第17話 桃色リップ ~カブとセリの混ぜご飯~
翌朝――私は、いつも通りに大量のお米を炊飯器にセットしてご飯を炊く。
今日は、合宿最終日。
大人数で泊まりはしないが、今日の打ち上げの夕飯までで二泊三日の日程はすべて終了だ。
道場では、新人戦のレギュラーをかけた勝ち抜き戦が行われる。
上位陣がレギュラー候補となり、その結果は寮生の入れ替わりに発展することもあるという。
「鈴奈先輩……頑張って欲しいなあ」
どう頑張ったって、実力の差は覆せないことはあるだろう。
だけど、あんな話を聞かされたら応援したくなるのが人間だ。
それに鈴奈先輩は、瀬李部長のルームメイトでもある。
いきなりルームメイトが変わったりしたら、それはそれで寂しいだろうな――なんて。
「……よし、やるか」
私はエプロンを締めて、重い冷蔵庫の扉を開いた。
今朝は、本当はお茶漬けバイキングにする予定だった。
ほぐし鮭や梅干し、昨日の山形だしの残り、薬味、お漬物なんかの具を沢山用意して、好きにご飯に盛り付け、お茶漬けにして食べて貰うというものだ。
だけど予定変更。
まず真っ先に、お味噌汁に使う予定だったカブを取り出す。
カブは、葉っぱの部分を落として、皮を厚めに剥く。
それから、葉っぱを含めておよそ1センチ角くらいに粗みじんにする。
カブは、白い部分が根菜で、葉っぱは緑黄色野菜という、捨てるところのない畑の王様だ。
剥いた皮は繊維質で固いけど、これもあとできんぴらにしていただく。
ちなみに、白い部分も根っこでなくて茎だという話。
これは豆知識としてね。
カブの次は、今夜のお鍋で使う予定だったセリ。
旬は冬から春にかけての野菜だけど、今や年中手に入る定番野菜になって新しい。
これは、ザクザクと食べやすい大きさに切っていく。
それから、梅干し。
半分に割って種を取り出してから、全体をほぐすように荒く叩く。
以上で、食材の準備は完了だ。
業務用コンロで中華鍋を火にかけ、チンチンに熱する。
合宿期間中、この子には本当にお世話になったね。ありがとう。
おかげで、腕と背中がすっかり筋肉痛になってしまった。
半分は、昨夜のサーキットトレーニングのせいでもあるけど。
鍋を熱したら、鶏ひき肉を放り込んで、軽くそぼろに炒る。
本当は、つみれにしてお鍋に入れる予定だったけど、ここもメニュー変更だ。
全体かポロポロとしてきたら、醤油、お酒、砂糖、白だしを加えて煮絡める。
んん……この時点で既に美味しそう。
ご飯に乗っけて、刻みのりをふりかけて食べたい。
だけど、今日はここに先ほど切ったカブを投入する。
透明になるくらいに火が通ったら、カブの葉とセリ、そして叩いた梅干しを入れて、サクッと混ぜ合わせる。
シャキッと食感が好きなら軽く。
くたっとしたのが好きならしっかりと。
今回は、前者で。
鍋いっぱいのかやくができあがったら、炊き立てのご飯を桶に取り出す。
しゃもじを通すと、甘く立ち上る湯気と一緒に、つやつやの白米が桶の中でさらりとほぐれる。
いい炊きあがりだ。
しゃもじ越しに、粒ひとつひとつの立ち上がりが、指先に伝わってくるみたい。
ここに、さきほど作ったかやくを投入。
あとは、力いっぱい、混ぜ合わせる……!
なんか、今回の合宿中、こんなんばっかりだな。
人数が人数だから、あきれるほどに力技だ。
意図せず、私自身のトレーニングにもなっていたかも……?
あとは、茶碗に盛り付けた後に上からゴマを散らせば――『カブとセリの混ぜご飯』の完成。
付け合わせに卵焼きと、カブの皮に人参を加えたきんぴら、お漬物、そしてお豆腐の味噌汁を添える。
これが合宿最終日、最後の朝ごはんだ。
「じゃあ、いただこう」
「いただきまーす!」
早朝のランニングを終えた部員たちが、一斉に箸をとる。
「今朝は、炊き込みご飯? 朝から豪勢じゃん」
「いえ、今日のは混ぜご飯です。葉野菜を焚き込むと、ぐずぐずになってしまうので、別にして後から混ぜたほうが食感が良いんです」
「ほんとだ~。葉っぱシャキシャキ。カブもめっちゃ甘いし」
「真夏の朝に、梅干しが染みるよね。はぁ……このご飯が、もうしばらく食べられなくなるなんて」
「だよねー。この卵焼きも、じゅわっとお出汁が利いてるし。寮生、ズルすぎ」
「ズルいと思うなら、奪えばいいんよ。今日は、そのチャンスなわけなんだからさ」
一瞬、会場にピリッとした緊張が走る――が、それはそれとしてお腹が空いているのか、みんな最低一杯ずつはお代わりをしてくれて、桶いっぱいの混ぜご飯も米粒ひとつ残らず綺麗に完売となった。
「やー、食った食った。お腹いっぱい」
「三〇分後に道場に移動だ。そのまま寝るなよ?」
「はーい」
瀬李部長に締められて、それぞれもぞもぞと稽古の支度を始める。
それを横目に、私は洗い物を抱えて炊事場へと引っ込んでいくのだった。
「それじゃ、こっちも洗い物しますか……あー、あと、夜のメニュー考え直さなくっちゃ。でも、その前に……!」
寒くはない、むしろ蒸し暑いくらいなのに、小さく身震いする。
実は、さっきからずっとトイレを我慢していた。
食事中は、給仕係で動きっぱなしだからなかなかタイミングが無いんだよね。
「あっ」
寮の共同トイレへ向かうと、鏡に向かってメイク道具を広げる鈴奈先輩の姿があった。
「ん? 誰も入ってないよ」
「あ……はい、ありがとうございます」
声をかけてくれた先輩の横をすごすごと通って、私は個室で用を足す。
まさかこのタイミングで会うなんて……昨日までとは、また違った意味で気まずい。
ほんの二、三分でメイクが済むはずもなく、トイレを出てからも鈴奈先輩はそこにいた。
仕方なく、彼女の隣で手を洗う。
「朝ごはん、美味しかったよー」
「ありがとうございます」
「あれってさー、あたしに向けたメッセージのつもり?」
「うっ」
ギクリとして肩をすくめる。
「カブとセリ……スズナとセリ。あからさますぎ。食べながら笑っちゃったもん」
「それはどうも……」
「農産科の子たちは気付いてんじゃないかな。意図までは気付かないにしても、言葉遊びとしては」
「あはは、ちょっと恥ずかしい、かも」
アイラインを引いた先輩が、瞼をパチパチさせてから、私を見る。
それから、ニッと歯を見せて笑った。
「まー、元気出たよ。ありがと。乗せられたみたいなのは癪だけど」
「え、それじゃあ?」
「やれるだけ頑張ってみる。ぶっちゃけ、諦めモードではあったけど、別に勝負を棒に振るつもりではなかったし」
「そうなんですね?」
「そうなんですね――って、そうだと思ってたの? そっちの方が心外なんだけど! これはお仕置きが必要だなぁ」
「お、お仕置き!?」
ぎょっとして後ずさる私だったが、すぐに先輩から「動かずに目を閉じる!」と強めに命令されてしまう。
仕方なくその場で棒立ちになるけど、いったい何をされるんだろう。
不安と緊張で心臓がバクバク言い始めたところで、唇に何かひんやりとした感覚が乗った。
「いいよ。目開けて、鏡見てみ?」
「あ……わぁっ」
鏡を見ると、自分の唇が艶っぽい桃色に照り輝いていた。
「鈴奈先生のメイク講座おためし編、桃色リップ。どう? 表情もぱっと明るくなった気がしない?」
「すごい。唇がちょっと明るくなっただけなのに、全体が鮮やかになったみたいで――」
これってつまり、アレだ。
「サラダのトマト、煮物のニンジン、炒め物のパプリカですね!?」
「例え方ぁ。でもまあ、メイクと料理って似てるとこあるかもね」
「そっかぁ。なるほどなぁ」
「つまり、料理のセンスがあるなづなちゃんは、メイクのセンスもあるかもってこと」
メイク道具をポーチに仕舞い終えた先輩は、パチンと指を鳴らして私を指さす。
「本気で習う気があるなら、いつでも部屋に遊び来な。瀬李だっているし――あ、授業料で何かおやつを持ってくること!」
「あはは、わかりました。用意していきますね」
「絶対だよ? 楽しみにしてるから」
そう言い残して、先輩は化粧室を去っていった。
その背中には昨日までのような重苦しさはなく、溌溂とした前向きな元気に包まれていたような気がした。