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第三の条件  作者: コバヤシ
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第4話 二匹の蛇

 その日、速水は図書室で一冊の書物を手に取っていた。


統治論リヴァイアサン』―ホッブズの著作。


「…悪くないな」


 不意に、冷たく響く声が耳を打つ。


 速水は顔を上げた。


 目の前には、一人の男子生徒がいた。

 黒髪を整え、端正な顔立ち。

 その瞳には、一切の光がない。

 まるで何も信じていない者の眼差し。


 御門司(ミカドツカサ)。剣道部の主将である。


「リヴァイアサンか……。お前にしては、“統治”の方を読むとは意外だな」


「…何か?」


「お前は孫子を好む。つまり、“戦略”に重点を置くタイプのはずだ」


 御門はわずかに口元を歪める。


「だが、今お前が手にしているのは、統治論。“力”による支配を説く書だ」


 彼の言葉の裏には、明確な意図があった。


 “お前も結局、俺と同じだろう?”


「興味深いですね」


 速水は本を閉じ、彼と正面から向き合う。


「先輩は”力”が支配の本質だとお考えで?」


 御門は微かに笑う。


「当然だ。この世界は、利用する者と、される者に二分される。」


「そして、俺は前者にしか興味がない」


 “合理主義者”の思考。完全な搾取と支配の理論。


 速水はゆっくりと微笑んだ。


「そうですか。それならどうして、生徒会長になって力を得ようとしないのですか?」


 御門の目が鋭く光る。


 だが、怒りはない。

 むしろ、速水の言葉を”面白い”と受け取ったようだった。


 「愚問だな」


 御門は肩をすくめる。


「権力を振るうのが”支配”ではない。“支配”とは、権力を持つ者を操ることだ」


「今の生徒会長はふさわしい偶像として機能するからこそ、その座にある」


「だが、学園を動かしているのは誰か、お前なら分かるはずだ」


 速水の口元に笑みが浮かぶ。


「お前は共感を装い、他者の心理を利用するタイプだ」


「しかし、感情に頼る支配は、脆い。」


 御門はゆっくりと背を向ける。


「俺はお前に興味を持ったよ、速水蓮」


「だが、この学園に蛇は二匹も必要ない」


「どちらかが、“生き残り”、どちらかが”消える”」


「……勝負しようじゃないか」


 御門は速水の横を通り過ぎると、静かに笑った。


 速水は御門の背中を見送る。


 ―戦争が始まる。


 孫子曰く、「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」。


 速水は、彼と真正面からぶつかる気はない。

 “戦わずして”勝つ。それこそが、最も優れた戦略だからだ。


「お前がどう動くか、楽しませてもらうよ、御門司」


 速水は静かに微笑み、手にした『リヴァイアサン』を本棚に戻した。


 速水は直接御門とぶつかるつもりはない。


 最善の策は「御門を追い詰める」のではなく、“追い詰められている”と錯覚させること。


・生徒会の内部抗争を誘発する

・御門の影響力が及ばない領域を作る

・彼が”無視できない敵”を他に作る


 たとえば、生徒会長を使う。彼は御門の傀儡ではあるが、生徒会長という地位を利用することで、「御門の知らぬ間に独自の動きをさせる」ことができるかもしれない。


 御門にとって最も厄介なのは、敵が一人ではない状態だ。


 御門は完全なる合理主義者だ。


 彼は「感情」には興味がないが、だからこそ合理的なはずの選択肢が”非合理”なものに見えた瞬間、動揺する可能性がある。


・彼の周囲に”予測不能な存在”を配置する

・彼の想定外のアクションを起こす

・彼自身を「勝つことが危険な状況」に追い込む


 御門は「勝利」を求める男だ。しかし、それが「危険」と結びつけば、彼は撤退を考えざるを得ない。


 この準備が整ったとき、速水はようやく最善の策を取る準備ができる。


「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」


 最終的に、速水は御門と”戦わずして”勝つつもりだ。


 しかし、そのためには、「戦っても勝てる状態」を作らねばならない。


 剣道場の近く。竹刀の音が遠くで鳴る。


 しかし、速水蓮と御門司―二人の間に流れるのは、剣のぶつかり合いではなく、冷え冷えとした情報戦の火花だった。


「“戦わずして勝つ”? 面白い理屈だがな、速水」


 御門が木刀を肩に担ぎ、ゆっくりと歩み寄る。その動きすらも計算され尽くしているようだった。


「俺の前では、その理屈は通じん。お前の策がどれほど優れていようと、実力が伴わねば意味がない」


 挑発とも取れる言葉だが、その声には微塵の焦りもない。まるで「勝ち筋」が見えている人間の、それだった。


「実力とはですか?」


 速水は微笑を浮かべながら答えた。


「情報を制する者が、場を制する。それは実社会でも、学園でも同じことではないでしょうか?」


「違わんよ」


 御門は軽く頷く。


「だがな、情報は最後の一手を決める材料でしかない。本質は力だ。いくら策を巡らせようと、やられる前にやるのが最強の戦略だ」


 沈黙。


 御門は口元に薄く笑みを浮かべ、ゆっくりと木刀を下ろした。


「今は、ここでお前を斬ることに意味はない」


「おや、それは戦わずして勝つの一端では?」


「違うな」


 御門の声は鋭かった。


「これは”戦うべき時”を見極めているだけだ。決着の場は、俺が選ぶ」


「…なるほど」

 速水は笑った。


 「決戦の場は俺が選ぶ」

 御門はそう言ったが、速水にとって、それは違う。


(決戦の場を選ぶのは―“俺”だ)


 この戦いはまだ始まったばかりだ。

 御門司は確かに強敵だろう。だが、速水はすでに彼の隙を見つけつつあった。


(策に溺れる者が愚かだと言うなら―力に溺れる者もまた、愚かだ)


 速水蓮の戦いは、ここから始まる。


 御門との対峙から数日後。速水は静かな図書館の奥で、分厚い書物を開いていた。


(御門は直線的な”力”を信じているが、それは単なる”手段”に過ぎない。本質を知る者が戦を支配する)


 速水はふとページをめくる手を止めた。


(だが、俺が見誤っている可能性もある)


 自分の分析に絶対の自信はある。だが、御門が”ただの力に溺れる馬鹿”だと決めつけるのは危険だった。


 慎重に、冷静に、確実に。

 “戦わずして勝つ”ためには、敵の本質を見極めなければならない。


 そのための策が、すでに始動していた。


「…思ったより早かったな」


 速水は視線を上げる。


 図書館の入り口で足を止めたのは、槙原美琴だった。


 慎重な表情。まるでこちらの思考を読むような目つき。


「ここにいると思ったわ」


 美琴は静かに歩み寄り、速水の向かいの席に座ると、指先で机を軽く叩いた。


「…で? あなたの”策略”はどう動いてる?」


 速水は微笑を浮かべた。


「槙原は本当に、俺の考えていることが分かるのか?」


「全部は分からない。でも、あなたが何かを仕掛けているのは確かね」


「なるほど。槙原も戦わずして勝つ派か」


 美琴は目を細める。


「違うわ。私は戦うべき時を見極める派よ」


「それは御門と同じ考え方だな」


「違うわ。彼は力を行使する時を見極める派。私は力以外の方法を使う時を見極める派」


「面白い」


 速水は小さく笑った。


「で? あなたは御門をどうするつもり?」


「簡単なことさ。“御門司の弱点”を見つけ、それを制御する」


 美琴は少し驚いた表情を見せた。


「…制御?」


「そうだ。奴を倒す必要はない。彼が力を振るえない状況を作れば、それで勝ちだ」


 速水の目が冷たく光った。


「それが、俺のやり方だ」


 美琴はしばし沈黙した後、小さく息を吐いた。


「…あなたって、本当に”腹黒”よね」


「…どういう意味かな?」


「人の感情を読んで、それを利用する。その優しげな笑みの下に、冷酷な計算がある。そんな人間、そうそういないわ」


 速水は微笑を浮かべたまま、美琴をじっと見つめた。


「…さて、俺の策がどう動くか、君も楽しみにしていてくれ」


 速水の仕掛けは、すでに始まっていた。

 御門司はまだ気づいていない。

 自らが”戦えない状況”に追い込まれつつあることを。


 豪奢な装飾の施された部室。速水蓮はゆっくりとした足取りで室内に入り、中央に立つひとりの男を見据えた。


 御門司。


 剣道部主将にして、学内でも指折りの影響力を持つ男。剛直なカリスマで部下を率いる。


(なるほど。やはり、この男は”力を振るう”ことに絶対の自信を持っているな)


 速水は内心で分析を進めながら、静かに微笑を浮かべた。


「御門先輩、俺を呼び出したのは何の用ですか?」


 御門は腕を組んだまま、無言で速水を値踏みするように睨みつける。


 この沈黙こそが、彼の支配の手法。

 相手に言葉を与えず、精神的に押し潰す圧力をかける。


 だが―速水は動じない。


「…俺の周りで妙な動きをしているようだな」


「俺がですか? 何の話でしょう?」


「とぼけるな」


 御門の目が鋭くなる。


「剣道部の連中が最近、不審な動きをしている。お前が何か仕掛けたんじゃないか?」


(ほう、もう気づいたか。意外に鋭いな)


 速水は表情を崩さず、ゆっくりと肩をすくめた。


「それは誤解ですよ、御門先輩。俺はただ、情報を整理していただけです」


「情報だと?」


「ええ。たとえば、剣道部の主力メンバーが、なぜか最近、生徒会や風紀委員会との関係を強めているとか」


 御門の眉がわずかに動いた。


(やはりな。お前はすでに”部下”を疑い始めている)


「…何が言いたい」


「俺はただ、力は確かに強大な武器ですが、戦う前に負けていたら意味がないと言いたいだけです」


「戦う前に負ける?」


「ええ。たとえば、あなたの部下が戦うことを避けるように仕向けられていたとしたら?」


 速水は涼しげな顔で御門を見つめる。


「御門先輩。あなたの力は、あなたが振るうからこそ価値がある。でも、もしその力が最も必要な時に振るえないとしたら?」


 御門の表情が険しくなる。


「何が言いたい」


「言ったでしょう? 俺は『戦わずして勝つ』のが好きなんです」


 速水の微笑みは、冷ややかな勝者のそれだった。


 御門司の剣は、すでに鞘に封じられている。

 彼が気づいたときには、もう”戦えない”状態になっていることだろう。


 部室の空気が、一瞬で張り詰める。


 御門玲司は速水を睨みつけ、微かに拳を握った。彼の周囲に漂うのは、闘気そのものだ。


(さすがに挑発しすぎたか? いや、これは”試されている”な)


 速水は冷静に観察する。御門の目は怒りに燃えているが、それだけではない。

 剣士特有の”相手の間合いを見極める”視線。


(なるほど。やはり、感情に任せて動くタイプではない。俺の言葉の裏に何があるか、慎重に探っている)


 この時点で、速水は確信した。


 御門玲司は、思考する男だ。


 単なる暴力的な支配者ではない。

 力を持つがゆえに驕るタイプでもない。

 だからこそ危険だ。


(“剣が封じられた”ことに気づけば、次の手を考える男だ)


 しかし、それでいい。


 “戦わずして勝つ”とは、相手に戦意を喪失させることだけではない。


 “戦う前に、戦いの形そのものを変える”ことこそが、最も効率的な勝利なのだ。


 速水は余裕の笑みを崩さず、静かに言った。


「御門先輩。俺とあなたの間に”対決”はありません」


「……何?」


「俺はあなたと争うつもりはない。ただ、少しばかり”環境を整えた”だけです」


 御門の視線が鋭くなる。


「環境だと?」


「ええ。剣道部の主要メンバーの半数が、すでに生徒会や風紀委員会と協力関係を築きつつあります。“部活動の健全な発展”という名目のもとに、ね」


 御門の眉が動く。


「…」


「そう、あなたが振るうはずの”剣”は、すでに鞘の中で封じられています」


 速水は淡々と言い放つ。


「あなたが動けば、あなたの”味方”であるはずの剣道部員たちが動かなくなる。それどころか、あなたの”動き”を止める側に回るでしょう」


 御門の拳がわずかに震えた。


(動揺している…だが、まだ折れてはいないか)


 速水は確信した。御門司という男は、まだ勝負を諦めるような男ではないと


 御門司はじっと速水を睨みつけていた。鋭い眼光は敵意に満ちているが、それだけではない。

 冷静に、自分の置かれた状況を計算している。


(やはり、単なる力任せの暴君ではないか)


 速水は確信を深めながら、静かに相手の反応を待つ。


「…面白いことをするな」


 御門が口を開いた。その声音は怒気を孕んでいたが、爆発するほどの激情ではなかった。

 むしろ、それを制御しようとしている。


「つまり、お前は俺の”刃”を封じたと言いたいのか?」


 速水はゆっくりと微笑む。


「事実として、あなたが”今すぐ”俺を潰そうと動けば、剣道部内の勢力が割れます。それはあなたにとって、決して好ましい展開ではないでしょう?」


 御門は目を細めた。速水の言葉を噛み砕き、慎重に答えを探っている。


「…つまり、お前は”今すぐ”は潰されないと踏んでいるわけだな」


「ええ、そういうことになります」


 速水は飄々と答えながら、心の中で別の計算を進めていた。


(御門は”今すぐ”は動けない。しかし、だからといって俺への敵意が消えたわけじゃない)


 むしろ、今回のことで彼の警戒心は確実に増した。


 御門司という男は、力に頼るだけの愚者ではない。


 強靭な精神力と冷静な判断力を兼ね備えた、剣士としての資質を持つ男だ。


(ならば、俺が次に取るべき手は……)


 速水はあえて一歩、御門に近づいた。


「ですが、誤解しないでください。俺はあなたの敵になるつもりはない」


 御門の目が鋭く光る。


「ほう?」


「俺にとって重要なのは、“無駄な争いを避ける”ことです。あなたと真正面からぶつかるつもりはありませんし、“あなたを追い落とそう”とも思っていません」


 御門は腕を組み、少しだけ表情を緩めた。


「ふん……お前の言う”無駄な争い”というのは、つまり”俺に勝ち目がない戦いは避けろ”ってことか?」


「まさか。俺はそんな傲慢ではありませんよ」


 速水は余裕の笑みを浮かべた。


「ただ、俺とあなたが敵対するのは、お互いにとって得策ではないという話です」


 御門はしばらく黙っていた。そして、ゆっくりと息を吐いた。


「……いいだろう。今は、お前のやり方を見させてもらう」


 そう言い残し、御門司は椅子に腰掛けた。


 速水は剣道部の部室を後にして心の中で呟いた。


(さて、“今は”か。…ということは、いずれ来るな)


 御門玲司は間違いなく、隙あらば反撃の機会を探るだろう。

 この勝負は、まだ始まったばかりだった。


 御門司が去った後の空気は、張り詰めた緊張を引きずっていた。速水は軽く肩をすくめ、廊下の窓から外を眺める。


(御門司か。予想以上に手強いな)


 剣道部の主将としてのカリスマ性、戦闘力に加え、単なる暴力に頼らない冷静な判断力。そして何より、敗北を受け入れた上で、それを糧にしようとする意志の強さ——。


 並の暴君なら、プライドが邪魔をして逆恨みし、感情的な反撃に出るものだ。しかし、御門は違う。彼は”勝つために負けを飲み込む”ことができる男だった。


(こいつは危険だ。だが……)


 速水は目を細める。


(こういう男ほど、使い道がある)


 速水の中で、御門司を”敵”ではなく、“将来的に利用価値のある駒”として再評価する作業が始まった。


 彼は明らかに”武の才”に秀でている。戦場においては、前線に立たせることで最大限の効果を発揮するだろう。

 しかし、まだ感情の制御が甘い。多少の挑発で揺さぶることができるのが弱点だ。


(このまま敵対しても、どこかで衝突するのは目に見えている。ならば、御門の”矛”を俺の”盾”に変える手立てを考えた方がいい)


 速水は静かに息を吐く。


 そのためには、彼が”こちらに刃を向ける理由”を奪わなければならない。


「……さて、どう料理するか」


 速水は小さく呟いた。その時、ふと視線を感じる。


 振り向くと、廊下の向こう側に槙原美琴が立っていた。


 速水の後をつけて一部始終を見ていたのか、彼女は微かに口元を綻ばせると、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「ふぅん……速水君、さっきのやり取り、なかなか興味深かったわ」


「……盗み聞きとは趣味が悪いな」


「“情報収集”って言ってほしいわね」


 美琴は楽しげに微笑む。しかし、その目は冷静に速水を値踏みするような光を宿していた。


「あなた、あの剣道部の御門君を見た上で、“まだ利用価値がある”と考えてるんでしょう?」


「……まあな」


 速水は笑みを返す。


「ええ、彼は愚かではない。むしろ、戦力として計算できる分、他の連中よりも扱いやすい」


「でも、そのためには”勝ち目がない戦いを避ける”あなたが、彼と戦う可能性もあるわね?」


 美琴の指摘に、速水は肩をすくめる。


「戦いとは、ぶつかり合うだけではないよ」


「なるほど……“戦わずして勝つ”、孫子の兵法そのままね」


 美琴は微笑みながらも、その視線は鋭かった。


「でも、それが通じない相手だったら?」


「その場合は……」


 速水は一瞬、言葉を区切り、微かに笑った。


「“戦わずに勝つために、戦う準備をする”だけ」


 美琴の目が細められる。


 この男は、本当に油断ならない。


 御門司との賭け引きは、まだ始まったばかりにすぎない。だが、速水蓮の次なる一手は、すでに用意されていた。



 深夜。寮の部屋に戻ると、高嶺がベッドにもたれ、スマホをいじっている。


「遅かったな。どこ行ってた?」


 速水は軽く肩をすくめ、デスクにノートを置く。


「ちょっと散歩だ」


「…お前が夜の散歩とは珍しいな。何か考え事か?」


 高嶺はスマホを置き、興味深げにこちらを見た。


 この男、高嶺誠は速水のルームメイトであり、どちらかといえば常識人の部類に入る。瑞峰学園のような特殊な環境では、彼のようなタイプはむしろ貴重だった。


 物事を俯瞰し、冷静に分析する視点を持ち、速水に対しても臆することなく意見を言う。


 速水は少し考え、適当に椅子に腰掛けた。


「……御門司のことをな」


「お前、やっぱり剣道部と一悶着あるのか?」


 高嶺がため息をつく。


「いや、できれば関わりたくはない。ただ、向こうがどう動くかは読んでおきたい」


「またお前の”戦わずして勝つ”ってやつか?」


 速水は微かに笑った。


「それができるなら、それが最善だろう?」


「まあな…けど、御門ってのは、相当な実力者なんだろ? お前、どうやって”戦わずして勝つ”つもりだ?」


「彼が剣を抜く理由を封じる」


「簡単に言うなよ…」


 高嶺はベッドの上で体勢を変え、考え込むように天井を見つめた。


「つまり、お前の狙いは”御門にとって、戦うこと自体が損になる状況を作る”ってことか?」


「理解が早いな」


「まあ、ルームメイトだからな。お前のやり口には慣れたよ」


 高嶺は苦笑し、再びこちらを見た。


「でもさ、もし御門がそういう策を無視して、向かってきたら?」


「その時は次善の策を取るまで」


「…やれやれ。お前って本当に容赦ないよな」


 高嶺は呆れたように笑った。


「まあ、お前が無謀な勝負に出るタイプじゃないことはわかってる。けど、瑞峰学園は”合理的な判断”だけで動く世界じゃないぞ?」


「それは理解している」


 速水はデスクに肘をつきながら、静かに答えた。


「だからこそ、慎重に動く」


「…お前のそういうところが、時々怖いんだよな」


 高嶺はぼそっと呟いた。


「怖い?」


「速水、お前は”勝つために何でも使う”タイプだろ? 相手の心理だろうが、社会的立場だろうが…たとえ”信頼”さえも」


 速水は少し目を細めた。


「俺がそういう人間に見えるか?」


「“見える”じゃなくて、“そうだ”ろ?」


 高嶺はまっすぐ速水を見据える。


「だから言ったんだ。お前のそういうところが、怖いって」


 しばしの沈黙。


 速水はゆっくりと口角を上げた。


「なら、俺が何を考えているか…お前も推測してみるか?」


「遠慮しとく。どうせ俺の頭じゃ、お前の腹の底までは読めない」


 高嶺はため息混じりにそう言い、スマホを手に取った。


「ま、せいぜい派手にやらかさないようにな」


「気をつけるよ」


 速水は小さく笑い、再びノートを開いた。


 この学園では、“普通の常識”を持つ人間ほど、貴重な存在だ。


 だからこそ高嶺という”平等な目線”の男の存在は、速水にとっても必要だった。


 高嶺がスマホの画面をスワイプしながら、ぼそりと呟いた。


「…とは言っても、お前のやり方には正直興味があるんだよな」


 速水はノートのページをめくる手を止め、視線を上げた。


「ほう? 俺のやり方に興味が?」


「まあな。普通、問題があったら正面からぶつかるか、逃げるかの二択だろ? お前は第三の選択肢を用意して、それがいつの間にか『最初から唯一の正解だった』みたいに見せる」


「言い方がくどいな。俺はただ、状況を整理し、最も合理的な選択をしているだけだ」


「へえ。じゃあ御門の件は、どんな風に整理してるんだ?」


 高嶺が速水を試すように問いかける。


 速水はノートを閉じ、ゆっくりと腕を組んだ。


「まず、御門司は剣道部の看板だ。当然、学園内での影響力がある。力だけではなく、名誉や誇りというものも絡む。つまり、彼の行動原理は”剣士としての矜持”に依存する」


「それで?」


「その矜持を支えているのは何かを考える。彼が学園内で無類の強さを誇るのは、実力だけではない。“御門は無敗の剣士”という評価が、彼を形作っている」


 速水は指を一本立てた。


「ならば、その評価が揺らげばどうなる?」


 高嶺は少し考え、目を細める。


「…お前、まさかどう転んでも、御門の価値を下げるつもりか?」


「勝負に持ち込む時点で、こちらの負担が増える。ならば戦わずに彼の”剣を抜く理由”を消せばいい」


 速水は淡々とした口調で続ける。


「御門の立場を利用し、彼が戦うこと自体が”損”になる状況を作る。例えば、彼が俺と対立することで剣道部の評判が落ちるような構造を作るか…あるいは、“剣を振るえば自身の評価が損なわれる”ように仕向ける」


「…ははは」


 高嶺は頭をかきながら、乾いた笑いを漏らした。


「剣士としての誇りを利用して、剣を封じる、か…。普通、そんな発想は出てこねぇよ」


「そうなのか?」


 速水は微かに笑う。


 御門司は、明確な敵意を持つ相手だ。ゆえに、戦いの機会は避けられない。


 だが、それを回避することこそ、戦略というものだ。


「しかし、御門がそんな簡単に策に嵌るとは思えないぞ?」


「当然だ。彼も馬鹿ではない。だからこそ、別の選択肢も用意しておく」


「別の?」


 速水は静かに立ち上がり、窓の外を見た。


「この学園は”力が全て”ではない。剣よりも強い武器がある」


 高嶺は少し考え、ハッとしたように息を飲んだ。


「情報か……」


「ご明察。情報と噂は、この学園では剣よりも鋭く、速く、深く人を傷つける。俺の武器は剣ではなく、言葉と知識。そして…人の心だ」


 その言葉に、高嶺はぞっとしたように背筋を伸ばした。


「…やっぱりお前は怖いよ、速水」


 速水は窓の外を見ながら、静かに笑った。


 この学園で生き残るために——いや、勝ち続けるために、次の一手を準備するのは当然のことなのだ。

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