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零機関  作者: ナノプ
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影、交わる夜

通常存在し得ないものが、胎動している。

それは常識で測れるものではない。

"帝都東京"に潜む「影」が動き出す。

“You’ve been seen.”

画面に浮かぶ短い英語の件名に、一ノ瀬は眉をひそめた。

時計は午前3時を指している。

神戸の住宅街の片隅にある古びた団地の1室。

カーテンがかかりっぱなしの薄暗い部屋の中で、モニターの光が彼を照らしていた。

その画面の中で、彼は“誰でもない誰か”になれる。


一ノ瀬のハンドルネームは、"nullfox_89"。

普通の検索エンジンでは見つけられない、層の深い掲示板や共有リポジトリで、

幾つもの“情報リーク”と“セキュリティホールの警告”を匿名で書き込んでいた。


もちろん、ただの遊びだった。

そう思っていた。


しかし今、届いたメールにはこう書かれていた:

「君は、政府すら追跡できないレベルで活動している。その存在は、"世の中"でも際立っている。」

「いたずらでやっていたなら、この通信は消してくれて構わない」

「だがもし、“退屈”という病に苦しんでいるなら──

5分後、ルートユーザーとして《桜ノ影》にアクセスしろ。」


彼の手は既に動いていた。

高鳴る鼓動を感じ、変化を望んで―——。



.......



六本木のはずれ、開発から取り残されたコンクリートの箱。

ネオンは届かず、誰も立ち入らない、廃ビルの地下三階。

床は湿っていて、壁にはスプレーとカビが重なっている。

ひび割れた窓から吹き込む風が、廊下に紙屑を転がしていた。

「ここでいい。音も吸われる」

陽炎はそう呟いて、縛った男に向いた。

鉄製の古い脚が、コンクリートをきしませて鳴く。


暁はその横に立ち、無言で様子を見ている。

電球は点かない。

スマートフォンの灯りだけが、部屋の一角を青白く照らす。


陽炎は懐から黒革のホルスターを取り出す。

十四年式の重みが、時間を切り取るようにその手の中に収まった。


「本当に撃つんだ?」


少女の声に感情はない。

それはただの"確認"だった。


陽炎は視線も向けず、引き金を引いた。


乾いた音が壁に反響し、遅れて男の頭がぐらつく。

崩れた身体が床に落ちる音は、思ったより軽かった。


暁は一歩だけ前に出て、足元の血を避けるように立ち止まった。

「処理完了。さっと報告して帰るよ。」


「次は“彼”だ。あの子も、選ばれた。」


コートの裾を揺らしながら、二人は路地を抜けた。

六本木の光は遠く、冷たい風が乾いた缶を転がしていく。

停められた黒塗りの車の前で、運転席の男が煙草を潰した。

「処理完了、か?」

陽炎は黙ってドアを開ける。

暁は頷きだけで返した。

車は音もなく動き出し、首都高の高架をくぐり抜けていく。

向かうのは、都心の一角。

表向きは「都市計画研究センター」──一見すると、ただの行政外郭団体のような建物。

敷地は広く、入口はガラス張りで明るく、受付の制服まで整っている。

だが、その地下には誰も知らない“もうひとつの顔”がある。


車は構内を抜け、駐車スペースの奥にあるシャッターの前で一時停止。

ナンバープレートが読み取られると、重たいシャッターが静かに開いた。

陽炎と暁は何も言わず、施設の奥へ歩いていく。

廊下は無機質で、どこか病院にも似ていた。

天井の照明が点々と続く中、彼らの足音だけが響いている。

ロビーを抜けた先、指紋と瞳孔でロック解除されたドアの先に、

零機関の作戦中枢がある。

その中で、既に“次の任務”が語られ始めていた。


暗証と生体認証を通過した先、

陽炎と暁は無言のまま作戦室へ入っていく。


白を基調とした無機質な空間。

天井から吊るされたライトが、机上の紙資料に影を落とす。


カウンターの奥から、ひとりの女が手を振る。

白衣の裾を翻した、分析官の椿だった。


「おかえり。……で、撃ったの?」


陽炎は黙って頷く。

椿は苦笑しながら、タブレットの画面を陽炎に見せた。


「これ、機関長から。次の案件」


画面には文字だけのプロファイルが映っている。

“nullfox_89”

それが、ファイル名だった。


「ネットから拾ってきたのか?」

陽炎が眉をひそめる。

「うん。正確には、桜ノ影”に侵入してきた」

椿は指でログをなぞる。

「国内の監視網の中枢。それに気づかれずにアクセスできた奴は、今までいなかった」

椿は指でプロファイルをめくる。

表示されたのは、16歳の少年の顔写真。

長い前髪、無表情。

どこか人形のようでいて、静かに何かを見透かすような目をしていた。

「一ノ瀬 雪。高校にも行ってない、社会的には“存在していない”子」

暁が写真を覗き込む。

「――この子、変な目をしてる。鏡、見てるみたいな」

陽炎はしばらく無言だったが、やがてひとことだけ呟いた。

「……また、面倒なものを拾ってきたな」



世界のどこかには、「存在しない」者たちがいる。

正義の名を持たず、国家にも属さず、

ただ、“必要とされる”からそこにある。

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