べて欲しかった。
「なづなちゃーん。いい感じに焼けてるっぽいよ」
炊事場の方から、すずめちゃんがひょっこり顔を出して私を呼ぶ。
「じゃあ、これだけ! これだけ食べてってください!」
「これだけって、何を――」
その時、不意に辺りに香ばしい小麦の香りが広がった。
焼きたての、ちょっとおコゲ感もある、甘ーい生地の香り。
安芸先輩の鼻先も同様のものがかすめたのか、彼女は小さく鼻を鳴らしてからちらりと辺りを見渡す。
「まあ、それだけなら」
「はい! じゃあ、どうぞどうぞ」
気持ちが変わる前に――私は、先輩を炊事場に押し込むように誘った。
「ピザ? 良くこんなん作るな、お前ら」
調理台の上に、皿に盛られた焼きたてのピザがあった。
パリパリに焼けた生地に、とろーり熱々のチーズ。
それから、ふっくらつやつやに炊きあがったようにも見えるしらすが、ほんのり海の香りを漂わせていた。
「最後に、バーナーで軽く炙って……と!」
すずめちゃんが、仕上げのガスバーナーで表面を炙る。
途端に、磯焼きじみた潮の香りがふわっと部屋中に漂う。
これは……食べなくても分かる。
絶対に、うまい。
最後に、この日のために通販で買っておいたピザカッターでザクザクと切り分けて――しらすピザ(トマト味)の完成だ。
「ささ、熱いうちにどうぞ」
「急かすなよ。別に逃げねぇよ」
先輩は、切り分けたピザの一切れを手に取る。
たっぷり乗せたしらすは、溶けたチーズが絡んでなお生地から零れ落ちそうで、それをひと息に口に頬張る瞬間は、見ているこっちも思わず喉が鳴った。
安芸先輩は、しばし無言で咀嚼した後に、ごくりとひと息で飲み干す。
「良いしらすだな」
「え?」
「ワタの苦みよりも、身の甘みの方が強い。しっかり栄養を取って育ってるしらすの証拠だ」
「ああ……はい、すごく、立派なしらすでした」
「釜揚げなのが勿体ない。どろめなら、もっと旨いだろ」
「どろめ?」
「生しらすだ。地元じゃよく食ってた。醤油じゃなくて酢味噌で食うんだよ。ニンニクとか薬味を効かせて」
「味噌、ですか……それ、ありかも。ねえ、すずめちゃん」
「やってみる!」
「は?」
理解の追い付いてない安芸先輩を余所に、私はすずめちゃんと一緒にソースの改良を始める。
もとの白だしのサルサソースに、味噌と刻みニンニクを適量で混ぜ込む。
酢の酸味は、トマトの酸味で代用ってことで良いかな。
出来上がった即席ソースを、すずめちゃんが作りかけていた生地に乗せて、同じように具材をたっぷり散らして――焼く!
「――ということで、即席トマ味噌ソースのしらすピザです! ささ、熱いうちに」
見た目は、先ほどの試作と大きく変わったところはない。
先輩は、とてもめんどくさそうな表情をうかべて、大きなため息をつく。
「ほんとにこれで最後だぞ」
「はい、ほんとに」
念を押されて、先輩が新作ピザの方に手を付ける。
同じく、こんもりと盛った釜揚げしらすが零れないように、生地をスプーン替わりにするようにして掬って、一気に口に放る。
しばらくモグモグと咀嚼して――今度は、飲み込む前にはたと、目が見開かれた。
「……うめぇ」
ぽつりとつぶやいて、ようやく飲み込む。
手に持った齧りかけのピザも、すぐに口の中に放って、今度はほとんど噛まずにがっつくように飲み下す。
「めちゃくちゃ旨いな、これ」
「ああ、良かった! トマトに味噌だから、絶対に合うと思ったんです。味噌の旨味とトマトの旨味って、すごく相性が良くって」
「初めて食ったのに、なんか懐かしい味がする。これって――」
安芸先輩の視線が、調理台に置かれたしらすのパッケージで止まる。
「……この間のアレか」
ようやく理解したのか、途端に辺りの空気がずんと重くなる。
怒りとか、そういうんじゃない、ただただにじみ出る嫌悪感。
ここで逃げたらダメだと思って、私は真っ向から立ち向かう。
「先輩のご実家から送られて来た荷物の……中身です」
「処分しろつったよな?」
「それは……はい。でも、こんな立派な食材を前にして、捨てるって選択肢はなかったので」
「お前な――」
先輩が、今度は明確な怒気を纏って私に迫る。
思わず身構えてしまったけど、不意にバタバタと、食堂とを繋ぐカウンターの辺りが騒がしくなった。
「あ! ピザつまみ食いしてる!」
「ずるい! こっちにも出してよ!」
匂いに釣られたのか、パーティー中だった部員たちがカウンターに集まっていた。
「今、試しに作ってたとこで! すぐにみんなの分焼きますからー!」
すずめちゃんが、慌てて部員たちに説明する。
その間に安芸先輩は、興がそがれたのか舌打ちをひとつ吐き捨てて、ドカドカと炊事場を出ていく。
「邪魔したな」
「あ、ちょっと――」
ピザの方は、すずめちゃんにお任せして大丈夫……かな?
それとなくアイコンタクトで「あとはお願い!」と送って、私は先輩の後を追う。
「安芸先輩!」
慌てていたせいか、彼女のジャージの袖をむんずと掴んでしまった。
先輩は、うっとしそうにそれを払いのける。
「なんだよ。うるせぇな」
「あの、これ!」
私は、彼女の目の前にもうひとつの荷物――平べったい包装紙を突き付けた。
「この間の荷物に、一緒に入ってたものです。その……ごめんなさい。これも、捨てられなくって」
先輩は、無言で差し出されたプレゼント包みを見つめる。
感情の読み取れない無表情……いや、半ば無関心とも思える冷たさに、背筋が震える。
「気にすんな。捨てとけ」
「ダメです、そんな……ムリです、私には!」
先輩のご両親が、どういう気持ちで荷物を送ったのか、私に想像はできても真実は分からない。
だけど、単に私の立場だけで言えば、私はかつて両親に迷惑をかけてしまった側の人間だから――親という存在の言葉や助言を、ないがしろにするという考えが、ない。
だから、理由がなんであれ、両親の反対を押し切って沢産へやってきた安芸先輩のことは、理解ができない一方で、すごいとも思った。
私とほんのひとつ先輩なだけの――こんな歳で、自分のやりたいことがハッキリして、そのために行動できるのが羨ましいとすら思う。
「先輩……ピザ食べて、故郷の味、思い出したんですよね」
私は、プレゼントを突き付けたまま、絞り出すように口にする。
「だったら、捨てちゃダメです」
押し付けるように、プレゼントをずいと差し出す。
先輩はまた、しばらくじっとそれを見つめた後に、ひったくるようにして受け取ってくれた。
「……あ!」
かと思えば、私の目の前でビリビリ包装を破くように中身を開封する。
包みの折り目を丁寧に開こうなんて気の毛頭ない、豪快な開きっぷりに唖然とする。
「それって……サポーター?」
中から出てきたのは、スポーツ用のサポーターだった。
そう言えば、晴海さんたちも安芸先輩用のプレゼントに、サポーターとかテーピングとか買ってたな。
「先輩って、どこか怪我してるんですか……?」
素朴な疑問に、先輩はプレゼントを見つめたまま答えてくれた。
「昔、家族でキャンプに行った時に不注意で脚の骨折ってから、ずっと膝に違和感がある。別にプレーには支障ないが」
「あ……そう、だったんですね」
「小学校とか、そんなガキの頃だ。怪我はとっくに完治してるし、違和感との向き合い方も心得てる。でも、いつまでもガキのまんまなんだよ、あいつらにとっては」
その語り口は、心底うんざりした様子だった。
「手の届くところに置いておかないと、信用がねーんだ。何かしでかすんじゃないかって」
「そんなこと……単に、心配してるだけだと思いますけど」
「同じことだろ」
先輩はそう言い捨てて、破り取った包装紙を私に押し付ける。
「これ、捨てとけ」
「あ、はい。あの、そっちは?」
私は、彼女が持ったままのサポーターを指さす。
「捨てられないんだろ。だったら自分でどうにかする」
「どうにかって……捨てないでくださいよ!」
「考えとく。あと、ピザはうまかったわ。残ったら明日食うから取っといてくれ」
「え!? た、たぶん、残んないと思いますよ!」
ゾンビのようにカウンターに群がってた部員の様子を見れば、あるだけ全部食いつくされる様が、存分に想像できた。
「じゃあいいわ。年末帰った時に、どっかで食えんだろ」
そう言って、彼女は自分の部屋へ帰っていった。
これで、良かったのかな……?
良かったと言えるのほどの自信は、ない。
でも、今の自分にできる精一杯だったと思う。
贈り物を「美味しい」と食べて貰えた――ただ、それだけで。
故郷の味。
生まれてこの方、故郷から出たことのない私には、生まれてこの方感じたことの無い感覚。
遠く地元を離れてこの寮で暮らすみんなの気持ちを、私は知らない。
それでも、この場所が第二の故郷みたいに思ってくれたらいいなって――私は、そう思う。




