第51話 ノエル
その日の夜、私は自室の布団に寝転がって、ノートに向かっていた。
開かれたページに書かれているのは、パーティ当日のメニューだ。
クリスマスだし、チキンとケーキは欠かせない。
しかし、この人数だし、骨付きチキンとホールケーキを人数分用意するのは、バイトする暇もない剣道部員の懐事情的には厳しいものがある。
とりあえずチキンに関しては、鶏もも肉をパリッと照り焼きにすれば、ぽいものが作れるかな。
ケーキは……うーん、作ってみても良いんだけど、心得は無いのでそれほど自信はない。
カップケーキをクリスマス仕様にする、なんてのもアリ?
何かしら手はありそうだ。
「うぅ、さむ」
足元から震えが上ってきて、私は掛け布団の中に潜り込む。
灯油がまだ届いておらず、とりあえずエアコンの暖房で凌いでいるが、骨まで冷える山形の冬を乗り切るには、どうにも心もとない。
……震えのついでに、トイレに行きたくなっちゃった。
このうえ、暖房すらない廊下に出るのはちょっと憚られたけど、生理現象には抗えない。
私は、毛糸のカーディガンに重ね履き用のズボンも身に着けて、しばれる廊下に足を踏み出した。
「さむさむさむ」
声を出したからと言って、寒さが和らぐわけではないが、ストレスを吐き出すくらいの意味はある。
剣道の気合と似たような理屈なのかな、なんて思いながら、共用トイレで用を済ませて、これまたキンキンに冷えた水道で手を洗った。
早いところ部屋に戻ろう。
そう思って廊下に戻った時、向こうから話声のようなものが聞こえる。
誰かが、通話をしているようだった。
「――じゃき、いらんて」
うんざりしながら嗜めるような、そんな声だった。
独特の方言は、合宿所で過ごしていて初めて聞いたものだったけど、声からそれが安芸先輩のものであることは、すぐに分かった。
「そんなが、わざわざ送ってくる親おらん。前も、他の部員に笑われたが……おう……おう」
砕けた印象と話しぶりを見るに、どうやら相手は地元のご家族のようだ。
どうしよう、部屋に行くのにあっちの方へ行かなきゃいけないんだけど。
動けずにいると、その後短いやり取りを済ませて、通話が終わった。
独特な冬の静けさの中に、乾いた溜息が響く。
「……あ?」
「あ」
ふと――おもむろに振り向いた安芸先輩と、目が合った。
さっと血の気が引いて、この寒さの中でまだ体温が下がるんだーなんて、現実逃避に似た考えが頭の中をめぐる。
それは、どこか走馬灯にも似ていて、気分的にはまさに蛇に睨まれた蛙……いや、虎に睨まれた兎だった。
「あの」
気まずさで声が詰まる。
電話のことには触れないほうが良いよね。
でも、この場を切り抜けるようなうまい言葉なんて思いつかなくって。
とにかく何か、話題……話題……。
「あ……安芸先輩、そういえば、もうすぐお誕生日なんですよね?」
「あぁ?」
さっきよりも、激しい怒気を孕んだ目で睨まれる。
つい日中モールで聞いたことを口走ってしまったけど、どうやら逆効果だったみたいだ……ひぃ。
そのまましばらくにらみ合っていると、やがて安芸先輩の方から舌打ち交じりに視線を外してくれる。
それから、機嫌が悪そうに肩をいきらせて、私の横を通って自室に帰っていった。
「次、その話したら殺すぞ」
すれ違いざまにかけられた言葉は、とてもじゃないが冗談には聞こえなかった。
翌朝。
私は、食器洗い当番だった鈴奈先輩に、昨晩の話をした。
「ああ、ははは。そりゃ、難儀なとこに居合わせたね」
「安芸先輩って、親と仲悪いんですか?」
「うーん、詳しく知ってるわけじゃないけど。ウチに来るの、相当反対されたっては聞いてる」
「そうなんですね」
まあ、四国から東北だもんね。
同じ強豪校にしても、関西や、それこそ四国内にだっていくらでも選択肢があるだろう。
そんな中で東北の田舎町、しかも寮住まいだなんて、ご両親からしたら突拍子もない進路だったに違いない。
「結果として来れてるから、納得はさせたんだろうけど。心配はかなりしてるみたいで、ちょくちょく電話来てるのは見てる。たまに仕送りも――ああ!」
ポンと、鈴奈先輩は何かを思い出したように手を打った。
「それかー。あったわ、あったわ」
「何がですか?」
「安芸のサンタさん事件」
なんだそれ。
「安芸の誕生日、クリスマスイブなの知ってる?」
「はい。九条派の子から聞きました」
「去年とか、クリスマスはとっくに帰省期間だったんだけど、安芸はギリギリまで家に帰りたくなくてこっちに残ってたのね。んで、帰省とか無い地元の子たちと自主練してたらしいんだけど、そこに仕送りが届いたんだって。誕生日プレゼント」
「はあ」
「これが、思いっきりクリスマスっぽい包装紙で届いたらしくてさ。ツリー柄にサンタのシールまでついて」
なんか、イメージができた。
きっと赤いリボンとかもついてたんだろうなとか、実に微笑ましい光景だ。
「そんなん届いちゃったらさ、まあみんなだってまだガキだし、悪ノリしちゃうわけよ。サンタさん来たじゃ~ん、みたいな」
「ああ……それは、安芸先輩めちゃくちゃキレそう」
「いやあ、そう。すごい怒ったって。暴れたって。後から聞いたんだけど、安芸ってクリスマスが誕生日なのが、昔っからめっちゃ嫌らしいよ」
「なんでですか? なんか、特別な日感あっていいのに……」
「まあ、いろいろ? 小さいころはプレゼントが誕生日とクリスマス一緒だったり。周りの子は、それぞれ貰ってるのにーみたいなのとか」
ああ、やっぱ思うんだ、それ。
「ちょっと知識ついてくると、それこそ宗教的な意味で揶揄られたり。救世主だーみたいなのとか。極めつけは名前」
「名前?」
「安芸の下の名前知ってる? あいつ、絶対に下の名前で呼ばせないから、たぶん下級生は知らないと思うけど」
私は、無言で首を横に振る。
そう言えば、みんな「安芸」ってしか呼ばないし、聞いたことがない。
鈴奈先輩は、辺りを見渡して誰も居ないのを確認してから、顔を寄せて耳元で囁くように教えてくれた。
「安芸乃笑瑠っての」
「うわぁ」
可愛くて、いい名前だと思う。名前そのものは。なんか、お姫様みたいで。
でも、安芸先輩のあの性格で、この名前は、本人も受け入れがたいだろうなって同情もする。
「そっから、もう実家とバチバチ。年末年始は帰らないってまで言いだしたけど、先生に説得されてどうにか帰省したみたい。合宿所も閉めないとだしね」
「そんなことがあったんですね……ちなみに、肝心のプレゼントは何だったんですか?」
「それは知らない。まあ、そんな状況で開封会なんてしないよね」
「それもそっか」
と言うことは、昨日の電話は、その誕生日プレゼントの話か。
うわぁ……そんなとこで誕生日の話なんて持ち出したら、そりゃ殺すなんて言われるよ……命があって良かった。
「そういうわけで、クリスマス会の時は、安芸の誕生日は絶対に触れないで。楽しい会にしたいでしょ? 触らぬ神に祟りなしってね」
「わかりまし……あっ」
頷き返そうと思って、昨日の買い物のことを思い出す。
「どしたの?」
「あ、いえ……その」
あの時、歌音さんたち、安芸先輩のプレゼント買ってたな、確か。
あれ、非常にマズイかも。
「一年には私から言っときます」
「うん、それがいい。二年以上はたぶん、言わずとも触れないと思うから」
そう言って、鈴奈先輩は「よろしく~」と私の肩を叩いた。
今、ここで聞いておいてよかった。
知らずに当日を迎えたら、せっかくのクリスマス会がめちゃくちゃになるところだった。
ふたりには――いや、他にもひそかに検討してた一年生は居るかもしれないし、これは徹底して周知しておかなくっちゃ。
でも……年に一度の誕生日をお祝いしないのも、なんか寂しいな。
そう思うのは、私のエゴだろうか。




