第2話 従者メラニー その敬慕と葛藤
午後8時30分。私は、お城を出て、海上の回廊を渡り、サラ王妃さまの搭へと歩を進める。
午後9時からは、王様の夜伽のお時間。その前に、サラ様の湯浴みのお手伝いをして、夕食のお膳を下げる。
回廊を抜けて、搭の門番に、「サラ様の湯浴みに来たわ。開けて」って告げ、門番は「これはメラニー様。毎日お疲れ様です」と言いながら、鍵束をガチャガチャして、入口の南京錠を開けてくれる。
私は、侍従長の娘。だからまだ18だけれど、女中頭に任命されている。サラ様のお世話が出来るのは、私と、そして朝食を届ける女中のお局だけだ。
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搭内側の螺旋階段を昇りながら、私は今日も同じことを考える。
お可哀そうなサラ様。まだ23なのに。
あれほどお美しくなければ、今頃、それなりの男の妻になって、幸せな人生の端緒についたところだったでしょうに。
だけど、確かに王様は稀にみる傑物ではある。
それは侍従長のお父様も言っていた。
「ウォレム王は、一代の英雄だ。私は、あれほどの男をほかに知らない。秩序の破壊者、改革者でありながら、治世においても施政者として、全く欠けることなく、この国を上手く統べている。通常、その二つは両立せず、治まった世では英雄は排除されていくものだ」と。
それは本当にそうなのだろう。
少数民族であるエリトニー人ばかりが寄り添って生きてきた、ホランド王国のいち自治州の悲願を、あの英雄がついに成し遂げた。民族の誇りを胸に秘めたまま、多くの男が死んでいったあの戦いを、自らは華々しく散ることなく、だが、粘り強く、計略も外交も駆使して、最後は勝ち切った。
ホランド王国と敵対、あるいは警戒している他国に上手く取り入り、15年前、ついに独立戦争を和睦に持ち込み、小さくて貧しいけれど、エリトニーの国が、私たちの拠り所が、この地に確立された。
なのに、王様は謙虚で立派だったから、自分の国にはしなかった。「皆で勝ち取った、皆の国だ」と、最後まで「王国にすべき」という家臣の意見を押し切って、あえて「エリトニー公国」として建国し、以後、他国との微妙なバランスを取りながら、今日までこの国を見事に統べてきた。
だけど、その一代の英雄がいなくなったら、もう分からない。ホランド王国だけでなない、強国ホランドとの端境に、橋頭保(きょうとうほ。拠点、拠り所)を築きたい他国も、虎視眈々とこの国を狙っている。
だから、英雄が隆盛を保っているうちに、同じ位、優秀で強力な世継ぎを育てたい。
それは、お父様もいつもいつも言っていて、第2夫人、第3夫人の候補をたてるのだけれど、王様は一途にサラ様だけを愛し続けておられる。
それも、異常とも思えるほど、偏執的に。
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一方、私、メラニーも、我ながら美しく生まれてきた。侍従長が城下から娶った、美しい母との間に生まれた私は、小さな頃から、ずっと、「この子は本当に美しい」「この子はもう人生の8割方成功した」って、そんなふうに言われ続けてきた。
戦争で、男が少なくなったこの国では、女の価値は、立派な男と一緒になれるだけの器量と、そして、出過ぎない程度の丁度良い振舞いがなによりも大事。それがいいことなのか、本当のところは、私には分からないけれど、実際そうなってるのだから、仕方ないじゃない。
だから、この国の女は、懸命に美しさを磨く。美しくないものは、懸命に知恵を磨いて生き残る。
私の綺麗なとび色の瞳と、柔らかな亜麻色の髪、そして細い腰と豊かな胸は、この国で生きるための条件を全て満たしていた。
星空で言えば、白くくすんだ星々の中で、ひと際金色に輝く明けの明星(金星)のように、鮮やかな光を放っていた。
だから、15の時にお城の女中見習いになって、もちろんいろいろ辛いこともあったけれど、先輩たちをあっという間に追い抜き、女中頭にまで出世できた。この美貌をもって、お城の、優秀な、有望な若者と一緒になるのだろうと、そう思って生きて来たの。
だけど、そんな自尊心も、あの方の従者になって、粉々に打ち砕かれた。
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牢番の大きな男に、「サラ様を迎えに来たわ。開けて」と声をかける。牢番は、壁に寄りかかってうつらうつらしていたけど、ビクっと直立して、「これはメラニー様! 今日も遅くまでお疲れ様です。お仕事熱心ですね」とおべんちゃらを言って、「妃の間」のカギを開け、青い鉄格子を引いてくれる。
私が、部屋の中に、「王妃さま。メラニーが参りました」と声をかけると、窓辺を見ていたサラ様は、「ああ、メラニー、そんな時間なのね。ありがとう」と、優美な微笑みを浮かべ、私を迎えてくれる。
ああ、そんな眼で見つめるのはやめて。サラ様、あなたは美しすぎる。
ほとんど銀髪と言っていいような薄い金色の長い髪。広い肩幅に、すらりと細く長い手足。でも、なぜか突き出した形のよい胸と、殆ど棒切れのような細い腰。粉雪のように白くきめ細やかな肌に、眉毛と睫毛だけは少し茶色がかって、それが美しい顔の輪郭を強調している。
何もかも完全な、神に祝福されたような肢体。この現世でも、古今通じた歴史の中でも、一人もいないと称される、究極の美女。それが、今、私の目の前にいる。
私が金星ならば、サラ様は白く丸い大きな満月。夜空の恒星を圧倒して明るいヴィーナスも、隣にルナが輝いていたら、そんなのせいぜい引き立て役よね。
でもいいの。私はサラ様の従者なんだから。サラ様がこの世で一番美しい、本当に、心からそう思っているの。
それにサラ様は、お美しいだけじゃない。いつも私を気遣って、優しくして下さる。
お辛いに違いないのに、自分のことは措いておいて、毎日遅くまで世話をする私のことを心配して下さっている。
だから、私は、サラ様を心からお慕いしている。私は、この方の力になりたい。サラ様が望むことは、なんでもして差し上げたい。
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私は、服を脱いで裸になったサラ様を、湯浴みの浴槽で、綺麗にする。白いシルクで、顔から足先まで、優しく擦って、綺麗にして差し上げる。ああ、なんて綺麗な肌。シルクとどちらが白いのか、どちらが柔らかいのか、もう区別がつかないくらい。
私は、シルクでサラ様の豊かな胸を擦りながら考える。
……この美しさが、サラ様の首を絞めている。可哀そうなサラ様。
サラ様は、10になる前から、その美貌は城下で評判になっていた。その声は場内にも届き、ちょうど10歳のときにお城の女中部屋に入り、最初は私のお父様のお付きになり、お父様が厳しく仕込んだあと、しばらくして王様のお世話をするようになった。
サラ様は、美貌だけではない、よくものを考える、思慮深く聡明な少女だったので、すぐに王様に見初められ、18になるのを待って、王様とご成婚された。
もちろん、最初はよかったのよ。お二人ともお幸せそうで、どこに行くにも、どの行事に出るにも、ずっと一緒だった。国民も、外国の要人も、サラ様の美しさには目を奪われていたわ。王様も、ご自慢のお妃様だった。
どこのお城の舞踏会に出ても、サラ様の前には行列が出来て、次々に立派な若い男たちが誘って来たそうよ。王様は、それを誇らしげにみて、サラ様を自由にさせていた。
だけど、この国は、貧しく弱い小国。絶世の、そして、聡明な美女を我が物にしたい男たちは山ほどいて、そのうち、少しずつ圧力をかけてきた。隣国のホランド王国をはじめとして、「エリトニー公国の安寧を保証するから、人質にサラ王妃を差し出せ」と言ってくる国がいくつも出始めた。王様は、それを歯牙にもかけず、全部突っぱねたわ。
だけど、ある夜、エリトニー公国城で行われたパーティで、あの事件が起こった。
サラ様に恋焦がれるあまり、気のふれてしまった若い貴族が、酔いに任せて、王様に、
「お前さえいなければ、サラは俺のものだったのに! くたばれ、この醜い豚が!」と叫びながら、小さなナイフを手に襲い掛かったのね。
もちろん、その愚かな若者は、すぐその場で取り押さえられたのだけど、王様は、青い顔を震わせて、「今すぐ、そいつを切り刻め!」と命令して、その場にいた護衛兵がためらいながらも、手にした剣と槍で、若者を6つに切り刻んだって聞いてる。
そこまで至って、ついに王様の心は決まって、満場の来客、もちろんその中にはサラ様目当ての殿方や他国の要人がいたんだけど、その方々に向かって、
「もう、我が妃は、誰にも見せぬ! 誰にも触れさせぬ! 永久に、予の手しか触れることのできない、はるか遠くに連れ去ろう! これが妃を見る最後だ! 皆の者、そう思え!」と叫んで、サラ様の手を引いて、お城の深くに消えていったということよ。
そこから先の、今の物語は、お城の中でも、侍従室と私のほか、ほんの少ない人しか知らないの。
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私は、薄い夜着にローブを羽織ったサラ様と一緒に、お城に向かう海上の回廊を渡る。後ろには牢番と搭の門番が付いて、サラ様が逃げないように見張っている。
これは、一日一度だけ外に出られる時間。だけど、王様の夜伽をするだけの、おぞましい時間。
そう、ウォレム王は、醜い。醜悪だ。他国と戦っていた時は、それでも戦う男の頼もしい顔に見えていた時期もあった。
でも今は、安定した治世となり、全身が醜く肥満し、太りじしの顎や首から、襟に贅肉がはみ出している。お腹も大きくせり出して、特におへそから下がだらしなくたるんでいる。革命の情熱に燃えていた熱い瞳も、今は厚ぼったい瞼が垂れ下がり、厚い唇はめくれあがって乾いた歯茎が覗いている。
もちろん、それでも、賢明で立派な王様であることは間違いない。今でも、この国の人民の希望と尊敬を一心に集める英雄だ。
でも、私なら、こんな男に毎晩抱かれるのは耐えられない。ぞっとする。
たとえ、妃になるのが、この国の女の夢の終着点であったとしても、私は嫌。
もちろん、それは、私が、生まれながら美貌にも家にも恵まれていたからかも知れないけど。
サラ様と、私を含めた従者3人は、お城の横手にある通用門から入り、厨房の横を抜けて、謁見の間の後ろにある階段から上にのぼる。階段を3階層分上ったところを右手に折れて、王の寝屋まで案内する。
サラ様が、トントンと寝屋のノッカーを鳴らし、「王様、わたくしは参りました」と声をかけると、すぐに「ああ、サラ。今日もよく来てくれたね。入っておいで」という、低くて、甘くて、優しい、王様の声が聞こえた。目に見えなければ、石牢に閉じ込めたりしなければ、本当にお優しい、素敵な方。
私は、サラ様に、「お妃さま。またしばらくしたらお迎えに上がります」と言い残し、番人と一緒に階下に下がった。
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これで私の一日の仕事は大概終わり。あとは、しばらくしてから寝屋にサラ様を迎えに行って、搭に送り届けて一日が終わる。遅くなるので、明日の午前中はお休みだ。
だけど、帰り際、お城の2階にある侍従長の執務室に寄る。お父様に、一日の終わりにご挨拶するためなの。‥‥‥いや、嘘はダメね、お部屋にいる、副侍従長のジュリアン様にひと目会いたいからなの。
執務室のドアをノックし、「お父様。メラニーが参りました」と声をかけると、奥から、「ああ、メラニーか、どうぞお入り」と、お父様じゃない、テノールの、耳に心地よい声が響いた。嬉しい、今日は、ジュリアン様だけなんだ!
私は、胸を高鳴らせ、でも何事もなかったようなすまし顔で部屋に入り、少し首を傾げて、
「ああ、ジュリアン様。お父様はいらっしゃらないのですね?」と聞くと、ジュリアン様は、
「うん、そうだよ。今、ちょっと出てる。すぐ戻ってくるんじゃないかな」って返して、続けて、「こんな時間まで、若い女の子が大変だね。身体に気をつけなきゃいけないよ。寝込んだらお妃様も困るんだしね」って、美しい顔でニッコリしながら、私に話しかけて下さった。
ああ、そんな綺麗な眼で私を見詰めるのはやめて。色の薄いエリトニーの民族と違う、濡れたような黒い瞳。そして、長い髪は、殆ど黒っていっていいくらいの、こげ茶で、自然と巻いている。どんなに心を取り繕っていても、本心は表に漏れてしまって、その黒い瞳に見透かされるんじゃないかって、心配になってしまう。
ジュリアン様は、エリトニーの人ではない。ホランド王国の貴族、遠い先祖は東洋から来たというクリフ家の末裔。この国が独立した時に、「施政を助ける」という美名のもと、体よく送り込まれてきたお目付け役。侍従室、大臣、将軍のもとにそれぞれ一人、計三人いるうちの一人だ。
5年前からこの国に赴任しているが、まだ27歳、よほど優秀なのだろう。今では、この国の女たちが胸の前に手を合わせて一心に想いを募らせる、まさに憧憬の対象だ。
と、そこに、ちぇ、お父様が帰って来ちゃった。
「ああ、メラニー、今日もご苦労様。王妃様はどう?」
「はい、今日もお元気そうでした。王様も、いつもどおりお優しいご様子でした」
「そうか、それはよかった。また明日も頼んだぞ」
「はい、お任せください。お父様もジュリアン様も、遅くまでお疲れさまでした」
私はそう声をかけ、お父様をチラっと見たあと、ジュリアン様を熱い眼差しでじっと見つめた。ジュリアン様もそれに応えて、穏やかな微笑みを向けてくれた。
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私は、急ぎ足で階段を降り、女中部屋に向かう。
胸が苦しい、顔が火照っているのが分かる。今日、初めてジュリアン様と二人きりになった。
ジュリアン様も、まんざらでもないご様子だったわ。
ふふ、私が18、ジュリアン様は27、ちょうど吊りあいがいいくらいよね。侍従長の娘と、若い副侍従長だもの、とってもお似合いよね。
そう、サラ様と違って、私は、どんなに恵まれようと、お妃なんかにはなりたくない。
私が愛したただ一人の男、ジュリアン様のものになりたい。そして、ジュリアン様を私のものにしたい。
絶対に、何に換えても、そうするんだから。
エリトニー城には、実はモデルがありまして、それが、RPGの名作「ポポロクロ〇ス物語」に出てくる、ポポロクロ〇ス城なのです。
モデルも何も、まんまパクリで、攻略本の城内マップを見ながらナーロッパ編を書いていました。
水上に建っている城で、城下町からは回廊を渡って城内に入る構造になっています。さらにお城本体から水上の回廊を渡って、離れの搭に至る配置になっています。
この離れの搭が、サラ様が幽閉されている「王妃の間」ですね。
実在のお城としては、フランスのモンサンミッシェルがモデルになります。
ポポロクロ〇ス城のアニメ画を描いた方が、「お好きに使ってください」とおっしゃってくださっているので、貼り付けておきますね。