第1章 第3話 女王の形見 「エタンのルビーとサファイア」
~ メラニー女王らが、秘密の通路を抜け、サラの母、クリステルの家へ ~
(本話はメラニー視点です)
私は、目の前のクリステル様に、お辞儀をし、二人の子供にも、「こちらがクリステル様。あなたたちがゲルマーに渡るまで、短い間だけど、ここでお世話になるの。ほら、ご挨拶なさい」と促し、二人とも膝を折ってチョコンと頭を下げて、「クリステル様、初めまして。これからお世話になります。お願い致します!」と挨拶した。
「あらあら、元気にご挨拶出来たわね。偉いわ(笑)」 クリステル様はそう言って、しゃがんで目線を二人に合わせ、「でもね、『クリステル様』なんて堅苦しいから、『おばあちゃん』って呼んでね。私も、こんな可愛い孫が二人もできて嬉しいわ。これから宜しくね」と言いながら、眼を細めて微笑み、両手で二人の頭を撫でてくれた。
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マチアス(重装騎兵)、イボンヌ(メラニーの従者)、クレマン(内務大臣)も順々に挨拶した後、食堂のテーブルに移動して、紅茶を飲みながら打ち合わせをする。子供たちは、嬉しそうにクッキーを齧っている。
「クリステル様。この度はご面倒をお願いして、誠に申し訳ございませんでした」
「ううん、いいのよ。これ、もともと大事な人を逃すための抜け道なんだから、こういうとき使わないとね。それに、この家も王様の持ち物なんだし」
「でも、サラ様があんなことになってしまって、クリステル様も絶対思うところがあったはずですのに……。今になって、こんなに厚かましいお願いをして、本当に申し訳なく思っております」
「だからもういいって。それは何度も話し合ったでしょう? もちろん、私だって、一人娘のサラをあんな形で失ったのはとても苦しい出来事だったし、ある意味その原因を作ったあなた、そして王様にも、よい感情があったわけではないわ」 そう言って、クリステル様は、視線を落とし、銀色の睫毛を伏せたあと、静かに息を一つ吐いて、
「だけどね、あなたが告げ口しなくても、どのみちジュリアンは捕まっていたと思うし、サラも自分で自由を選んだんじゃないかと思うのよ。それに、王様もあなたも、この国ために、すごく尽くしているのは分かっていたから、過去の過ちはあるとしても、ほんとに、心の底からは憎めなかったのね」と続けてきた。
「そんな……」
「本当にそうなのよ。それに、これを引き受けたのは、あなたのためじゃなくて、この子らのためなんだから。この子たちに罪があるわけじゃないんだし、エリトニーの将来にとって、とても大事な人だと思うから、私の気持ちはさておき、この二人を守り通すって心に決めたの」
「クリステル様……、本当にありがとうございます。……恩に着ます」 そう、私は言葉を詰まらせ、クリステル様に深く頭を下げた。
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そのあと、この間、内密にゲルマーと連絡を取り合ってきたクレマンから、今後の手順が説明された。
「2週間後の夜中に、ゲルマーの軍船がエリトニー港の沖合まで来ます。迎えのボートが埠頭まで来ますから、それに乗って軍船に渡り、ゲルマーを目指すことになります」 クレマンはそう言って、向いに座るマチアスとイボンヌに目をやって、
「同行するのは、マチアスとイボンヌです。既に家が用意してありますから、ゲルマー到着後は、セシル様、アロイス様と共に生活することになります。頼んだぞ、マチアス、イボンヌ」 そう声をかけ、二人とも頷きながら、「はいっ」と明瞭に返事を返した。
「でも、向こうでどうやって生計を立てるの?」と、クリステル様が聞くと、クレマンは、「大丈夫です。マチアスは、ゲルマー共和国軍の指導補佐の仕事に就くことになっています。エリトニー史上最強の騎士ですから、向こうでも頼りにされると思いますよ」と、笑顔で答えた。
「そうよ、セシル、アロイス。これからは、マチアスがお父さん、イボンヌがお母さんになるのですからね。二人の言うことをよく聞いて、いい子で過ごすのよ」 そう私が言うと、アロイスが、「はい、父さん、母さん。これから宜しくお願い致します」と言って、ペコっと頭を下げた。
「そんな、アロイス様。勿体ないお言葉でございます。お顔をあげてください」 そうマチアスが恐縮すると、アロイスは、「いえ、だめです。マチアス父さん。これから家族として過ごすのですから、普段から家族で揃えておかないと、必ずボロが出ます。どこで誰が見ているか分かりませんから。僕とお姉ちゃんは、お二人の子供にならせてもらいます」と、再び頭を下げてお願いした。
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「それと、マチアス」
「はい、女王様」
「お城の金庫が殆ど空っぽになっちゃったから、少なくて悪いんだけど、これ、持って行ってね。多分、1年くらいは暮らせるだろうから」 そう言って私は、金貨200枚の入った包みをマチアスに渡した。
「それと、これも持って行って。クレマン、あれ、出してくれる?」 私の言葉にクレマンが包みを開けて差し出したのは、私が最後まで売らずに取っておいた王冠だった。
「これ、宝石が150個ついているのね。一つずつ外して売れば、きっと10年くらいはもつと思うから、大事に使ってね」
「いや、女王様。そんな大切なものをお預かりできません。わたくしがお城の仕事をして稼ぎますから、どうぞお収め下さい」
「何言ってるの。私なんかが持っていたら、そのうちホランドから来たお偉いさんに取られちゃうわよ。これを一番活かせるのはあなたなんだから、大事に持っていなさい」
「ですが……、そこまで私とイボンヌを信頼して頂けるのですか? 悪心を起こさないか心配ではないのですか?」
「そりゃ、全く心配ないと言ったら嘘よ。だけど、人って、『騙されてもいい』くらいに思わないと、信頼できないでしょう? あなたとイボンヌはそんなことしないって信じてるけど、もし裏切られとしても、それは私が見誤ったんだから、私のせいなのよ。それなら子どもたちも、そこまでだったってことなんじゃない」
「‥‥‥分かりました。女王さま、クラウンをお預かり致します。私とイボンヌで、命をかけてもセシル様とアロイス様を守り抜きます!」
「よかった。頼もしいわ。あなたたちの人生も大きく変えることになって、本当に申し訳ないのだけれど、ほかに頼れる人もいないし、お願いしたわよ」
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「それから、セシル、アロイス。あなたたちにはこれを」 そう言って、私は、華やかな宝石のついた二振りの短刀を差し出した。
「これは、私が石牢から解放されたときに、王様から頂いたものなの。飾りものにしてたくらいだから、実用に向くかは分からないけど、もう、私があげられるのはこれくらいしかないから、大事に取っておきなさいね」
それを見た、クレマンとマチアスが、「あれ? 刀匠の銘が入ってますね。ちょっと拝見」と覗き込んだと思ったら、
「ああっ! これはエタンの打った短刀ではないですか! エリトニーの刀剣造りの始祖となった伝説の名匠、エタンです。もう100年も前に亡くなっているので、今では本当に数振りしか残っていないと言われていたのに。王様の寝室に二本あったのか……」と、驚きの声をあげた。
「え、そうだったの?」
「そうです。女王様、これは、まれに見る名刀、大変な値打ちものですよ。到底値段なんてつけられない位です」
「あら、私そういうの全然疎いから、ごめんなさい。それ、ガーターベルトに挟んで、『これ頂戴』って言ったら、王様が喜んで下さったのよ(笑)。それじゃ、これ、私と王様の形見……いや、お守りとして最適だったのね。よかった」
私は、「この赤い宝石が入っている方をセシルに、青い石が入っているのをアロイスにあげるわ。私、『ルビー』と『サファイア』って呼んでたの。まだ二人には長すぎて危ないから、これも普段は父さんに預けておきなさい」って言いながら、二人に一本ずつ手渡した。
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と、そこで気付いた。すっかり忘れてた。危なかった。
「ああ、そうだ、セシル、アロイス!」
「なんでしょう。母様」 二人が顔をあげて答えてくる。
「今、通ってきた抜け道があったでしょう? これは王様が搭を立てたときに作ったものなんだけど、王様は、このほかにも、あと二つ、大きな仕掛けを作られたの。エリトニー城が危機に陥ったときのためにね。メモにしてきたから、よく覚えておきなさい。覚えたらメモは燃やすのよ」 そう言って、私は小さな紙片に書いたメモを渡した。
そうしたら、二人は、頭を寄せ、何秒かじっと見つめたあと、殆ど声を揃えて、
「覚えました。もうこれは捨てますね」って言って、アロイスが細かくびりびりに引き裂いた。
「本当に? もう覚えたの?」と私が聞くと、セシルが「はい大丈夫だと思います」と応え、アロイスも「忘れたりはしません。一応、時々お姉ちゃんと言いっこして確認します」と、笑顔で返してきた。
ほんとに、この二人、空恐ろしいほど頭がいいのね。頼もしい気持ちにもなるけれど、我が子ながら、ちょっと怖くなってしまうくらい。
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「うん、これで必要なことは全部伝えたわ。……それじゃ、私、そろそろ行くからね。夜中だから大丈夫だと思うけど、顔見られるとよくないから、また海の下を通って帰るわ。クリステル様、子供たちを宜しくお願いします。クレマン、マチアス、イボンヌ。本当にありがとうね」
そう言って、私、あえて、あっさりとその場を去ろうと思っていたんだけど、やっぱりだめね、セシルとアロイスがしがみついてきた。そりゃそうよね。私から離れて、異国で暮らしていくんだから、不安に決まってるわよね。
セシルが私の足にしがみついて、
「母様! きっと、また会えるのよね? 絶対よね?」と泣きそうな顔で聞いてくる。だけど、アロイスは何も言わず、顔を埋めているだけだ。やっぱりアロイスには分かっているんだ。
だとすると、私が下手な嘘をついて、二人に叶わない期待を持たせてもよくないわね。
私は屈みこんで、二人の顔を見ながら、
「二人とも、いい子だから、よく聞いてね」 と笑顔で話しかけ、一呼吸おいてから、
「たぶんね……もう母様とは会えないと思う。母様も、いつまで生きていられるか分からないの。それも、そう遠い日のことではないと思う」 その言葉に、その場にいる全員が息を飲む。本当に言った、って。
「でもね。そうなっても、私は、いつでも、空の上からあなたたちのことを見てるから。守ってるから。大丈夫よ。いつもいつも傍にいる」 可愛い二人の子供たちが強く抱き付いてくる。
「辛くなったりね、危険なことがあったりしたら、私のことを心の中で呼びなさい。そうしたら、私と王様が、すぐ駆け付けて、助けてあげるからね。だから、頑張ってね。強く生きていくのよ。‥‥‥私……ずっとずっと……見てるから」 ああ、だめ。泣かない、泣いちゃだめ。子供たちが泣いちゃうでしょう?
私は、愛する子供たちを胸に抱いて、細くて柔らかな髪を撫でる。
ああ、この子たちを産み落とすのは、すごく苦しかったけれど、でも、間違いなく、その何倍も私に幸せをもたらしてくれた。本当に、この5年間、私は全力で生きてきた。ありがとうね、私だって別れたくはないのよ。
だけど、いつまでもそうしているわけにもいかないわよね。
「ごめんね。私、本当にもう行くね。私がお城にいないことが分かったら、よくないから。私、まだ少し、エリトニーのためにやることが残ってるから、それを最後の日まで続けるね」 私はそう言って、二人を離し、そっと静かに背中を押して、イボンヌの元にやった。
そして、二人の顔を最後にチラっと見て、無理にニコってしながら、
「それじゃね、私の愛する子供たち。5年間一緒に過ごせて、本当に幸せだったわ。ずっと元気でいてね!」って言って、もう振り返らず、暖炉の奥の扉を開け、静かに、でも、躊躇なく閉めた……。
扉の後ろで、我慢していた二人が、イボンヌに抱き着いて、大声でワンワン泣きだしたのが聞こえてくる。ああ、イボンヌも声を出して泣いている。そうだ、私、イボンヌの母親代わりだったものね。
私は、扉を背に、へたりこんで、両手をついて、声を立てて泣き崩れた。
今、自分で手放した。送り出したんだ。もう、もう、二度と会えないんだ……。私は、身体を震わせ、嗚咽を漏らし、地面を爪で掻きむしる。
ああ、神様、ううん、悪魔でもいいわ、私の、この身体も命も全部捧げますから、炎に焼かれても構いませんから、……どうか愛する子供たちを守って下さい。どうか、お願いします……お願いします……。
そうして、私は、涙で顔をグシャグシャにしながら、しかし、意を決して、カンテラを手にスックと起き上がる。
まだ終わってない。最後の日まで、この国を支えるわ。これからは泣いてなんかいられない。
そして、足元を確かめながら、一歩ずつ静かに階段を降りる。
そう、ここから先は、地獄への階段。
降りるのは、私一人で十分だわ。