第23話 決闘の後
速水蓮と一ノ瀬一との決闘から、数週間が経った。
あれだけのことをしたのに、いや、あれだけのことをしたからなのか、一ノ瀬はここ最近、憑き物が落ちたようにスッキリとした顔をしている。
級友はもちろんのこと、速水に対しても、気さくに声をかけることが多い。
まるで、胸の奥に長年引っかかっていた棘を引き抜いたかのようだった。
廊下ですれ違えば、以前なら視線を逸らすか、喧嘩をふっかけてきたはずの一ノ瀬が、今は軽く顎を上げて「よう」と言う。
教室では誰かの冗談に短く笑い、昼休みには自然と人の輪の中心にいる。
無理に明るく振る舞っている様子はなく、ただ肩の力が抜けている。それが、かえって周囲を安心させていた。
速水はその変化を、少し距離を置いたところから眺めていた。
決闘の後、二人は特別な会話を交わしていない。勝敗についても、あの場で起きたことについても、互いに蒸し返すことはなかった。
それでいい、と速水は思っている。
あの時は、ぶつかることでしか、終わらせられない何かがあった。
ただ、それだけのことだ。
「…不思議なもんだな」
放課後、校舎裏のベンチで、一ノ瀬がぽつりと言った。
誰に向けた言葉でもない。だが、速水にはそれが自分に向けられたものだと分かった。
「殴り合っただけで、世界が変わるとは思ってなかった」
「変わったのは世界じゃない」
速水はそう返し、視線を遠くに投げる。
「お前が、自分の考えを見直しただけだ」
一ノ瀬は一瞬だけ黙り込み、それから小さく鼻で笑った。
「相変わらずだな。そういう言い方」
「事実だ」
速水は感情を乗せずに言う。その声音には、以前のような警戒も、試すような鋭さもなかった。ただの確認だ。
一ノ瀬はベンチにもたれ、空を仰いだ。雲がゆっくりと流れていく。勝ち負けも、意地も、後悔も、すでにそこにはなかった。
「なあ、速水」
「何だ」
「俺さ…しばらく、余計なこと考えないでみる」
それは決意というより、抱負に近い口調だった。
「おまえにこだわるのは、一回やめる」
「合理的だな」
「だろ?」
一ノ瀬は笑う。その笑顔には、以前あった焦りの影がない。
速水はその横顔を見て、ほんの一瞬だけ思う。
―これでいい。
決闘は、勝者を決めるためのものではなかった。壊れかけた何かを、これ以上歪ませないための、最後の確認だったのだ。
風が吹き抜け、校舎の窓が小さく鳴った。
速水蓮は立ち上がり、鞄を手に取る。
「帰るぞ」
「おう」
並んで歩き出す二人の背中は、もう対峙する者同士ではない。だが、完全な友でもない。
それでも、互いに背中を預けられる距離には、確かに立っていた。




