第24話 悪魔の中脳
202x年某月某日。瑞峰学園地下、特別観測棟。
秘匿会議室の空調音だけが一定だった。
モニターには、速水蓮の中脳領域を中心とした統合マップが表示されている。
扁桃体、腹側被蓋野、黒質。
本来なら恐怖・快楽・報酬予測が衝突し、行動を鈍らせるはずの領域だ。
「矛盾がないな」
誰かが言った。感情刺激と行動選択が、競合していない。
通常、人間の中脳は『引き金』だ。
恐怖で逃げ、快楽で近づき、怒りで攻撃する。理性はその後に追いつく。
だが、速水蓮のデータでは順序が逆だった。
刺激は検出される。
恐怖も、快も、嫌悪も発火している。
ただし、それらは即座に評価対象へと格下げされている。
「情動が意思決定に割り込まない」
とある観測者が淡々と述べる。
「いや、割り込ませていない」
恐怖は抑え込まれているのではない。
快楽も拒否されていない。
すべてが“使える情報”として一度解体され、再構成されている。
逃げたいから逃げるのではない。
勝てるから進む。
危険だから止まるのではなく、不利だから止まる。
それは倫理でも本能でもなかった。純粋な最適化処理だ。
「中脳が…判断装置になっている」
本来、中脳は衝動の中枢だ。理性の制御を嫌い、短絡的な選択を促す。
だがこの個体では違う。中脳そのものが、前頭前野と同じ言語で思考している。
短い沈黙が流れた。
「…悪魔の中脳か」
誰かが、ほとんど無意識に呟いた。
その言葉が指しているのは、残虐性ではない。邪悪さでも、狂気でもない。
恐怖も欲望も、道徳さえも『目的達成の材料』にできる構造。
人間を人間たらしめる衝動を、判断の外側に置ける中枢。
それは悪意を持つ必要がない。共感を欠く必要もない。
ただ、必要がなければ、それらを一切、参照しない。
モニターの波形は安定していた。過剰も、欠落もない。
観測者たちは理解している。この脳が危険なのは、暴走しないからだ。
制御された中脳。それこそが、「悪魔」と呼ばれた理由だった。




