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プロローグ 第2話 海辺の惨劇

~ エリトニー軍を追って横長になったホランド軍に「それ」が降り注ぐ ~


 「それ」は、ロングボウ(中世の長弓。長さ2m弱)から放たれた、空を暗く覆いつくす、重たい矢の大群だった。

 

 エリトニーは、ホランドの横陣が目の前を通り過ぎ、柔らかな横腹をさらすまでじっと待ち、死角になる防砂用の灌木の陰から、まるでスコールのように、悪夢を降らせてきたんだ。


 ああ、哀れ。ホランド軍の歩兵部隊は、まだ気づいていない。

 歩兵は機動性が要求されるから、鉄の鎧や鎖帷子くさりかたびらは着けず、盾も小型だ。それが、斜め後方からロングボウに襲われては、もう防ぎようがない。


 上空を黒雲のように覆った矢が、綺麗な放物線を描いて、ホランド軍に降り注いだその瞬間、高速で移動していた軍隊の中で、突如として大勢の兵が倒れ込んだ。もちろん全軍がすぐ止まれるはずもなく、倒れた兵士に兵士がつまづき、倒れ、次々と将棋倒しになっていった。着弾点を起点にして、波が走るように、混乱が全軍に広がっていく。


 これは驚いたな。縦の距離で見ているから、正確には分からないが、300mはあるはずだ。ロングボウの有効射程は、一般的には250mが限界だから、よほどの力自慢を揃えているのだろう。おそらく1000人以上の、調練を積みに積んだ熟練のロングボウ部隊が、ホランド軍の真上へ矢を放っているに違いない。 

 しかも、最初の一撃を加えたあとでも、矢の勢いが衰えない。たぶん、数秒に一本矢をつがえ、打ち続けている。ロングボウは強い張力が必要になるから、筋骨隆々の大男でも10連射が限界だ。射手を休めないと続かない。これはなにかカラクリがある。


 ロングボウの雨にさらされ、ホランドの全軍が膠着状態に陥っても、無慈悲に矢は降り続けている。しかも、よく見ると、矢の雨が少しずつ左右に移動し、まだ壮健な兵が残っていそうなところを重点的に襲っている。ああ、あれも丘の上のあいつが指示してるんだな。


 と、そこで突然、ロングボウの雨が止んだ。

 静かになった海岸に広がっていたのは、完全に動きが停止したホランド軍の、眼を覆いたくなるような惨状だった。多分、この一連の攻撃で、全軍の3分の1は毀損された。


 そこに、間髪おかず、中央奥の灌木の間から、短槍と短刀を携えた2000人程度の歩兵部隊が殺到してきた。ああそうか、矢が止まったのは味方に当てないようにか。

 歩兵部隊は、横陣になって守りの薄くなったホランド軍に突っ込み、身軽に飛び回りながら、既に戦意を喪失しつつあるホランド兵を次々と葬っていく。

 それとあわせて、先ほど退避した3000人の騎馬隊と歩兵隊が反転してきて、またホランド軍を右方から突き崩しにかかる。


 馬上にいるホランドの指揮官らは、残った歩兵を叱咤し、それでも逃げ出す者は後ろから刺し、全軍を鼓舞して蘇生させようとする。しかし、一旦、統制を失った軍勢は、なかなか元には戻らない。


 こうなってしまうと、もうだめだ。

 両軍の間には、兵の練度と作戦の巧拙にかなりの差があるが、それ以上に、もっと大きな差があるように見える。‥‥‥それは、戦う意義と使命感だ。

 虐げられた単一民族であるエリトニーは、悲願の独立を願ってこの戦争に臨んでいるが、他方、ホランドの軍勢は、命令で嫌々戦場に連れて来られた寄せ集めで、しかも同国民と戦うという矛盾に直面している。この戦いにかける情熱が段違いなのも当然だ。


 国家と民族の誇りのために、身も心も捧げるエリトニー軍の戦意と士気は、少々の兵力差など容易たやすく埋め、跳ね返す力を秘めている。それを、あの知恵者は、上手く利用している。


******


 そうして、ホランド軍が機能不全に陥り、一方的にエリトニーに責め立てられるようになっても、ホランド軍の馬上の指揮官クラスはまだ無傷でいた。騎兵は、鉄の鎧や鎖帷子くさりかたびらで防御しているので、隙間を貫通しない限り矢は無力であり、雲霞うんかのごとくたかって来るエリトニーの歩兵にも一歩も引かず、馬上から槍を突き立てている。

 

 が、そこから、俺がこれまで見たことのなかった異様な光景が、眼前に広がって行った。


 なぜか馬上の騎兵が次々と倒れて落馬して行く。そして、群がったエリトニーの雑兵から、装甲の隙間に短刀を「サクっ」と刺し込まれ、鮮血を噴き出しながら息絶える。


 これは一体何なんだ? 俺は望遠鏡を構えて、まだ馬上にいる、ある騎士を注視する。


 あっ! 今倒れたぞ。目を凝らすと‥‥‥! ん? 胸に何か立ってる。矢だ! 長大な矢だ! 本当か? 鋼鉄の装甲を貫通するのか?

 しかし、騎士はそのまま絶命し、胸から空中に血を噴きあげながら、両手を広げて地面に倒れ伏した。 


 どこから狙ってる? ……あ、あの灌木からだ。

 見ると、木の枝で巧みに偽装した架台に載せた、幅5mはあろうかというクロスボウ(以下、「ボウガン」と言います)が、今まさに矢をたがえ、発射されるところだった。

 そうか、周りが歩兵だけだから、馬上の騎士を狙い撃ちできるのか。‥‥‥それにしてもなんという正確さ。エリトニーには、よほど優れた狙撃手スナイパーがいるんだな。


 戦意を喪失した兵士たちと、次々打ち取られていく馬上の指揮官。これでは勝負にならない。

 数の上では、まだ少しホランド軍が上回っているだろうが、徐々にエリトニーの薄い包囲網に押され、波打ち際に追い詰められていく。こうなると、もろに高低差が出てしまい、下にいるホランド軍はさらに苦しくなっていく。


 ああ、もう一方的だ。砂浜で殺戮が繰り返され、波打ち際が朱に染まっていく‥‥‥。


******


「ん? アラン」

「なんです?」

「あの、でっかいボウガン、こっち向いてないか」

「そのようですね。歩兵がゆっくり回転させてる‥‥‥。射手は角度調整していますね。狙ってるのでしょうか」

「正気か? 500mはあるぞ。そんなもん届くかよ、ははは」


 だが、回転する砲台が俺の正面でピタリと止まり、しばらくして、大きく丸くしなっていたボウガンが「ピン!」と真っすぐに戻ったのが見えた。今、矢を発射したな。

 俺は望遠鏡を上空に向け、矢を探すが、あれ、飛んでないぞ。


 ! アランが、突如「バンっ!」と俺を突き飛ばし、二人で床に転がった。何だ、どうして?


 瞬間、「ダンっ!」と耳を打つ衝撃音が頭上で響いた。

 床に這いつくばった俺が、驚いて顔を上げると、メインマストに、2mはあろうかという細い鉄製の矢が突き立っていた。まだ、「ビィ――ン」と細かく振動している。


 ゾクゾクして、背中に冷や汗が流れ落ちる。立ってたらマストに串刺しだった。


「ミシェル様。大変失礼致しました。お怪我はありませんか?」

「いや、大丈夫だ。ありがとう。助かったぜ。お前は見えてたのか」

「はい、地を這うような、低い弾道でした」

「そうか。よほどの張力で飛ばしてるんだな。狙いの正確性といい、恐ろしい奴だ」


 俺が、落ち着きを取り戻して、海岸に望遠鏡を向けると、ボウガンの狙撃手が立ち上がって、俺の無事を確かめ、肩をすくめて悔しそうにしていた。黒い兜をかぶった、細い男だった。


「アラン!」 俺は鋭い声で指示を飛ばす。

「はいっ!」

「マケドニーの全船に指令! あと200m後退。あいつに狙われたら危険だ!」

「戦場から離脱して大丈夫ですか?」


「ちょっとだけだ。それにほら‥‥‥もう、終わってる」


******


 船団を後退させ、再び海岸を眺めると、もう既にホランドの抵抗は終わっていた。

 幾艘かの上陸船が波打ち際につけ、残った兵を回収しようと頑張っている。幹部クラスの騎馬兵と騎士が我先に乗り込み、戦場から離脱する。しかし、それだけでは到底収容しきれない。残されるのは、いつも、短い訓練を受けただけで戦場に放り込まれた、農家や商家の息子たちだ。

 

 ホランド兵の前に、エリトニーの単弓隊がズラリと並ぶ中、あの騎馬隊の大男二人が前に出て、馬上からホランドの残兵に声をかける。それに呼応して、両手を挙げたホランド兵が次々に投降する。

 って、おいおい、あんなに沢山いるのかよ。1000人はいるんじゃないか?

 

 ……ああ、しかし、これはうまい手だな。降るものは助ける。それが分かっていれば、もともと士気など上がらないホランド軍だ、今後も戦況不利と思えば、指揮官の激など無視して、どんどん投降することだろう。


 エリトニー軍は、戦場をくまなく歩きまわり、兵士に突き立った貴重なロングボウの矢を残らず回収し、ホランド兵の死体から装備を剥ぎ、投降兵の武具も回収している。今日は大戦果だろうな。

 そして、浜辺に、死体と、戦闘が困難な怪我人を残し、ゆっくりと撤退を始める。

「あとで回収に来い」ということなのだろう。


 ああ、これもいい手だな。戦闘に利用可能な兵士と装備は残らず回収したうえで、死体と怪我人はホランドに押し付けて、大きな負担をかける。ホランド兵も、負傷兵すら収容してくれないようであれば、もう誰も着いて来ず、今後もどんどん投降が出るだろう。だから、全くの無駄だが、やらざるを得ない。

 まったく、「敗戦処理」とはこのことだ。


******


 今日の初戦は、わずか2時間ほどで終了した。

 ホランドは、出動した1万人の兵士のうち、次戦も戦闘可能な者は5000人ほどになった。死者2000人、怪我人2000人、投降者1000人。

 記録的な惨敗。次戦はどう立て直すのか。俺たちも動員されることは確実だ。


 そう思いながら、望遠鏡で覗いていると、デカい重装騎兵のもとに、ボウガンを放った黒兜の男と、丘から降りてきた小男を先頭にした一団が合流した。

 初戦の勝利に気をよくして、顔の前でガッチリ手を握り、抱き合っている。


 いや、確かに、こいつらの連携は見事だったな。

 開戦当初、俺は、「どうやって水際で撃退するのか」みたいに考えていたが、エリトニーは最初から「撃退」なんてことは一切考えず、誘い込んで、有利な地形に巧みに誘導し、そのうえで「殲滅」を図って来た。めて、狩った。

 ホランドの半分にも満たない兵力なのに、豪胆な奴らだ。


 と、そこで、2m近い二人の装甲騎兵が兜を外したのが見えた。

 片方は苦み走った中年近い男で、もう片方は、あれ? 金色の長髪だな、女だったのか。あんなデカくて強い女がいるのか? これは驚いたな……。

 

 そして、もっと驚いたのは、ボウガンの男だ。

 黒い兜を外すと、そこからあふれ出たのは、長い、腰まである、まるで黒曜石のように艶めく黒髪だった。肌は雪のように白く、青みがかった透明な雰囲気を漂わせ、そこに漆黒の眉毛と睫毛のコントラストが眼に鮮やかだ。遠目ではっきりとは見えないが、見た瞬間に心を奪われるような、稀にみる美女なのは間違いない。


 そこに近づいてきた、さっきまで丘の上にいた小男を見ると、こちらは金髪だったが、あれ? こいつは似てるな。そう、黒髪の女と寸分変わらないような、眩しい美貌の持ち主だった。


 ‥‥‥そうか、わかったぞ。これがあの噂の双子か!


 エリトニー公国の始祖、英雄王ウォレムと名花メラニーの忘れ形見。

 どちらも英雄王に比肩すると名高い、姉の「黑薔薇セシル」と、その弟「小悪魔アロイス」のきょうだい。


******


 そのうち、俺の視線に気付いたのか、黑薔薇がこちらを向いた。そして、黒く細い柳眉を悪戯っぽく吊り上げて、ニコっと花のように微笑み、あれ? 胸の前で手を振ってきやがったよ。くそっ!


「まったく、憎たらしい女だな。アラン」

「ほんとですね」

「‥‥‥まあ、だけど、あれはいい女だ。ふふ」

「あはは、なに言ってんですか。敵ですよ、敵。それも、とても手強い」

「わかってるって。‥‥‥だけどエリトニーはなかなか面白い連中だ。どうも嫌いになれないな。はは」


 俺はそう言って、アランに笑顔を向け、眼で檣楼しょうろうから降りるように促した。


 さて、初戦は惨敗。


 明日の一戦に備えて、作戦考えないとな。


挿絵(By みてみん)

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