第11章 第3話 ステラの涙
(ステラの視点です)
8月初旬のある日、私は、午後半休を貰って、白いノースリーブのワンピースと青いリボンのストローハットを被って、お城から出た。じりじりと照り付ける陽光がプリズムを作っている。
私、お洋服はあんまり持ってないから、帽子はアロイスから(女装用w)、ワンピースはセシルから借してもらった。でもやっぱり膝上30cmの超ミニになっちゃった(笑)。これとペッタンコのサンダルはミスマッチだけど、ヒールがあると、ほら、2m超えちゃうからね。
******
お城から海上の回廊を渡り、城下町に入る。
商店街は、以前に比べてだいぶ賑やかになった。港の拡幅工事が始まって、人足が何千人も集まってきたから、全体にお金回りがよくなってるんだな。今更だけど、やっぱりアロイスってすごいんだ。
お洋服や履物、それから宝飾のお店なんかをぶらぶら眺めながら、市場に入っていく。入口のお菓子屋さんで一つ試食して、夜アロイスと食べる用に一袋買い、その後鮮魚や野菜のお店も冷やかしてまわる。
そしたら、「あ! ステラ姉ちゃんだ! 今日は綺麗だねー!」って言いながら、八百屋の女の子が駆け寄ってきた。可愛いな。私はしゃがんで目線を近づけ、「こんにちは」って、頭を撫でてあげる。
と、思っていたら、「あらー。ステラさん、今日は制服じゃないんだ。見違えちゃったわ」って言いながら、20歳の二人組も笑顔で近づいてきた。こないだ、私が睨みつけて追っ払った、あの二人だ。あのあと、二人から、ひそかに「鬼大女」とか「摩天楼」とか、そんなひどいあだ名で呼ばれてたらしいんだけど、何度か通ううちに、「王様にちょっかいさえ出さなければ、穏やかで優しい人だって分かったの(笑)」ってことで、今ではすっかり仲良しになった(笑)。
だけど、今日は買い物に来たんじゃないの。行くところがあるの。
だから、女の子たちには手を振って、私は港の方に向かって歩いていく。
そう、今日は、私が12歳の時まで住んでいた家と、そしてお父さんのお墓を見に行くんだ。これまでお休みのたびに、何度も行こう行こうと思ったんだけど、やっぱりすごく辛い思い出だったから、そのたびに胸の奥がひりひりして、どうしても足が向かなかったの。
騎兵の小隊長だったお父さんは、演習中に落馬して、馬に頭踏まれて死んじゃって、恩給が出るまでお墓も買えなくて、家賃も払えなかった。だから、美人だったお母さんが、男の人に身体売って何とか食いつないで、お父さんを埋葬した後に、疲れ果てて二人でゲルマーに逃げたんだった。
もちろん、そういう辛い思い出を、必ず消化して克服しないといけないわけじゃない。心の引き出しに仕舞ったまま、そっと触れないようにするのだって、いいんだと思う。だけど、一度は対峙して、できれば自分の中で整理して、それで前を向けたら、その方がいいって思っていたの。
だから、すごく怖いんだけど、ずっと迷ってたんだけど、今日、思い切って12歳の私に向き合ってみることにしたの。
やっぱり、二人の思い出を切り離して生きるより、一緒に過ごした幸せを胸に抱えて生きた方がいいものね。
******
賑やかな街を抜け、そろそろ港が見えるかという道の途中に、私の生まれた家があった。周りに住んでいたのは、港で働く労働者ばっかりだった。お父さんは騎兵隊の小隊長だったので、職場のお城までは遠かったけど、安月給で貧乏だったから、きっと家賃が安いところに住んでたのね。
ああ、そうだ、この界隈だ。覚えてる。だけど、こんな狭かったかな? ……あ、私がこんなに大きくなったからだわ(笑)。
私は、記憶の中の生家に足を向け、ええと、たしかここじゃなかったかしら。でもないな……。「!」 ああ、私が住んでたアパートがなくなってる! 新しい、大きな建物に建て替わってる……。
そうして、私が、呆然として、生家の跡に佇んでいると、後ろから、ためらいがちに、「もしかして……ステラ?」と、小さく声がかかった。驚いて振り向くと、この人は……、そうだ! 家のはす向かいにあったパン屋のおかみさんだわ。
「あ! パン屋のおばさん!」 そう私が大きな声を立てると、
「やっぱりステラだったんだ。そんなに変わってないけど、でも、すっごく綺麗になったね! 元気にしてた?」って、エプロン姿でニコニコしながら言ってくれた。
「うん、ありがとう。おばさんも元気そうでよかった。私、この春までゲルマーにいたんだけど、エリトニーに帰ってきて、今はお父さんと同じ騎兵隊の隊長をしてるの」
「へーっ! 立派になっちゃって! きっとレオンさん(ステラの父)もアンナ(母)も喜ぶわよ!」
「うん、ありがとう。だけど、おばさん、お母さんが今どうしてるか知らない? 一緒にゲルマーに逃げたんだけど、向こうの叔母さん夫婦も貧乏で、お母さん居づらくなっちゃって、恥ずかしい話なんだけど、『必ず働いてお金送るから』って言い残して、いなくなっちゃったの……」
「え? あんた、知らなかったの?」
「うん、全然」
「そうか……。だけどもうステラも大人になったから、アンナも許してくれるかな……?」
「おばさん、知ってるのね? 辛いことでも構わないから、教えて! 私、今日、それを知るために、思い切ってここに来てみたの!」
すると、おばさんは、言いにくそうに俯き、私と視線を合わせないで、
「うん、アンナはね、あのあと、ここに帰ってきたんだよ」って、ぼそっと呟いた。
「え? そうっだったの? 何しに?」
「……アンナはすごい美人だったからね。わかるだろ? ウチの2階に住んで、船乗り相手に商売してたのさ。『頑張ってお金をためて、ステラに送る』って言って、身体弱いのに毎日必死に頑張ってた。確か、2回くらいだけど、ゲルマー商会の船でお金も送ったはずだよ」
「え? それ知らない! ……叔父さんが隠してたんだ……。そ、それでお母さんどうしたの?」
「いいの、本当に聞きたい?」 そう、おばさんが念押ししてくる。
「う、うん。怖いけど、大丈夫。私、ちゃんと聞くから!」
「……それがね、一年くらいで死んじまったんだよ。病気でね。あんな商売してたからね、何の病気かは分かるだろう? 多分、ゲルマーに行く前から病気だったんだよ」
「……やっぱり。お母さん、死んでたんだ……」
「アンナは、最後まであんたのこと心配してたよ。悪いことしたって。こんな売女の娘に生まれてきて、貧乏させて可哀そうだったって。最後の方、熱にうかされて、ずっと言い続けてたよ」
「そ、それで、今はどこに?」
「うん、アンナが死んだあとは、ウチのと相談して、焼き場に持って行って、レオンさんの横に入れてあげたよ」
「……そうだったんだ。おばさん、最後までお母さんを看病してくれて、あとお墓にまで入れてくれて、本当にありがとう。私、今日は手持ちがないけど、そのうち必ずお金持ってくるから」
「何言ってんだい! そんなことはいいんだよ。大したお金じゃない。気にしなくていいって。……だから、ほら、早く行っておあげ!」 そう言っておばさんは、私の背中を押した。
******
私は、急ぎ足で港に向かい、その先の小高い丘にある霊園へと急ぐ。
そうだったんだ。お母さん、本当に、働いてお金送るつもりだったんだ……。
……お母さん、ごめんね。私、お母さんが、あんまり辛くて、それで私捨てて逃げ出して、どこかで死んだとばかり思ってたの。
そう思うと、私は居たたまれなくなり、さらに足を速め、いつの間にか走り出していた。私、あの頃が辛すぎて、直面するのが怖くて、ずっと眼を背けていた。忘れたふりをして自分を守ってたんだ。お母さんは最後まで頑張って生きてたのに、私を守ろうとしてくれてたのに、私、なんてことを!
お父さん、お母さん、私、今、二人を取り戻しにいくから!
全身から汗が噴き出してくる。目じりから涙が流れて飛び散る。だけど、私はそんなのお構いなく、港を横切り、全力でお墓に向かって走った。
走れ! 走れ、私!
******
ようやく霊園に着いた。私は息を切らしながら左右を見渡し、両親の入っている区画を探す。たしか、右から2番目の列、右奥から5つ目だった……。
あ! あった! ここだ!
駆け付けると、そこには、小さくて粗末な石造りの墓標が立っていて、おばさんがやってくれたのか、もう萎れてしまった、小さな花束が置かれていた。
その墓標の表面には、「レオン」の字と、その左に少し新しい「アンナ」という名前が刻み込まれていた。
私は、鼻をグスグス鳴らしながら、お墓の前にひざまずいて両手を合わせ、心の中で話しかける。
お父さん、お母さん、私、こうしてエリトニーに帰って来たよ。ゲルマーで頑張って、お父さんと同じ装甲騎兵になったんだよ。
私ね、お母さんが出てっちゃったあと、毎日辛くて、いじめられて、明日が見えなくて、いつ死のうかって、そればっかり考えていたの。だけど、ある時、奇跡みたいに愛する人に救われたの。お父さんが言ってた、双子の英雄のアロイスだよ。嘘みたいでしょう? 今はエリトニーの王様になったんだよ。私、アロイスと出会えて、初めて生き抜く勇気と力を貰ったんだ。初めて、自分の幸せを願うことが出来たんだ。
ごめんね、お母さん。私、今までお母さんのこと、ずっと誤解してたの。さっき、おばさんに、「恥ずかしい」なんて言っちゃって、ほんとにごめんね。お母さんは、私のために、必死に生きてくれたんだものね。男の人に身体売ってでも、私を育ててくれて、本当にありがとう。
お母さん、……前にね、アロイスが言ってくれたの、「貧しい事は恥ずべき事なんかじゃない。貧しさに心が負けて、人の道を外すことこそ、恥ずべき事なんだ」って。
だから、お母さんの人生は、最後まで綺麗な心を貫いた、立派な人生だったんだよ。売女とか貧乏だとか、そんなこと思わなくていいんだよ。私、お母さんの娘で本当によかったって、私の誇りだって、今なら胸を張って言えるよ。
******
お父さん、お母さん、悲しいけどもう二人ともいないから、恩返しできないから、私のこの恩は、愛する人や、もし授かったとしたら、愛する子供達に返すからね。
私、これからの人生は、愛する人を守って生きることに決めたから。あの人は、70万人のエリトニー人全員の父親だから、私なんか比べものにならないくらい、大切な人なの。あの人だけが、エリトニーを光の道に導けるの。だから、私、この身体と命に代えてでもアロイスを守り通すから。
私、今、私が生きている意味を、迷いなくはっきり見つめることができて、とっても幸せなのよ。
そこまで言って、私は一つ息を吐いて、それから手を伸ばし、「お父さん、お母さん……」と呟きながら、「レオン」と「アンナ」の印字を指でなぞる。
ああ、我慢してたけど、やっぱりだめだ。私は、なぞりながら、「くぅー!」と声を漏らし、細く涙を流す。
お母さん、綺麗で優しくて、私を愛し続けてくれたお母さん。もう一度だけ会いたかったな。手を握りたかったな。アロイスを見せたかったな……。
私は、耐えきれずに、墓標の前に泣き崩れ、伏せたまま身体を細かく震わせ、いつまでも、日が傾くまで、長い長い時間、涙を流していた。
誰もいない霊園は静謐で、遠くから波の音だけが響いていた。
夕方の涼しい風が、海から小高い丘をサラサラと吹き渡り、夏草と一緒に私の髪も揺らしてくる。
それは、お母さんが、幼い私の髪を静かに撫でてくれているようだった。
私、泣きながら、でも、きっと二人の思い出を全部抱えて生きていける、そんな気持ちが静かに湧いてくるのを感じていた。




