第11章 政治的駆け引き 第1話 諜報戦
ホランド王国の政庁のすぐそばにある、とある食堂。
ここは、昼間は政庁の職員の社食と化し、夜は酒類を提供する居酒屋になるため、一日中職員が集うことになり、日々の仕事の不満や政治の話題が店内を飛び交っている。
時刻はちょうど午後8時。美味そうな料理の匂いが漂う店内は、酔客の声で喧噪に包まれ、大ジョッキを片手に3つずつ持ったウェイトレスが、愛想を振りまきながらテーブルの間を忙しく行き来している。
その片隅のテーブルで、ゲルマー商会のモスグリーンの制服を着た男女二人が仲良く夕食を食べている。中背の男の方は、切れ長の鋭い眼を持つ東洋的な顔立ちで、女の方は、制服の胸をパンパンに膨らませた、妖艶な西洋美女だ。
そこに「はい、生大お待ち!」と、特大のビアジョッキが二つ運ばれてきたので、二人は「お、きたきた」と笑顔でジョッキを掲げ、カチンと乾杯して一気にグビグビと半分飲んだ。そうして、男が、「クハーっ! 仕事の疲れが吹っ飛ぶなー。今日はこんな綺麗どころと一杯やれてラッキーだったぜ」と軽口を叩くと、女は頬に手を当てて「んもう、あんた、そんなお世辞言ったって何にも出ないわよ」と言いつつ、嬉しそうに男の肩をペチっと叩いた。
が、二人の眼は笑っていない。飲みながら隣のテーブルを横目でじっと探っている。
男は、ジョッキを置いて、「いやー、料理もビールも美味い! いつまでもこんな平和な時代が続いてくれるといいなあ」と女に話しかけ、女も「ほんとにそうよねー」と同調したあと、「だけど、今はいいけどさー、エリトニーとホランドが戦争おっぱじめちゃったら、ウチの商会も寄り付かなくなっちゃうわよねー。ここに来るのもこれが最後なのかなー?」と、心底残念そうな顔で、ため息交じりに呟いた。
そこで、女が発した「戦争」という言葉に、隣のテーブルの男4人がピクっと反応し、こちらに視線を送ってくる。
男は、ふとその視線に気づいて、「あれ? もしかして役人さんかい? ごめんごめん、デリケートな話題だったかな? エリトニーじゃ、その話で持ち切りだったからさ」と、首をすくめ、しかし朗らかに話し掛ける。
4人の役人は身分を明かさなかったが、リーダー格の男が、眼にわずかな不審の色を浮かべつつも、「あんたたちゲルマー商会の人か? ここに来る前にエリトニーに寄って来たのかい?」と聞いてきた。
「そうだよ。ゲルマーからエリトニーに大麦運んで、鉄製品を仕入れて、東隣りのマケドニーで半分売ったあと、陸路でホランドに入ってきたんだ。これから何日かはここで商売することになってる」
「ふーん、そうか。まだ、商品は流通してるんだな」
「うん、今のところホランドとエリトニーで戦争になってないからね。まあ、さすがに直接の貿易はストップしてるけど、ホランドでも鉄製品は必要だから、マケドニーやスロベニー経由で俺たちが売ってるんだ」と男が答え、女も「だけど、戦争になったら、さすがに危険だから、ウチも手を引くと思うわよ。そうなると、どっちの国も困るんじゃないかなあ。偉い人の都合で割を食うのは、いっつも弱い庶民よね」と続く。
「はは、それじゃあんたたちには世話になってるんだな。ありがとうな。……それで、エリトニーはどうするつもりなのか知ってるかい? 徹底抗戦なのかな?」
「いや、俺たちはちょっと立ち寄っただけのゲルマー人だからさ、詳しくは分かんないよ。だけど、傍目から見る分には、ホランドは戦ってもいいことないように思ったけどなあ」
「? どうして?」 リーダーが意外そうな顔を向けてくる。自分と異なる認識に、興味が湧いた様子だ。
「まず、間違いなくエリトニー軍はとても強い。新たに2万人徴兵して、合計7万人になって、しかもプロの傭兵が毎日兵士を調練して鍛え上げてる。俺も演習場を見学したけど見事なもんだったぜ。『一糸乱れぬ』とはあのことだな」
「そうなのか。俺は軍人じゃないからよく分かんないけど……」
「うん、それに、兵士は下っ端に至るまで悲願の独立に燃えていて、すごく士気も高い。きっと最後まで死に物狂いで戦うんじゃないか」 そう男が畳みかけると、リーダーの視線が不安そうに左右に泳ぎ、
「……そうか。ウチは金がないから、兵士はみんな兼業。訓練も週3日だけで練度も低いからなあ。おまけに昨日までの同胞と戦うんじゃ、やる気出ないだろうし……」と嘆息する。
それを見た男が、「まあ、でも、ホランドは兵士が15万人もいるんだからさ、損耗承知で人海戦術でかかれば、いつかは勝てると思うよ。だけど、それまでに手ひどい被害を被るんじゃないのかなあ?」と一応のフォローを入れたが、
「いやあ、そうなると、たとえ勝っても死んだ兵隊の恩給と年金が大変そうだなあ。何万人分だろう? ただでさえ財政が厳しいのに、戦争なんてやって大丈夫か?」と、役人たちは囁きあっている。
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男は、「それに、兵士が強いだけじゃない。エリトニーは、今、すごく国全体の雰囲気がいいんだぜ。去年までとえらい違いだ」と続ける。
「そうか、新王のアロイスが変えたのか?」
「そう、それ。『小悪魔アロイス』。まだ20歳だけどな、あれは本物だぜ。『英雄王の再来』と言われてるのも、あながち大げさじゃない」という男の言葉に、「チビだけどハンサムなのよねー。優しいし。あれ、女なら誰でもポーっとなっちゃうわよ……」と、女が同調して続く。
そこで男は、左右に視線を送ったあと、膝を乗り出して、「まあ、これはここだけの話にしておいて欲しいんだけどな、そのアロイスとウチの商会が組んで、新しくデカいプロジェクトを興すらしいんだよ。現に、ウチの出資で港の拡幅工事が始まってるし、それで人足も大勢集まってきて、国全体が活気に溢れてる。金回りが良くなったのがはっきり分かる」と言うと、役人たちは、「そうなのか……」と、長年経済が停滞して、安月給に耐えている我が身を顧みている。
「そう。エリトニーは、小悪魔アロイスがいる限り、これからもどんどん発展を続けるように思うな。だからホランドも、むしろ気持ちよーくエリトニーの独立を認めて、存分に稼いでもらって、その代わり毎年上がりを貰った方がずっといいと思うぜ。まあ、ゲルマー人が云々する話じゃないんだけどな」
「なるほどねえ。それが、商売人の肌感覚なのか」
「そうだな。金勘定の損得で言ったらそういうことになるな。ま、俺たちは戦争がおっぱじまったら、よその国で商売するだけだけどさ、あんたたちは仕事や身の振りが激変して、大変かも知れないな」
そう距離を測りつつ、男は、ここでちょっとだけ核心に踏み込む。
「それで、ホランドの政庁ではどんな話になってるんだい? 主戦派と講和派、どっちが優勢だい? 商売してるからさ、興味あるんだよ」
「いや、そんなこと知ってても言えないよ。こないだのクーデターのあと、ホランドの行政官が送り返されてきて、一緒にエリトニーの使者が来て交渉してるけど、まだ俺たちまで話が降りてきてないよ。きっと議論がまとまんないんだろう」
「へー、そうなんだ。大変だね。まあ、だけどあんたたちにも影響大きいんだから、アンテナだけは張っておいた方がいいぜ」
男は、そういって、ビールをグビっと飲み干し、
「そんじゃいくか。明日も早いからな」と女に声をかけ、役人たちに、「俺はカンネイって言うんだ。しばらくホランドにいるから、きっとまた会う機会もあるんじゃないかな。じゃ、お休み」と言い残し、女も「それじゃ、お兄さんたち。また会えたらねー」と、少し酔ったのか、しなっぽく微笑み、ヒラヒラと手を振って席を立った。
そして男は、勘定場にいる店主の耳元で小さく言葉をかけ、役人4人の飲み代まで払い、機嫌よさそうに笑いながら、美女と一緒に退店していった。
決してターゲットを深追いせず、しかし、今後の含みは残して。
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このようにして、エリトニーの間諜、カンネイとベラの二人は、この食堂に限らず、役人や兵士の集まりそうなところに、しばしば出没し、親し気に話しかけ、気前よく奢って、脈のありそうな者には個別に取り入り、少しずつホランドの政庁内を浸食していった。
二人は対象に大胆に近づくが、しかし、役に立たなかったり、あるいは少しでも危険を感じたら、もう二度と姿を現さなかった。カンネイの諜報の嗅覚と危機回避能力は、他の誰も真似できない天性のものであった。
そして、その頃から、ホランドの街でも、政庁でも、エリトニーとの講和を望む厭戦論が、急速に広まっていったのだった。




