第1章 メラニー女王と双子、永遠の別れ
~ この章の登場人物 ~
・マチアス
エリトニーの近衛部隊の小隊長。後の独立戦争時には、重装騎兵ツートップの一人。セシルとアロイスの従者及び父親役として、ゲルマー共和国で生活を共にする。穏やかだが勇敢。201㎝ 80㎏(馬に乗るため、軽い)。25歳。
・イボンヌ
メラニー女王の従者。10歳のときに女中見習いになり、メラニーに鍛えられる。天涯孤独。性格は穏やかで従順ながら芯が強く、美人。双子の母親役として、ゲルマーで暮らす。後に、マチアスの妻となる。20歳。
・クリステル
前王妃サラの母親。エリトニーの下町で食堂を営む。サラによく似た、美貌の老婦人。新政権から迫害されるリスクを甘受して、国外に脱出するまでのセシルとアロイスを匿う。65歳。
・クレマン
エリトニーの内務大臣。ウォレム王、メラニー女王に生涯の忠誠を誓い、エリトニー滅亡後も、外面的にはホランドに恭順する姿勢を見せつつ、密かにセシルとアロイスの帰還を画策する。小柄で大人しいが、情熱を秘めた、信頼できる男。40歳。
******
(本章はメラニー視点です)
午前2時30分。
私は、眠そうに目を擦る5歳のセシルとアロイスを連れて、人目に付かぬよう気を付けながら城内を移動し、王の間に入る。
しばらく3人で息を潜めて待っていると、ドアがノックされ
「メラニー様。イボンヌが参りました。こちらは全員揃っております」と声が掛かった。
私は、「ちょっと待って」と答え、ドアを薄く開けて確かめてから、3人を中に招き入れ、内側から鍵をかける。
イボンヌに続き、近衛団のマチアス、そして内務大臣のクレマンも入ってきた。
三人とも、私の息がかかった、信頼のできる者たちだ。
今日、何をするのかは、予め話してある。のんびりしてはいられない。
私が、「ここよ」と、部屋の最奥の壁際にある黒檀の大きなキャビネットを指さすと、マチアスとクレマンが手を添え、それを横に動かした。
キャビネットの後ろの壁は、一面のレンガだったが、その中に一つだけ、目地に細く切り込みが入っているものがある。私が爪を立て、それを引き抜くと、中には番号が記された10個のボタンが並んでいた。
私が、王様に教わったとおりの順番で7桁の番号を打ち込むと、小さく「カチっ」と音がしたので、そっと壁を押すと、とても作りがいいのか、音もなくスーッと開いて、人がやっと一人通れるくらいの入り口が現れた。真っ暗で見通せないが、急な階段が下に続いている。
「さあ、行くわよ」
私はカンテラを持って振り向き、皆を促した。
******
(この通路を使う日が来るとは思わなかったな。だけど、これがあって良かった) 私は、そう心のうちでひとりごちながら、この何年かを回想する。
5年前、私が、石牢から解放された半年後、双子の赤ちゃんが生まれた。
女の子の方が姉のセシル、男の子が弟のアロイス。幸い、私だけに似た(笑)、それはそれは可愛い、珠のような赤ちゃんで、毎日私がお乳をあげて、元気にすくすくと育っていった。
英雄の世継ぎが生まれたことで、国中が祝祭ムードに包まれ、王様も、そして初孫の出来た侍従長のお父様も含めて、皆が幸せでいっぱいだった。
……だけど、子供たちが3歳になり、城内を自由に遊びまわって、少しずつお勉強もするようになった頃、急に王様が体調を崩された。お腹の右が痛いということだった。
それでも、王様は、しばらくは頑張って、毎日の公務も半分くらいはこなしていたんだけど、そのうち痛みが激しくなってきて、ほんの少ししか出来なくなり、一日の大半をベッドで過ごすようになった。王様が耐え切れずに漏らす、苦し気な呻き声にいたたまれず、痩せてしまったお腹をさすってあげると、右の真ん中に大きな瘤のようなしこりができているのが、はっきりと分かった。
ああ、これは、悲しいけれど、もうそれほど長くはないんだな。
それからも病状は進み、もうベッドから起き上がることもできなくなり、人と会うのも苦痛なようで、王様は、私と子供以外の人を拒むようになってしまった。それで、私は毎日、国内外の問題を王様に問いかけ、その答えを朝夕の2回、家臣に謁見して伝え、なんとか国政を回していた。
だけど、そのうち、王様は、あれほど優秀だった頭も怪しくなってきて、問いかけても、返ってくる指示はとても少なく、かつ不正確になってしまった。だから、私は、自分なりに考え、もちろん大臣や政治の先生の意見も聞いて、ちょっとずつ私の判断で進めるようになっていった。だって、もう、王様に頼れないんだから、誰かがやらないと仕方ないじゃない。
それで、王様が毎年行っていた、周辺各国への表敬訪問と政治的な駆け引きも、家臣を引き連れ、代理で私が行うようになった。
しかし、王妃といえども、しょせんは女。それも、もうすぐ未亡人になり、国が崩壊の危機を迎えるであろうと、誰もに思われている若い女。だから、関わり合いになりたくないのだろう、最初は、どこに行っても、まともに相手にして貰えず、せいぜいお客様扱いが関の山だった。
だけど、私の、この綺麗なとび色の瞳と、柔らかな亜麻色の髪、そして細い腰と豊かな胸は、どこに行っても、男たちの視線を集めていることは分かっていた。だから、私、王様には本当に申し訳ないのだけれど、私だってすごく嫌だったけれど、女の武器を、この美貌と身体を活かそうと、心に決めたの。
それから、私は、各国の王族や、大臣、軍人、有力な商家、そういった今後役に立ちそうな人たちに積極的に接近し、もし求められたのであれば、惜しみなくこの身体を許し、相手の心にも忍び込んでいった。
男って、ベッドではつい大事な内緒話をチョロって言っちゃったり、それに妻子持ちなら弱みも握れるから、少しずつだけど網の目のように人脈や商売が繋がって、案外太いパイプが出来上がっていった。
もちろん、そんなのいけないって、私だって分かってるのよ。でも、私、もう、この心と身体は、私のものじゃなくなって、私の家族と、家臣と、エリトニーの人民のために捧げるって決めてたから、その目的のために、躊躇なくやり続けたの。
その頃からかしら? エリトニーに限らず、どこの国でも、「エリトニーの名花」って愛称で呼ばれるようになって、少しずつ、存在感と政治力が増していった。
ふふふ、「名花」なんて言われても、やってることは高級娼婦と同じなんだけどね。
だけど、ちゃんと成果は上がったんだからいいわよね。私、きっと政治向きだったんだな。
ふふ、私、男に生まれてたら、どうだったかしら?
******
王の間を出、暗い足元に気を付けながら50段ほどの階段を降り切ると、通路は横に向かって伸びていた。エリトニー城は、城下町から海上の回廊を渡った造りになっているので、今は海の下を歩いていることになる。とても狭く、身体の大きいマチアスは身を屈めながらついてくる。
「ここは、王様が、サラ様を閉じ込める塔を作ったときに、一緒に作ったの。お城が落ちたり、そういう万が一のとき、サラ様だけでも逃がせるようにね。海の下を通って、王様が所有している、ある家に通じているわ」
通路は、まったく光が入らないので、カンテラ一つでは、行く先がよく見えない。まして、何も持たずに入ったらお手上げだ。
「でも、大丈夫。右の壁を見て」 私は皆をそう促して、レンガの壁に手をやる。
「この、真ん中の段だけ、目地が平らじゃなくて、ギザギザがつけてあるでしょ? これに触りながら歩いていれば正解。迷ったりしない。みんな手をやってみなさい」 4人が4人とも、手探りをして目地を確かめつつ通路を進んでいく。
しばらくいくと、通路が二手に分かれていた。追っ手の目を誤魔化すためだ。だけど、
「これはね、どちらも罠なの。分かれ道の先で、足元が開いていて、槍の突き出た穴に落ちるようになってる」 皆が息を飲む音が聞こえる。
「だけど、ほら、ここでギザギザがなくなっているでしょう?」
「あ、本当だ!」と、先頭のセシルが声をあげる。
「『ここで終わり。これ以上進むな』のサインなの。なくなったところの壁を押してみなさい」 セシルとアロイスが二人で押すと、また音もなく、スーッと開き、横に向かう通路が現れた。目地のギザギザもそちらに続いている。
「だから、万一、明かりがなくても、進んでいけるように作ってある。追っ手はこの仕掛けを知らなければ、全員穴に落ちることになるわね」
「……まったく、王様は天才だな」「本当ですね」 クレマンとマチアスが感心して囁きあっている。
そこで、アロイスが、「母様。ちょっと待って下さい」と言って、通路の先まで行き、白いハンカチを置いて戻って来た。
「アロイス、それは?」
「だって、追われてるときには、置けないでしょう? 予め置いておけば、追っ手は必ずそちらに行くのですから、逃げる時間が稼げます。この通路を使う機会があるか分からないけれど、やっておかないと」
「……そう。ふふ。アロイスも王様に負けない天才ね」 そう言いながら、私は心の中で舌を巻いた。
ほんとにそう。私の可愛いセシルとアロイスは、とても頭が良い。見た目は私、頭は王様と、両方いいとこ取りしたのね。
特にアロイスは、身体は小さいけれど、5歳にして基本的な読み書きはすべて覚え、もう大人向けの本を読んでいる。文学だけではなくて、数学や物理、軍事や政治の基礎も、少しずつ教わるようになっていて、先生たちも、全員が「この子は正真正銘の天才です。どこまで伸びるのか、行く末が恐ろしいくらいです。大事に育てていきましょう」と、口を揃えている。
だから、なんとかして、絶対に二人を生き延びさせないといけない。
この、エリトニーの宝を。未来を。