第7章 オマケ 傷心のセシル、前を向け!
(セシルの視点です)
近頃、クラウス先生にあまり会えていない。先生、週2回しか学校に来ないし。
きっと、軍のお仕事が忙しいのね。
私、軍の演習に参加するときも、弓と銃だけだから、アロイスと一緒に全体を回るクラウス先生を遠くから眺めるだけ。遠くから手を振って、帰り際に一言二言、言葉を交わせればいい方。
でも、私、それでいいの。しつこくしてクラウス先生の重荷になりたくないし、今は、先生に届いてるか分からないこの気持ちを、ちょっとずつ胸の中で育てているの。
だから、なかなか会えないけど、いつも、記憶の中の凛々しいクラウス先生とか、ちょっと抜けてて可愛らしいとことか、夢中で踊ったダンスとか思い出して、枕抱えてグニュグニュしてるの。
うん、これ、きっと初恋なのよね。先生、私ね、前からずっとそうだったけど、やっぱり先生が好きなの‥‥‥。
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ある日、私が学校から帰ってしばらくしたら、お城で軍の会議に出てたアロイスが家に帰って来た。
「お姉ちゃん、ただいまー」と言いながら部屋に入ってくる。
「おかえりー。今日はクラウス先生も一緒だったの?」
「うん、そう。朝からずっと演習の視察と会議をしてたんだ」
「そっかー、いつも先生と一緒にいられていいなー」って、私、ちょっと嫌味っぽく言って、人差し指で突っつこうとしたら、アロイスは、ちょっと伏し目になって、言いにくそうに、「お姉ちゃん、あのね……」って声を掛けてきた。
「ん、何? どうしたの?」
「うん、きっとすぐ耳に入ると思うし、それだったら僕から伝えた方がいいと思うんだけどね……」って口ごもっているので、
「な、何よ、気になるじゃないのよ。早く言いなさいよ!」と促すと、アロイスは、
「うん……、クラウス先生がね、今度、結婚することになったんだって……」って、私から眼を逸らし、横を向いて、ボソっと呟いた。
「‥‥‥な、なんですって! なんで突然そんなことに……」
「いや、突然じゃないよ。ずいぶん前から話が進んでいたんだよ」
「‥‥‥う、うそ。お、お相手は誰なの?」
「……大統領の娘さんだって」
「だ、大統領の……娘……」 私は驚いて二の句が継げず、表情をなくして、じっとアロイスを見つめるばかりだ。
「お姉ちゃん。クラウス先生には先生の人生があるんだよ。近いうちに防衛副大臣に昇進することになっているし、何年かしたら大臣になるのも確実だと思うよ。奥さんが大統領の娘なら、ゆくゆくは大統領も狙えるんじゃないかな。そういう、いろんな事情があるんだよ、きっと」
「そ、そうなのか。……その女の人、どんな人なの?」
「うん。僕も一度チラっと見たことがあるだけなんだけど、大人しくて優しそうな女の人だった。だけど、そんなに美人じゃなかったよ。お姉ちゃんには、全く、遠く及ばないくらいだった」
私、アロイスの慰めを聞いて、だけど冷静になれなくて、ほんとに恥ずかしいんだけど、我を失って、感情を激してしまった。
「な、何よそれ! 美人じゃないないんて、よけいひどいじゃないのよ! そ、そんなね、クラウス先生が打算で、政略で、結婚するはずないでしょ! だからよっぽどいい人なのよ。その人のこと愛してるのよ! 心から大事に思ってるから結婚するんでしょ!」
「……」 アロイスが困った顔で、黙り込んでしまう。
「……あ、あ、ごめんね。大きい声出しちゃって。‥‥‥ごめん、私、急にそんな話聞いて、混乱しちゃった。アロイスにぶつけても仕方ないわよね。子供みたいで、ほんとにごめん」
「……お姉ちゃん、気持ちはすごく良く分かるんだけど、お姉ちゃんとクラウス先生は25も違うし、それに僕たちエリトニーに帰ってしまうかも知れないんだから、もともと難しかったんだと思うよ」
「……うん、そうか、そうよね」
「お姉ちゃんはとってもチャーミングだから、きっとすぐお似合いの人が見つかるよ。‥‥‥それにね、世の中、長い目で見れば平等にできているんだから、一人の人とお別れしたら、その分、必ず出会いもあると思うんだよ」
「……うん、ありがとう。そうね、そう思うほかないわよね。……でも、ごめん、今はね、ちょっとね。ほんとごめん……しばらく、一人にしておいてくれない?」
「……」
「ねえ、アロイス、分かって……。泣き顔を見られたくないの……」
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アロイスが、部屋から出て行ってくれた。
私は、静かにベッドにうつ伏せになり、枕に顔を押し付けて、じっと我慢する。
クラウス先生が結婚……結婚……。私じゃない人を好きになったんだ……。
私、その事実を受け止めきれず、泣きたいのを必死に我慢してたら、またドアを開けてアロイスが部屋に入って来た。もうなによ、さっき『一人にしておいて』って言ったでしょ!
……と思ったら、入って来た人は、ベッドの淵に静かに腰を下ろし、私の髪を、柔らかい手で、優しく撫でてくれた。……イボンヌ母さんだ。
私は、イボンヌ母さんの腿に顔を埋めたら、だめだ、もう耐えきれない、「ううーっ」って、こもった声を出して、涙を流しちゃった。
「セシル。こういうのはね、誰が悪いのでもないの。ただただ、悲しいのが転がっているだけなの」 穏やかな声で慰めてくれる。
「くうーっ」
「大丈夫よ。時間は止まらないから。じっとしてたら、そのうちに、胸の中の痛みがちょっとずつ小っちゃくなって、どこかに転がっていくから。それまで我慢よ。母さんも、家族のみんなも変わらず傍にいるからね。毎日のやるべきことを頑張ってやっていこうね」 そう言いながら、母さんは私の背中をさすり、優しさを送り込んでくれる。
「ううー」 私は声を立てないように我慢してたんだけど、耐えきれず体が震え始める。
「セシルはね、こんなすごい美人で、勝気だけど優しくて可愛らしくて、絶対男の人みんなに愛されるから、大丈夫よ。街を歩けば、みんな振り返るんだから。心配ないから。クラウス先生とは人生が交わらなかったけど、すぐに新しい出会いがあるから」
「う、うっー!」
「ほらー。我慢してないで沢山泣いたらいいじゃない。悲しい気持ちを出し尽くしちゃったらいいじゃない。きっと、その方がずっと早く前を向けるわよ」
「う、くくっ……お母さん、お母さーん! わーーーーん! わーーーーーーーーん!」
私、すごくみっともなかったけど、母さんの腿に顔を埋め、涙と鼻をグズグズと流し続けた。20分も30分も、長い間流し続けた。
その間、母さんは、何も言わず、ずっと私の傍にいて、頭を撫でてくれていた。
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その日、晩御飯の用意は、アロイスとステラがやってくれた。
マチアス父さんがイワン兄ちゃんを連れて帰ってきたところで、私は、眼と鼻を真っ赤にした恥ずかしい顔だったけど、でも、もう涙は流さず、決意をもって堂々と部屋を出た。
みんな、そんな私に何も言うことなく、いつもどおりの和やかな晩御飯になった。
私、目じりに涙ためながら、いつもより、たくさんたくさんご飯を食べた。
こんなときでも、ちゃんと美味しかった。
みんなの優しさと真心が心に染みわたった。この家の子供でよかったって、心から思えた。
私の上に乗っかってる、悲しい塊が、ほんのちょっとずつだけど、小さくなっていくような、そんな気がした。
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次の日のお昼休み、私は、クラウス先生に会いに行った。
突然やってきた私を前にして、先生はちょっと戸惑っていたけれど、私、飛び切りの笑顔を見せて、「クラウス先生! ご結婚おめでとうございます!」と、声をかけた。
そして、「お、おう、知ってたのか。どうもありがとう……」って、ヘドモドする先生にギュって抱き着いて、
「先生、知ってたと思うけど、私、先生のことずっと好きだったの! 先生に会えてよかった。私を助けに来てくれて、本当にありがとう!」って言って、先生を見上げて、
「私、先生のこと、困らせたくないから。今日限り忘れるから! どうぞお幸せに!」って大声で言って、最後に眼を閉じて、先生の唇に「チュっ」て、ファーストキスを捧げて、「じゃ、さよならっ!」って叫んで、逃げるように教室に走り去った。
走りながら、やっぱり涙が溢れてきたけど、でも、それで何か、最後に洗い流されたような、そんな気がした。
教室でお弁当を持って待っているアロイスが見える。
私は、赤い眼で、だけど晴れやかな笑顔で、教室に入る。
みんなの暖かい笑顔が、先生を愛し続けた私へのエールなのね。ありがとうね。
さあ、また、いつもと変わらない日常が戻って来たぞ。
勉強も、演習も、私、頑張るんだから!




