終章 さらばアロイス。安らかに眠れ。 第1話 「大軍師リクソン」誕生
エレーナ峠戦の衝撃的な敗戦の報が入った直後から、ホランド国内の世論は騒然となった。2万人の兵士全員が殆ど抵抗もできずに投降してしまい、あろうことか領土までが侵害され、エレーナ村が占領されてしまった。
しかし、アロイスは、人質にとった村には全く危害を加えることなく、首都に使者を送り込み、「来月、ゲルマーで講和の話し合いの席が設置されるので、参加されたい」と申し入れてきた。そして、驚いたことに、せっかく捕虜にとった2万人の兵士のうち、労働力として期待できる独身の若者を除いた15000人を、マケドニー経由で返還してきたのある。
むろん、それには、(そんな多くの捕虜は抱えきれない)という経済的な理由もあったが、帰って来た捕虜たちは、涙ながらに家族と抱き合ったのち、口々に「アロイス王は慈悲深くて、優しい人だった」「全員焼いて埋めてしまえば手間も費用もかからないのに、そうしなかった」「エリトニーに残された者も、戦争が終わったら帰ってくるか、エリトニーで働き口を見つけるだろう」と言い、アロイスを褒め称える噂を広めた。
それで、これまでホランド政府によって、アロイスを「ホランドの富を掠めとる反逆児」「国民を苦しめている小悪魔」と思わされていたホランド国民も、(アロイスは話と全然違って、実は立派な賢王なのでは?)(エリトニーは経済も文化も発展が著しい。仲良くした方がいいのでは?)と、認識を改めざるを得なかった。
それで、ホランド国内は、講和を望む声で一色となり、それだけではなく、「アロイス王は、若くて優秀だ。うちの王様とえらい違いよ」「ほんとだな。王様を取り換えて欲しいくらいだ」などという、不穏な話も堂々となされるようになり、国民のゲルンハルトに対する失望感が募っていったのだった。
そこに、ゲルマーから講和の使者として、副大統領のクラウスがやってきた。
「来月、中立国ゲルマーにおいて、エリトニー、スロベニー、マケドニーも招いて、東ナーロッパの秩序構築の話合いの席を設定しますので、ホランドからも是非おこし下さい」とのことだった。
ゲルンハルトとしては、「徹底抗戦!」と追い返したいのは山々であったが、国内世論の高まりを考えるとそれも躊躇された。それで、とりあえずは、丁重にクラウスをもてなして、「ありがとうございます。話合いの席に着くこと自体は拒むものではありません。外務大臣を出席させたいと思います」として、話合いによる講和にも含みを持たせたのだった。
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そのゲルンハルトは、今、王の間で、姿見(大きな鏡)の前に立っている。
190㎝を超える堂々たる体躯。64歳の年相応に、髪は白く、顔には深い皴が刻まれているが、それも40年来この大国を統べて来た威厳のようなものに見えなくもない。
白いタイツにブラウンの膝上ブーツ。ピッタリしたブリーツ(半ズボン)に、上は紺のウェストコート(チョッキ)。それに金の縁取りの入った赤いビロードのマントに、金細工をあしらった黒檀のステッキ。頭上には、200を超える宝石をちりばめたクラウンが煌びやかな光を放っている。
全身から立ち昇る、大国の王者の威厳。
と、そこに、ノックの音が響き、「ゲルンハルト様。参りました」と、低く穏やかな声がして、ゲルンハルトが「いいぞ。入れ」と返すと、スッとドアが開き、東洋風の男が直立して「ビっ」と敬礼して部屋に入ってきた。
「お呼びでしょうか」 リクソンが、鏡の前まで歩を進める。並んでみると、ゲルンハルトの胸くらいまでしかない。
ゲルンハルトは、リクソンの貧相な体形と、これと言って特徴のない地味な顔を見下ろした。風体は上がらないが、前から、飛びぬけて優秀だということは聞いていた。防衛大学では1年次からすべて主席。実際に「若いけれど軍師団長に相応しい人材」と推挙の声も上がっていた。
しかし、(どうもアロイスと通じているのではないか)という噂と、なによりリクソンが中国からの移民の子だったので、自分たちの地位や既得権が脅かされる貴族出身の官僚の反対が大きく、抜擢を見送って来た経緯がある。ゲルンハルト自ら、名門貴族であるクリフ家の娘を妻とし、その後ろ立てで兄を出し抜いて王になったことから、その見返りに妻の兄のダミアンをエリトニー総督に任命した位だ。
このように、ホランドでは貴族中心に階層社会が出来上がっているため、大抜擢は「家柄から能力へ」という社会全体の在り方を根底から覆すことになりかねず、体制崩壊の危険も孕むものだった。
ゲルンハルトは、そんなことを考えつつ、不機嫌な口調で、
「エレーナ峠でなぜ負けたのか正直なところを教えてくれ。ろくに戦いもせず、全軍が投降するなど前代未聞だ」と問い質し、その視線を静かに受け止めたリクソンは、「火責めの危険を顧みず、雨の日を待たずに自ら身を投じたからです。全員焼け死ぬか、投降するかという二者択一を迫られたら、是非もないと思います。兵糧の残りが少なく、突撃せざるを得なかったという事情は分かりますが、それであれば、いったん撤退した方がずっとよかったでしょう」と述べた後、わずかに息をついて、「ただ、エリトニーは、また見たことのない新型兵器を投入してきました。返されてきた捕虜から聴き取ったところ、どうも火薬を円形に丸めた爆弾と、超遠距離から正確に狙撃することのできるライフル銃があるようです。初見では対応しようがありませんから、たとえ私が指揮を執っても、勝てなかった可能性が大きいと思います」と正直に答えた。
「そうか。まだ22歳と聞くが、アロイスとはそこまでの男か」
「はい、常に人の想像のはるか先をいく、全能の天才です。軍事だけではなく、政治経済の才能も高レベルで備えています。私も一度だけ直接言葉を交わしましたが、人品も素晴らしく、そのために優秀な人材がどんどん集まってきているのです。実際、ウチの騎兵のエースだったジョナタンもエリトニーについてしまいました」
「まったく、どいつもこいつも、『アロイスアロイス』と、腹の立つことだ! 近頃では、巷間で、堂々とアロイスと余を取り換えて欲しいなどと言われているんだぞ!」
「アロイスはアロイス。陛下は陛下ですよ。認めるべきところは認めて、そのうえで対策を練ればよいのです」
「では、どうすればいい。今、講和の話が来ているんだが」
「手を繋げばいいではないですか。アロイスの能力を、我が国にも役立てて貰いましょうよ。共存共栄も望めると思いますよ」 そう、リクソンは思ったことを率直に口にした。もはや、この国に大きな期待をすることはできない。もしクビにされたらされたで、それを機に、エリトニーかゲルマーに亡命しようと考えていたからである。
「嫌だ! 絶対に嫌だ! あの小国を相手に二つも惨敗して、経済を低迷させて、『老害』のレッテルを貼られたままでは、死んでも死にきれない! 奴と絶対に握手などできない!」
「……」
「だ、だから講和するとしても、一度でいい、アロイスに勝ってからにしたいんだ!」
そう叫んだあと、ゲルンハルトは、急に悲し気な眼になって、肩を落とし、
「なあ、リクソン……。余が、貴族中心の封建体制を変えられなかったのは確かだ。それが我が国を停滞させていたことくらいは分かっているんだ。だが、自分もその中で育ち、周りもそれを所与の前提としている中では、改革の旗を振りづらかったんだ。昔はそれでちゃんと回っていたからな。どうか理解してくれ……」 と言い、「もう我が国は倒れかけている。抵抗は大きいだろうが、余も含めて、人事も少しずつ変えていくから……」と、そこまで言ったところで、急に「ブワっ!」っと、眼尻から大粒の涙をポロポロとこぼし、ヘナヘナと力なく膝をついてしまった。
そして、あろうことかリクソンに両手をつき、頭を下げたところで、「ズゴっ」とクラウンが大理石の床に落ちて、宝石がコロコロといくつも転がり、禿げあがった肌色の頭頂部が露わになった。
「リクソン軍師殿! あなたを軍師団長、いや『大軍師』に任命させて頂きます! 今まで本当に不当な扱いで申し訳ありませんでした……。ですから、この私を、一度でいいですから、アロイスに勝たせて下さい! お願いします! お願いします……」
リクソンは、恥も外聞もかなぐり捨て、涙ながらに懇請する皇帝を静かに見つめる。これでも若い頃は、王族としてはかなり優秀だった。圧倒的な存在感と強力な個性で大国を率い、祖国繁栄の情熱に燃えていた。
しかし、硬直した官僚体制を変えるところまでは至らず、なにより経済が内陸の交通から海運にスイッチする過程で、英雄王ウォレムが登場し、エリトニーが独立したのが痛かった。その後は衰退する国勢を立て直すことができず、今やホランドはナーロッパ中で「死にかけた巨象」と言われている。
時代に取り残された、老雄。
今、リクソンの目の前には、往年の偉大な雄姿など見る影もない、落ちぶれた支配者の姿がある。しかし、ようやく、彼は、ここにきて自らの道程を悔い、苦しみ続けた心を正直にさらけ出している。変わろうとして、自分に手をついて懇願している。
リクソンは、そっと膝を床に付け、ゲルンハルトの肩に手を置き、「陛下、勿体ないお言葉でございます。お顔を上げて下さい」と言って、ゲルンハルトが涙と鼻で濡らした皺だらけの顔を上げたところで、「分かりました。微力ながらお力になりましょう。こちらにもダメージはありますが、一つだけアロイスに勝てる方法があります。たった一つあるアロイスの弱点を突くのです」
「弱点?」
「はい、それは、アロイスの心です。人民や兵士を愛する心。そこを突くのです」
「心を突くとは?」
「今回見ていて分かったでしょう? アロイスは敵味方問わず、人を愛し、大切にする。エレーナ峠では、焼き殺して谷底に埋めた方がずっと安上がりなのに、それをしなかった。捕らえた捕虜も大切に扱う。もちろん、それは美点であり、彼を賢王たらしめているわけですが、その慈愛の心にこそ彼の弱点があります。自分が愛した人たちが苦しむのを見ていられない、そういうところです」
そう言って、リクソンは微笑み、「ゲルマーでの講和の話し合いはできるだけ引っ張ってください。そして、私のOKが出たところで、拒絶して引き揚げて下さい」
「そんなことをして、エレーナ村の人質は大丈夫だろうか?」
「大丈夫ですよ。アロイスは人質の一般市民を殺すような男ではありません」 そう諭すように言ったあと、続けて、「講和の間、陛下は、各地の兵隊を統合しながら、スロベニー国境まで来てください。5000人もいれば十分です。私は先にスロベニーに使者として入って、話を通しておきますから、私に予め交渉の条件を与えて下さい」
「条件とはどんなものだ?」
「それは……」 そう言ってリクソンがゲルンハルトの耳元で小さく囁くと、それを聞いたゲルンハルトが目を見開いて、「そ、それは……本気で言っているのか?」と絶句する。
リクソンは、「ですから、ご判断はお任せしますよ。私は、『一度でいいから勝ちたい』という陛下のお言葉に副いたいだけなんですから」と言った後、少し斜めの目線で王を見下ろし、「でも、それを飲んで頂けないなら、このお話はお引き受けできません。大きな成果を手にするには、相応の犠牲は必要ですよ」と言って、口の端でニヤっと笑った。
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こうして、今日、ついにリクソンが、斜陽の大国ホランドのトップに抜擢された。
遅いくらいであったが、追い詰められたホランドの官僚主義の分厚い壁がついに崩れた瞬間でもあった。
単なる軍師団長ではなく、何十年も空位であった「大軍師」に就任したリクソン。
だが、彼はそんな肩書など、どうでもよく、早くもスロベニーでのロビー活動に思いを馳せたのであった。




