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第12章 オマケ 私が愛したスパイ

(ベラの視点です)


「ベラ、今日の仕事ヤマはチョロいから俺一人で十分だぜ。じゃ、行ってくる」 そう言って、カンネイは腰に差したダガーを確かめ、一人で出て行こうとする。

 

 いつもそう。本当に危ない時は私を連れて行ってくれない。

 今日はいつもの倍、50万Gも持っている。きっと勝負を賭けているんだ。もしかしたらリクソンに会うのかも知れない。でも、あのリクソンなら、カンネイのことを見破るかも知れない……。


 私が不安に駆られて思わず袖を引くと、「ははは、心配すんな。大丈夫だって。12時までには必ず帰ってくるからな」って優しく微笑みかけ、だけど、「ベラ、もし俺が12時までに帰って来なかったら、ここを引き払って逃げろ。俺のことはいいから、スロベニーに入ってゲルマー商会の船に乗って、エリトニーでもゲルマーでもいいから、一刻も早く逃げ出せ」と、真顔で伝えてきた。

 そして、カンネイは、私を軽くキュっと抱きしめた後、すっと細く鋭いスパイの眼になって、「じゃな。あとでな」と、後ろ手に手を振りながら、宿を出て行った。


 ああ、行っちゃった。だけど大丈夫、絶対また会える。夜中にニコニコしながら帰ってくる。今までずっとそうだったじゃない。


 でも……って、やっぱり不安が頭をよぎる。もしカンネイが死んじゃったら、今の後ろ姿が最後だったら、どうしよう。私、どうして生きて行こう。


 そんなことを思うと、表を歩く人の足音がホランドの憲兵みたいに聞こえてくる。カーテンから差し込む灯りはサーチライトみたい。

 ああ! もう、怖いから寝ちゃおう! 12時まで寝てしまおう。

 私は安宿のベッドに仰向けになり、ランプの灯りに揺れる天板の模様を見ながら、カンネイと初めて遭った夜のことを思い出す。胸の中に情景がはっきりと甦り、私はそれを両手でしっかり抱きしめる。


******


(客観視点です)


 12年前の秋の夜。ゲルマーで一番格式の高いホテルに、商工会の会員が集い、繁栄を祝うパーティーが開かれている。来賓の挨拶が一通り終わり、お偉いさんの乾杯のあと、食事と歓談に入った。これから楽隊の華やかな演奏に乗って、ダンスタイムが始まるところだ。


 中堅の「ジェイド商会」の長女ベラは、曲線で構成された見事なプロポーションを、落ち着いた緑のベルベットのドレスに包み、シャンパンを手に会場のすみに佇んでいる。極力目立たないようにしているが、その匂い立つ美しさは、着飾った美男美女の中でもひと際目を引いてしまう。

 そんなベラを誰も放っておくはずもなく、招かれた若い男たちが、星のように群がり、話しかけ、気を引いて、口々にダンスのお相手を申し込んでいる。


 流行りの洋服の話、評判の芝居の話、いかに自分が有力な商会の息子で将来有望なのか、そういう自慢めいた話を何度聞かされても、ベラには響かない。父親に「世話になっている先も多いから」と言われ、仕方なく着飾って出てきたものの、寄ってくる上辺だけの男たちに辟易としてしまう。


 その中でも特に強引な大男が、一番の取引先の長男だ。商会の売上の半分以上を占めるお得意先なので、ベラもさすがにつれなくできない。強く手を引かれ、渋々最初のダンスパートナーに指名しようとした、その時、 

「いよう、ベラ! 困ってるみたいだな!」と、張りのある美声を響かせながら、真っ白な燕尾服タキシードを着た東洋系の男が、ベラを囲む人垣を割って声をかけてきた。すっきりした目元の美青年だ。


 今まさに、ベラの手を引いて、ダンスに向かおうとしていた大男は、自分の胸くらいまでしかない男を上から睨みつけ、

「なんだ、中国人! ベラはこれから俺と踊るんだから、遠慮しとけ!」と凄んだが、男は全く動じず、下から見上げてニヤニヤするばかりなので、「この、どけ!」と、男の胸倉に手を伸ばし、蝶ネクタイを掴もうとした。

 しかし、その手は男に届くことはなかった。男がすっと身をかわし、まるで踊るように軽やかに回転したと思ったら、瞬時に大男の手首が折られ、ねじ上げられ、背中に回されて鍵の字に固められた。ゲルマー人には難しい、魔法のような早業。


「い、痛い! 折れるうー。やめてー(悲)」 大男が情けない声を立てる。

「あーあ、手を出さなかったら美人の前で恥かかなかったのに(笑)」と言いながら、男はベラに目配せして、

「助けに来たぜ。俺と行こう!」と声をかけ、周りの男たちに「悪いな。今日のヒロインは借りていくぜ!」と言い残し、ベラの白い手を取って、男たちから引き離し、大股で堂々とフロアを横断していった。


******


 東洋風の男はベラの手を引いて、涼しい風の通るバルコニーに出る。

 ヒールを履いた170㎝のベラは、男よりも少し背が高いくらいだ。

 

 しかし、男は、そんなことは全く意に介さない様子で、バルコニーの手すりに冷えたワイングラスを置き、笑顔を向けて「いやあ大変だったな。ベラ」と声を掛けてくる。


「ねえ、どうして私の名前を知っているの?」と、いぶかしんだベラが聞くと、

「出席者全員の名前を調べてきたからな。ベラ・ジェイド・リー。『美しき翡翠ひすい』か。まさにその通りだな。ジェイド商会の箱入り娘で、19歳。美人で勝気だが優しくて頭もいい。未婚。今のところ恋人はいない」と、男はベラのプロフィールをスラスラ答えて見せた。

「ちょ、なに、そんなことまで……。あなた一体何者なの?」

「あはは、驚かせちゃったか。ごめんな。俺は、カンネイって言うんだ。俺は情報屋をやってるから、そういうの詳しいんだ。今日も、あるネタ追って来たんだけど空振りだったな。だけど代わりにこんな綺麗な宝石を掘り当ててラッキーだったぜ。ベラは、どうせ親父に言われて嫌々出てきたんだろう?」

「そうなの。大事なお得先の集まるパーティだから、『行って愛想振りまいてこい』って。さっきみたいにチャラくて嫌な奴も多くて、気乗りしなかったんだけど……」

「ははは、そうだな。実際、この中で本物の男は俺だけだと思うぞ」 

「まったく、あなた自信家なのね(呆)」  


「そうさ。だけど、俺のこと少しは気に入ってくれたみたいだな。……だから、ベラ、しばらく俺と付き合ってみろよ。そしたらすぐ分かるさ。ほんとの男の値打ちってものがね」 そう言ってカンネイは口の端をちょっと上げてニヤっとする。

「そんなこと急に言われたって、あなたと今日初めて会ったばかりなのよ。返事なんかできるはずないじゃない。あなただって私のことまだ好きなわけじゃないんでしょう?」

「ああ、もちろんそうだ。だけどすぐに好きになる予感がする。ベラ、お前もな」

「もう……」 ベラは呆れて、眉を寄せてカンネイを睨みつける。

「おお、チャーミング! 俺、そういうの弱いんだ(笑)。まあ、今ここで返事する必要はないさ。だけどベラ、俺といたら絶対退屈しないぜ。一緒にあちこち冒険に行こう。さもないと、親父にさっきの男をあてがわれて、お前の人生終わっちまうぞ」

「そうか、そうね……。ねえ、カンネイ。あなた、本当に私のこと救い出しに来てくれたと思っていいのかしら?」

「そうだってさっきから言ってるだろ(笑)。だから、これからもよろしく頼むぜ」 そう言ってカンネイは片目をつぶり、右手を差し出した。


 ベラは、美しい顔を傾けてちょっと迷った末、返事の代わりに小さく微笑みながら、そっとその手を取った。そして、カンネイの絹のようにつややかな黒髪と、細く謎めいた瞳を見つめ返した後、静かに指を絡め、隣に寄り添った。カンネイの暖かい手が、大きく開いたベラの背中に添えられる。

 ベラは、もう、心が傾いていくのを強く感じ取っていた。


 そうして、二人はパーティの間中、ずっと見つめあいながら、バルコニーで涼しい夜風に吹かれていた。 ~ 


******


「おい、ベラ。帰ったぞ」 私の肩を揺する声がする。

「あ、カンネイ……ごめん、寝ちゃった」

「今帰った。……あのな、ホランドは開戦の意思を固めたぞ。多分、この夏だ。明日にはこの宿引き払ってエリトニーに飛んで帰ろう。早くアロイスに知らせないと」

「ああ、カンネイ。無事でよかった……生きてた……」 そう言って私はカンネイを抱き寄せる。お酒とタバコと、少し危険なスパイの匂い。


 カンネイは私に静かに重なり、瞳を覗きこみ、「俺がそんなヘマするわけないだろ? 何年も一緒にいて分かんないのか。はは」って言いながら、細く涙を流す私に優しく口づけて来る。

「ねえ、カンネイ。……このまま抱いて。離さないで……」

「ああ、是非そうしよう。ホランドの夜もこれが最後だしな。戦争が始まったらもっとヤバくなるし、せめて二人でいられるときはしっかり刻み付けておこう」


 そう言ってカンネイは私のシャツのボタンに手をかけた。


 そうして、私はカンネイを身体の中に受け入れ、暖かな背中に手を回し、今、ここに二人が確かに生きていることを噛みしめる。そして、指を絡め、瞳を見詰めあいながら、二人で天上に昇りつめ、悦びを分かち合う。

 そこで訪れる、一瞬の永遠。この時を、深く心に刻み込む。


 この先どうなろうとも、私の人生の中で、これほど誰かを愛することは、もう二度とないだろう。


 だから、カンネイ。生きるときも、死ぬ時も、どうか一緒に。お願い……。

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