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第三の条件  作者: コバヤシ
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第31話 背広の意味

 九条楓は、机の上に積まれた原稿をゆっくりと整理していた。


 記事の締切は三日後。


 だが、これといった記事したいネタが見つからない。


 そのとき、スマートフォンが震えた。


 画面に表示された名前を見て、楓はわずかに眉を上げる。


 以前、地域の学生団体の取材で知り合った人物だった。


 メッセージは短い。


 《ちょっと相談できない?》


 楓は椅子にもたれたまま返信する。


 《なんですか?》


 既読はすぐについた。


 次の文章が表示される。


 《金の話》


 ほんの数秒、指が止まる。


 それだけで、話の重さが伝わってきた。


 楓はバッグを持ち、部室を出た。


 駅前のカフェは、夕方になると学生が増える。


 窓際の席。


 そこに座っていた大学生は、以前会ったときより少しやつれて見えた。


「久しぶり」


 楓が言うと、彼は曖昧に笑った。


「……記事、まだ書いてるんだ」


「うん。で、何があったんですか?」


 遠回しな前置きはしない。


 それが彼女の取材の流儀だった。


 大学生は紙コップを握ったまま視線を落とす。


「……借りたんだよ」


「どこから?」


「ネットで見つけたとこ。個人融資って書いてあった」


 楓はメモ帳を開く。


 だが、まだ書かない。


「違法なんですか?」


「分かんない。でもさ……」


 彼は小さく息を吐いた。


「最初は普通だったんだ。振り込みも早いし、対応も丁寧で」


 楓は頷くだけ。


 遮らない。


「で、返済のときにさ……口座変えろって言われて」


「口座?」


「管理しやすいからって。給与の振込先」


 楓の指が、わずかに止まる。


「変えたの?」


「……変えた」


 声が小さくなる。


「そしたら、金が入っても……俺の金じゃないみたいになってさ」


 沈黙。


 カフェのざわめきだけが流れる。


「全部、向こうの管理下なんだよ。返済が優先だからって」


 楓はゆっくりとメモ帳を開いた。


 ペン先が紙に触れる。


「それ、契約書は?」


「ある。けど……細かすぎて読んでない」


 彼は苦笑した。


「俺さ、取材とかされる側になるとは思ってなかったわ」


 楓は顔を上げる。


「これは取材じゃないよ」


 一拍置く。


「今は、ただの相談」


 大学生は少しだけ安心したように見えた。


「……他にもいると思う」


 彼は言った。


「同じところ使ってる奴。急にバイト増やして、でも金ないって言ってる奴、周りに結構いる」


 楓は頷く。


 胸の奥で、何かが繋がる音がした。


 最近増えている闇バイトの噂。


 給料が消える話。


 失踪しかけた学生の話。


 点が線になり始めていた。


「その会社、場所わかりますか?」


 彼はスマートフォンを取り出し、地図を開く。


 駅前から少し離れた裏通り。


 雑居ビル。


 楓は画面を見つめたまま、何も言わなかった。


 彼女の中で、もう答えは出ている。


「……危ないよ」


 大学生が小さく言った。


「お前、ああいうの、首突っ込みそうだから」


 楓は少しだけ笑う。


「危ないのは、そんなとこ使っちゃう人じゃない?」


 楓は席を立つ。


「……記事にするのか?」


「まだ分からない」


 だが、その目はもう決まっていた。


 駅前から少し離れた裏通りは、昼でも薄暗かった。


 看板の電球が切れかけた雑居ビル。三階の窓だけが、白く濁った光を漏らしている。


 九条楓は、入口の自動ドアの前で一度だけ足を止めた。


 取材対象『個人融資相談所』。


 表向きはそう書かれている。


 階段を上る。


 エレベーターは使わない。


 三階の扉は半開きだった。


「……失礼します」


 中は思ったよりも普通の事務所だった。


 安いソファ。壁に貼られた成功体験のコピー。観葉植物だけが妙に新しい。


 机の向こうに座っていた男が顔を上げる。


 三十代後半くらい。小綺麗なスーツだが、目が笑っていない。


「取材? 学生さん?」


「はい。学校新聞です」


 楓はあらかじめ用意した名刺を差し出す。


 本物ではない。


「へえ。珍しいね」


 男は名刺を指で弾くように受け取った。


「最近、若い子の借金問題とか増えてるって聞いて……」


 楓は自然な口調で話す。


 攻めない。


 断定しない。


 ただ、聞く。


 それが彼女の取材の基本だった。


「うちはね、助けてるだけだよ」


 男は軽く笑う。


「銀行が貸してくれない人に、手を差し伸べてるだけ」

「銀行ってさ、冷たいでしょ?うちは違う。人を見るんだよ」


「利息は?」


「法律の範囲内」


 即答だった。


 楓は机の端に置かれた契約書の束をちらりと見る。


 細かすぎる文字。


 一般の学生なら、まず読まない。


「学生さんも来ますか?」


「来るよ。最近は多い」


 男は椅子にもたれた。


「スマホ一台で借りられる時代だからね。簡単に踏み込んじゃう」


 その言葉の中に、罪悪感はなかった。


 ただ、事実として語っている。


「返済できなかった場合は?」


 楓が聞くと、男は少しだけ笑みを薄くした。


「それは契約だからね。担保をもらったりするかな」


 答えは曖昧だった。


 しかし、それで十分だった。


 彼女の中で、記事の骨組みが少しずつ出来上がっていく。


「ちなみに」


 男が逆に聞いてきた。


「どうしてそんなことに興味あるの?」


 楓は一拍だけ間を置いた。


「……最近、学生でもお金に困ってる人が多い気がして」


 それは半分本音だった。


 闇バイト、借金、失踪。


 全部が繋がっている気がしていた。


 男はしばらく楓を見ていた。


 観察する目。


 値踏みする目。


「……危ない橋、渡らない方がいいよ」


 不意に言った。


「こういうのに首突っ込んで戻れなくなる人もいるから」


 警告なのか、忠告なのか分からない。


 楓は小さく笑った。


「ありがとうございます。でも」


 視線を逸らさない。


「残したいので」


 短い沈黙。


 男は肩をすくめた。


「好きにすればいいさ。まあ、俺の話を聞いたところで何かの足しになるとは思えないけど」


 それから、いくつか具体的な手法を聞いた後、取材は終わった。


 廊下に出ると、空気が少し冷たく感じる。


 階段を下りながら、楓はスマートフォンを取り出した。


 新しい通知。


 差出人不明。


 《危険な接触:リスク上昇》。


 彼女は一瞬だけ眉をひそめた。


(……やっぱり見てるんだ)


 観測者たちは、止めない。


 助けない。


 ただ、記録する。


 楓は画面を閉じた。


 ビルの外に出ると、夕焼けが街を赤く染めていた。


 ポケットから小さなメモ帳を取り出す。


 ようやく、最初の一行を書き込む。


 それが、記事のタイトルになるかどうかは、まだ分からない。


 だが、彼女の取材は確実に一歩、深い場所へ進んでいた。


 新聞部の部室に戻った楓は小さなノートを開き、箇条書きで情報を整理していく。


 闇金の手口は、昔の「取り立て」のイメージとは少し違っていた。


 力づくではなく、『生活そのものを契約に組み込む』


 まず行われるのは、身分証の情報と家族や知人の連絡先の掌握。


 次に、銀行口座や給与の流れに関する情報だった。


 借り手が返済を後回しにしないようにするため、と業者は説明する。


 だが実態は逆だ。


 「返済を最優先にせざるを得ない状態」を作る。


 債務者の証言には、似た言葉が並んでいた。


 給与の振込先を変えるように言われた。

 管理が楽になるだけだからと言われた。

 一度設定すると、自分では動かせなくなった。


 楓はペンを止める。


 これは単なる金の貸し借りではない。


 収入の流れを握ることで、選択肢を奪う仕組みだ。


 さらに別の手法。


 返済期日を守らせるため、表向きは「サポート」と称した連絡が頻繁に来る。


 最初は丁寧だ。


 励ますようなメッセージ。


 だが遅れ始めると、口調が変わる。


 怒鳴らない。


 脅さない。


 ただ、生活の情報を知っていることを示す。


 「学校、もうすぐ試験だよね?」

 「バイトのシフト減った?」


 それだけで、逃げ場がなくなる。


 楓は息を吐いた。


(やり口が巧妙だ)


 そして、業者は取材の最後に『スーツを着ていない詐欺師はいない』と言った。


 楓は文の最後をそう締めた。

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