第3話 美貌の副侍従長 ジュリアンの真意
「それでは副大臣殿、今日はこれにて。本日は、大変楽しく、充実した意見交換が出来ました。また折を見て参ります」
「こちらこそ、ジュリアン殿。私も楽しかったですよ。また是非おいでください」
私は、持参した酒瓶と金貨10枚を置いたまま、内務副大臣の部屋から辞去する。
今のところは、このくらいが丁度いいだろう。この国に来て5年、ようやく少しずつ動けるようになってきた。
内務大臣とその一派については、掌握を進めつつある。護衛の近衛団もそうだ。
城外では、独裁制に異を唱える、極左の民主勢力とも密会を重ねている。
結局のところ、ウォレム王の現体制に不満を持つ者をあぶりだし、そしてその不満を増幅させていくのが私の当面の役回りだ。誰と誰が現状に不満を持ち、そして誰とつながっているのか。それを突き止めて、注意深く、少しずつ、浸食していく。
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エリトニー公国は、希代の英雄ウォレム王の強力な指導のもと、20年前に独立戦争を和睦に持ち込み、ホランド王国の一部を独立国とすることに成功した。
もともと、大国であるホランド王国は、私のように東洋にルーツを持つ者など、方々から集まってきた人民で構成された雑多な国だったが、その中でエリトニー自治区は特殊な立ち位置にあった。
エリトニー人は少数民族で、自治区の土地が痩せていたこともあって、貧しい生活を余儀なくされていた。しかし、その反面、白色人種の中でも特に肌が白く、また背も高く、見目麗しい男女ばかりであることから、潜在的な選民意識もまた強かった。他のホランド国民を一段下に見て、純血を好んでいるようなところが、確かにあった。「貧しくても、心は売り渡さない」という、おそらくは遺伝子に刻み込まれた生まれ持った誇りが、たとえ表には出さなくとも、漏れて、透けて見えているところがあった。
当然のことだが、そのような選民意識は、雑多なホランド国民の鼻につく。だからエリトニー人は煙たがられていたというのが本当のところだ。嫌われていたと言ってもいい。
だから、ホランド国民の、心の奥底に潜む羨望と嫉妬、その裏返しの憎悪、そして貧しさへの嘲笑、そういう歪んだ感情が生み出した微妙なバランスのもとに、平穏が維持されていたところがあった。
その嫌われ者のエリトニー人が、本国に戦争を仕掛け、さまざまな計略や深謀を駆使して独立を勝ち取ったわけだから、ホランド国民は面白いはずがない。
実際に、エリトニーの独立直後から、さまざまな策を弄して、その領土の再編入を画策してきた。
だから、和睦によって独立を認める条件として、ホランド国の庇護下に置き(他国に奪われたら目もあてられない)、「政務を補助する」との名のもと、私のようないわば間諜が送り込まれ、体制の混乱と崩壊を画策してきた。
今のところ、英雄ウォレム王の統治は盤石だ。全く隙が無い。民衆の心も、部下たちの心も掌握して離さない。
しかし、平和な時間が20年も経過すると、必ず人々の心は緩む。かの英雄も47歳になり、あれほど独立の情熱に燃えていた男たちも、少しずつ豊かさに慣れるにつれ、その眼は輝きを失い、曇り、だんだんと腐敗していく。
そこに楔を打ち込み、蝕んでいく。そういう隙間が生まれていく。
……とはいえ、私にはウォレム王に対する個人的な恨みはない。
正直に言うと、ウォレム王のような賢明で勇敢な施政者による独裁制は、一つの理想ではないか、とさえ思っている。愚民による民主制のような、しばしば間違った選択をし、それを繰り返す体制などより、よほど優れているように思う。そういった意味で、私は、ウォレム王を、おおいに尊敬していると言ってよい。偉大な男であることは間違いない。
しかし、そんな尊敬、あるいは憧憬は、私の果たすべき役割とは関係がない。
私の使命は、ホランド国のため、あの英雄を失脚させ、もしくは死をもたらすところにある。たとえ長い時間がかかったとしても……。
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侍従室に帰ると、侍従長はいなかった。
と、そこに侍従長の娘、サラ王妃の従者、メラニーが仕事終わりの挨拶に来た。
エリトニーでは珍しい、亜麻色の髪をした、だが美しい娘だ。純血ではないのかも知れない。
私の前では、忠実な王妃の従者を装い、努めて平静に見せてはいるが、所詮18の小娘。心の内はごまかしようがない。‥‥‥この娘は、私のことを心から慕っている。
メラニーは、侍従長が戻ってきた後、簡単に報告を済ませ、それから頬を染めて私を熱く見詰め、思わせぶりに微笑みを残し、スっと部屋から辞去していった。私も、その視線に応えるように、優しく微笑んで、メラニーの後姿を見送る。
そう、この娘は、メラニーは、いつか役に立つときが、きっとくる。
今の内は気を持たせておいた方がいい。
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これで私の今日の仕事は終わり。
だが、メラニーは、しばらく女中部屋に待機して、夜伽の相手を終えたサラ王妃を迎えに行く。そして回廊を渡った「妃の間」に送り届け、ようやく一日が終わる。毎日遅くまで大変だが、王妃に対する敬慕の念からだろう、気丈に、楽し気に振舞っている。
……ああ、そうだ、今ごろ思い出した。そういえば、私には、ウォレム王に恨みがあったな。
本当に許しがたい。‥‥‥あの、醜い、豚野郎が!
そう、ウォレムは、私がこれまで愛したただ一人の女、サラ王妃をわが物に、慰み者にしている、偉大で、醜い男。
5年前に私がここに来てから、毎晩神経を逆なでしてくれた、憎らしい、忌むべき男。
今でも毎日、美しいサラ様が、あの醜い豚の種にまみれている。汚されている。
こうしている今も、あの美しいサラ様の体内に、あの醜い男が侵入し、そして自身の、英傑の後釜を作ろうと種を植え付けている。
その時、サラ様はじっと耐え忍んでいるのだろうか。それとも、醜い豚の首に掻き付き、背中を反らせ、悦びに打ち震えているのだろうか。
そんなことを思うにつけ、私の心は、使命と関係なく、千々にかき乱されていく。
……ウォレム、いつか、必ず、お前を除いてやる。そして、サラ様を幽閉から解放する。
でき得れば、その時、サラ様をわが手に……。
それが叶うのであれば、もうホランドもエリトニーも、どうでもいい。
そう、私は、この心も、身体も……サラ様、あなただけに捧げます‥‥‥。