第3章 脱出
(クリステル視点です)
セシルとアロイスの脱出決行当日。夜10時半。
私のお店では、既に双子がゲルマー行きの準備を済ませ、イボンヌ(女中頭、双子の母親役)も待機している。「絶対に俺も見送る」と言って駆け付けたトマも一緒だ。
だが、マチアス(重装騎兵、父親役)は、まだ到着していない。
そこに勝手口をノックする音が響く。
私が、「こんな時間にどなた?」と声をかけると、「わたしよ」と、いつもの合言葉が返ってくる。戸を開けると、そこにいたのは、クレマン(内務大臣)と、もう一人、背の高い若い美男子だった。
クレマンはあたりを見回して、美男子と一緒に素早く店に入り、
「クリステル様、こちらはゲルマーの軍事顧問クラウスさんです。先ほど小舟で港に着いて、顔を知っている私がここまで案内してきました」と言って、クラウスを見て、「クラウスさん。こちらはクリステル様。前王妃サラ様のお母様です」と紹介した。
クラウスは私に、「クラウスです。初めまして、お目にかかれて光栄です。セシル様とアロイス様は、必ず私がゲルマーに送り届けますから、ご安心下さい」と述べて、笑顔で右手を差し出してきた。軍人とは思えない、白くてすべすべした細い指だったけど、なぜか頼もしい気持ちが湧いてくる、不思議な手だった。
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「それにしても、マチアスは何をやってるのかしら? 今日が決行日だって分かってるのよね」 そう私がイボンヌに聞くと、「はい、私、何度も確認しましたから、大丈夫だとは思うのですが……」と答えたその時、勝手口を拳でドンドンと叩く音がして、私が戸口で「どなた?」と聞くと、「わ、わたしよ!」というマチアスの声が返ってきた。
マチアスは大きな背嚢をしょって、ハアハア言いながら店内に転げ込み、「こ、ここが潜伏場所だとばれました! 密告者がいて、今、城からホランドの近衛隊がこちらに急行しています! すぐに出ないと!」と、一気にまくし立てた。
皆が、思わず、トマの顔を見る。
トマは、「ち、ちがう! 俺じゃない! 密告するくらいならとっくにやってた! わざわざ見送りなんかくるはずないだろ!」 と、真っ赤な顔で皆に訴える。
私は、「‥‥‥そりゃそうよね。いや、一瞬とはいえ疑ってごめんね。二階も閉め切ってて怪しかったし、どこかから漏れたのね。なんにせよ、こうしてはいられない。皆ですぐ港に向かうわよ。私とトマも着いていくわ。この辺の道、よく知ってるからね」と言ったところで、クレマンが、
「残念ですが、私はここでお別れです。一緒にいるのを見られるわけにいかないんです。……みなさんどうぞご無事で。クラウスさん、この二人を、エリトニーの宝を、どうか宜しくお願い致します」と言い残し、頭を下げて戸口から素早く出て行った。
私は、厨房に行って包丁を2本取り出し、一本をトマに渡し、皆を眺め渡して、「さあ、行くわよ。もうばれちゃったから、私も無事じゃ済まないしね、港に急ごう」と声をかけた。
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7人で店を出て、港に向かう。
この辺りは下町で、小さな家や店が密集しているので、港に向かう道は幾通りもあり、まるで迷路のようだ。だから、なるべく追っ手に見つかりにくい、細い道を辿って港に急ぐ。
ボートを係留しているのは、防波堤の突端。本来、10分もあれば着くが、小さな子供を連れているので、どうしてもスピードが遅くなってしまう。
いくつかの角を曲がったところで、後方から何かを破壊する「ガッシャーン!」という音が響いてくる。今、店のドアが壊されたんだ。
マチアスが、「店に侵入されました。中を改めるので、多少時間は稼げるでしょうが、誰もいないことが分かれば、港に急行するはずです!」と息を切らせながら話し、「剣と槍だけなら私一人でなんとかしますが、弓隊がいたら厄介です。海に漕ぎ出してからも狙われますから!」と続けた。
そこに遠くから、カチャカチャという馬蹄の響きが聞こえてきた。馬で追っているのか。これは厳しい。スピードが全然違う。急げ!
しばらく行くと、道が二手に分かれていた。どっちに行く? どちらも港に通じてはいるが、馬で前に回られたら、後ろの歩兵隊と挟み撃ちだ。どっち?
「!」 そこで、頭上から羽音が響いた。亜麻色の小鳥が私の肩に舞い降りてくる。
「あっ! メラニー!」 思わず私が声をあげると、メラニーはすぐに飛び立って左の道を先導して飛んでいく。上から見ててくれたんだ!
「こっちよ! 続くわよ!」 私達は小鳥を信じて左の道を急いだ。もう子供たちは苦しくて走れなくなり、マチアスがアロイスを抱え、クラウスがセシルをおぶっている。
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ようやく港が見えてきた。
どうやら騎馬は迷ってるのか追ってこない。ホランド兵はこの辺りの道を知らないからね。
港に辿り着いて、埠頭を横切って奥に進み、左手の防波堤に向かう。もうみんな息が切れて、倒れそうになっている。
と、そこで、ついにホランドの歩兵部隊が追い付いてきた。何手かに分かれて捜索しているようだ。夜陰といえ、この人数が移動していてはすぐにばれてしまう。案の定、口々に「いたぞー。防波堤だ!」と仲間に叫び、こちらに向かってくる。
「まずいな。ボウガンがいる。早く漕ぎ出さないと!」と、マチアスが叫んだところで、
「父さん! 下ろしてください! 僕とお姉ちゃん走れます!」とアロイスが叫び、二人を下ろして、防波堤の突端に急ぐ。ボウガンを持った歩兵部隊が隊列を組んで追ってくる。
防波堤は約300m。普段なら1分たらずだろうが、こうしている今は、まるで長さが何倍もあるように感じる。全員でまさに死ぬ気で走り、突端に舫ってある、中型の手漕ぎボートに辿り着く。
岸壁からは2mの落差があるが、今は船内の梯子を渡している時間はない。
まずマチアスとクラウスが飛び降り、続いてイボンヌが飛び、マチアスが受け止める。
さすがにこの高さは5歳の子供には怖いが、「セシル! アロイス! 父さんが受け止めるから、飛べ! 今すぐ!」とマチアスが叫び、アロイスが「うわーっ!」と叫びながら思い切って飛び、マチアスにフワリと受け止められ、次いでセシルも飛んで、こちらはクラウスが受け止めた。
すぐに私とトマで、ボートを舫ってある綱をほどき、船に投げたら、「おばあちゃん、トマおじさん、乗ってーっ!」と双子が叫んでくる。
「さあ、ボウガンが来るよ! 早く行きな! 100m漕げば大丈夫だから! こっちは心配要らないから!」と、笑顔で声をかけて、振り返ると、歩兵隊が防波堤を走り、もう200mくらいの距離にまで詰めてきていた。
「何やってんだ! 早く出ろー! 俺たちを無駄にすんなーっ!」とトマも叫び、クラウスが「すみません! 行きます! どうかご無事で! マチアスさん、漕ぐぞ!」と声を掛け、オールでグッと岸壁を押して港に漕ぎ出した。大男二人がオールを引いて、少しずつ遠ざかっていく。
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「さて」 と、私はトマに顔を向けて
「トマ、私達、もう、十分生きたよね」と声をかけると、
「ああ、そうだな」って、トマがニヤっとして笑顔を返してくる。
目の前に弓隊と歩兵隊が迫ってくる。あと100m。
「こんなことに巻き込んじゃって悪かったねえ」
「いいさ。お前が死んじまったら、生きててもな。借金に追われるだけだしな」
「トマ、私、あんたのことほんとに好きだったわよ。いい男だった」
「俺もだぜ、クリステル。最期がお前と一緒で幸せだ」
トマは、遠ざかっていく船を見て、
「アロイスー! セシルー! エリトニーを頼んだぜーっ!」と大声で叫び、振り返って私に目くばせをした直後、「うおああーーーーーーーーーーっ!!!」と雄たけびを上げて、包丁を手に歩兵隊に突っ込んでいく。
私も、「あーーーーーーーーーっ!!!」と叫びながら、その後に続く。
とにかく、少しでも足止めを。あと10秒でいい。それだけの時間が稼げれば。
8、7、6……
包丁を手に、突っ込んでいく私の頬、肩、右腿に何かが当たる。火の棒が身体に突き刺さる。すごく痛い。でも死ぬ気になればなんでもできるはず! 私は手も足も止めずに突っ込む。
5、4、3……
トマと一緒に歩兵隊の先頭に突っ込み、滅茶苦茶に切りかかる。
何かが私を突き崩してくる。ああ、これは槍だ。でも、もう、痛くもないぞ。
私は、突き立った槍を抱えたまま、歩兵の足を切りつけてを転ばせ、それに周りの兵士が躓いて転ぶ。
2、1、0……
……ああ、もう十分だ。そう思ったところで、身体が動かなくなった。視界が真っ白になっていく。これはすぐ意識がなくなるんだな。
……セシル、アロイス。私の可愛い孫たち。あなたたちに、神のご加護あらんことを。
エル・ディナス(我ら全て神の胸の内)!!
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この夜、エリトニーの港で二つの命が散った。
一人は、金の誘惑には目もくれず、最後まで双子を守り抜いた、好漢トマ。享年63歳。
もう一人は、メラニーの過ちを許し、その双子を匿い、送り出した、どこまでも澄み切った心の持ち主、クリステル。享年65歳。
愛する故郷、エリトニーの復興を願った二人の命は無駄にはならず、後に、ホランドに痛恨の一撃を与えることとなった。




