第9章 第2話 懐かしの食堂
3月30日。穏やかな春の日差しに波頭が煌めく中、西からの順風に押されて、ゲルマー商会の巨大商船が、州都エリトニー港に入ってくる。
いったん入口で投錨して停まり、船べりに並んだ人々が胸に手を当て、メラニー女王に祈りを捧げたのだろう、ぱっと赤い花束が投げ入れられた。
その後、抜錨して、船は再び港内を静々と進み、港内の埠頭に横付けして、荷下ろしが始まる。
渡された梯子で船長が降りてきて、税関の吏員に積荷の品目と量を報告し、関税の算定が行われる。
船長が、「積み荷は、穀物と野菜類です」と、ロープで埠頭に降ろされるコンテナを指さして申告し、吏員が「それじゃ、こちらは?」と、目の前の木箱を顎で指すと、「こちらも野菜類です。エリトニーの食堂の特注品です。こちらの5名で直接届けます」とのことだった。
吏員が眼をやると、水色のワンピースにストローハットの可憐な美少女と、天を衝くような大女、筋骨隆々の大男、そして中背の男女が、二つの箱を載せた台車を手に待機していた。
吏員は、「あ、そう。それじゃ、身分証見せて。今入国許可証作るから。明日まででいいのかな?」と言いながら、(ん? この子は……)と思いつつ少女をじっと見つめ、「ああ、お嬢ちゃんこんにちは、とっても綺麗だね」と言って、愛想を振りまいた。少女は、それを受け、春風に細い金髪をなびかせ、輝くような笑顔でニッコリと返した。
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と、そこに、「ああ、今着いたんだね。待っていたよ」と明るく声を掛けながら、見るからに位の高そうな、勲章が沢山ついた制服の男が顔を見せた。
「あ! これはクレマン大臣。ご苦労様です!」 吏員が姿勢を正して敬礼する。
「ああ、ご苦労様。この特注の箱ね、私のお店で使うんだよ。暖かいとこに置いとくと傷みが早いから、もう運んでいいかい?」
「ええ、もちろん。ですが……」
「何? 中身の改めが必要? 私の荷でもかい?」
「え、ええ……まあ、お役目ですから。申し訳ありません」
「いやあ、まあ、しょうがないね。決まりだからね」
そう言って、クレマンは、チラっと大男を見て、「それじゃ開けて」と指示し、男が箱の釘を抜いて蓋を外すと、入ってたのは、大ぶりで実に見事な玉ねぎだった。その身は白く、厚く、いかにも甘そうだ。吏員は覗き込んで確認し、「クレマン大臣、これは立派な玉ねぎですね。すごく美味そうです」と言うと、クレマンも満足そうに、「そうだろう? 高いんだぞ。3つばかりあげるから女房に渡せ。ほら」と言って吏員に渡し、「それじゃもうひと箱はいいね。もう行くよ」と声を掛け、「はい、ありがとうございます。お務めご苦労様でした!」と返ってきたのを確認して、男たちに(じゃ、いくぞ)と、眼で合図をして出発を促した。
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二つの大きな箱を載せた台車を押しながら、クレマンを先頭にした男女の一行が埠頭を抜け、エリトニーの街に入っていく。
やがて、港湾事務所から見えなくなったところで、クレマンが美少女の顔を覗き込み、憮然とした表情で、「ちょっと……、一体何やってんですか?」と、小声でなじるように言ってきた。
「ふふふ、ごめんなさい、クレマン。私、エリトニーの街が今どうなっているのか、早く見たかったの。全然変わってないのね、懐かしいわ」
「バレたら大変でしたよ。危ないことしないで下さい」
「あはは、大丈夫よ。私、小柄な男ってことになってるし、それに箱は少ない方がいいでしょう?」と言った後、「しばらく大人しくしててね。もうすぐだからね」と声を掛けて、つま先で箱をトントンと叩いた。
それから細い道を10分ほど歩くと、猥雑な下町に入り、その小路の一角にある小さな家に着いた。かつてクリステルが営んでいた食堂だ。
「空き家。立ち入るべからず」の張り紙が張られている。
「ああ、ここも全然変わってないのね。懐かしいわ」 少女がクレマンに声をかけると、
「はい、お二人がゲルマーに旅立たれた後、持ち主不在で国に収用されたのですが、公売に出たときに、私がすかさず購入しました」と答え、「さあ、どうぞ」と鍵を開け、一行を中に招き入れた。もちろん、店の窓は全て目張りが施され、中は見えない。
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(ここからアロイス視点です)
薄暗い店の中に入り、クレマンが首を外に出して左右を確認した後、内側から鍵をかけて、「もう大丈夫。お疲れ様でした。すぐ開けましょう」と声を掛け、イワンとカンネイが箱の蓋を開け、表層に二段分詰められた玉ねぎの箱を、「せーの」と声を合わせて外したとたん、
「あ、あっつーい!」と言いながら、汗で薄着をびしゃびしゃにしたお姉ちゃんが飛び出した。「身体ヌルヌルだし、息は詰まるし、玉ねぎ臭いし、もうひどい目にあったー! 二度とやりたくないー!」と文句を言っている。
その後、もう一つの箱から、「うひゃー、暑かった、苦しかったー! この箱、私にはきついですよー! 身体が箱の形になるかと思った!」と叫びながら、マチアスが飛び出してきた。
僕が、「ははは、お疲れさん。二人は面が割れてるから仕方ないよ。絶対港湾事務所にも触書が出回ってるだろうしね」と慰めているところに、ステラが濡れタオルをもってきて渡していた。
そうして、人心地ついたところで、皆で食堂のテーブルに座って打ち合わせを行う。
クレマンが、「もう、政庁内は、ホランド派遣の10人程度の行政官を除き、全て私が掌握しています。皆さん無事に到着されましたから、明日、近衛隊と私でクーデターを決行致します」と、決意を持った眼差しで力強く述べる。
「そうか。クレマンに任せておけば大丈夫だね。頼りにしているよ。ここにいる僕たちは、明日どうしたらいい?」
「お昼の12時丁度に、海の下を通って、お城にお越し下さい。それまでに私の方でダミアンを拘束しておきます」 そう言って、暖炉の壁に眼をやる。
「そのあとは?」
「お城の者を全て集めますから、アロイス様が帰ってきたこと、そして、これから王となってエリトニーを統括することを宣言してください。家臣一同も忠誠を誓う手筈になっています」
「ダミアンと、ホランドの行政官はどうする?」
「とりあえず、離れの塔の『王妃の間』に閉じ込めておきましょう」
「ダミアンは人質にするにしても、残りは全員追い返した方がいいな」
「その通りです。『エリトニーは独立後も友好を保ちたい。今後のことについては外交の使者を通じて話し合おう』とでも言い含めておけば、そうそうすぐに攻め込んでもこないでしょう」
「エリトニー国民への発表はいつにしようか」
「既に、市長と商工会の主だったメンバー、そして、右派、左派の市民運動家にも伝えてあります。政権が奪還できたら、日を改めて、城外の広場で新王の就任式を行う予定です」
「素晴らしい。さすがクレマンだ。何もかもありがとう」
「いえいえ、私もこれが生きがいで15年も頑張って来たのですからね。ですが、まだまだ安心はできません。最後まで気を抜かず進めましょう」
クレマンはそう言って、「それでは、私はこれで。このあと大仕事が残ってますからね」と言って、勝手口から外を覗いてキョロキョロしたあと、「ああ、そうだ。もし私か、私の指示した者が、ここに来る折があれば、勝手口をノックしたあと……」と言いかけたので、僕は含み笑いを浮かべて手で制し、「『こんな時間にどなた?』と『わたしよ』だったね。覚えてるよ」と答えたら、「さすがアロイス様。ふふふ。では、明日のお昼、王の間でお目にかかりましょう!」と言い残して去って行った。
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クレマンの去った部屋で、僕が、店内を見まわして、「お姉ちゃん。ここ全然変わってないね」と言うと、「ほんと。あの頃のままね。階段上ったとこの部屋に隠れてたのよね。たった2週間だったけど、おばあちゃんとトマおじさんと一緒で楽しかったな」と眼を細め、続けて「だけど、アロイスずるいー。私も街を見て回りたかったー」って言うので、「はは、まあ、明日以降、いつでも行けるんだから、今日のところは我慢だよ」って、言って慰めた。
「さて、みんな。今日は疲れたから、明日に備えて身体を休めておこう。夕食の買い出しはカンネイに頼んでいいかな」
「まかしとけ。俺は全然顔が割れてないからな。ベラと行ってくる」
「うん。頼んだよ。せっかくだから高級玉ねぎで何か作ろう(笑)」
僕はそう言ったあと、ふと(まだ大丈夫かな?)と思って、暖炉に近づき、煤で汚れた壁面を両手で押してみた。
……ああ、あの頃と変わらず、音もなくスーッと開いたぞ。クレマンが手入れをしていてくれたんだな。
僕は、「大丈夫だ。ここも変わってない。明日はここをくぐって行くよ」と言って、皆を振り返り、続けて、
「ここから先は地獄への階段だ。もう逃げられない。みんなで勇気をもって降りるぞ」と、声を掛けた。




