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第三の条件  作者: コバヤシ
2/22

第2話 速水の入部

 入学から一週間。

 新入生たちは、それぞれの部活を選び始めていた。


 瑞峰学園には多種多様な部活動があるが、なかでも柔道部は伝統ある強豪として知られている。


 その道場に、ひとりの新入生が姿を現した。


 速水蓮、静かに畳を踏みしめながら中へと進んだ。


 広々とした道場では、上級生と新入部員たちがすでに稽古を始めている。

 打ち込みの音、投げの衝撃、気合のこもった声が響き渡る。


(懐かしいな)


 一歩、また一歩。

 速水の中に、かすかな感覚が蘇る。

 競技としての柔道ではなく、“戦い”としての柔道。


「おい、新入生か?」


 声がかかる。

 がっしりとした体格の男子生徒が、腕を組みながら速水を見ていた。


 黒帯。肩には貫禄が滲んでいる。


「はい。速水蓮です」


「三浦翔。柔道部の部長だ。……経験者か?」


「ええ。中学で三年間やってました」


 三浦は、じっと速水を見つめる。


「へぇ。じゃあ、見せてもらおうか。……誰か、相手してやれ」


 呼びかけに応じて、ひとりの先輩が前へ出る。


「俺がやります」


 道着には黒帯。動きに無駄がない。おそらく二段か、三段。


 速水は更衣室で着替え、道場へと戻る。

 深く息を吸い、吐く。

 道着の袖を整えながら、静かに立った。


 乱取り形式、つまり、軽い実戦。だが油断は禁物だ。


「じゃあ、始めようか」


 先輩が組みかけた、その瞬間。


 ズバンッ!


 速水の大内刈りが鋭く差し込まれた。

 軸足を刈り取られた先輩は、抵抗する間もなく畳に沈む。


 静寂。


「…おおっ?」


「は、速え…!」


 ざわつく部員たち。


 畳に仰向けになった先輩は、苦笑しながら起き上がった。


「…参った。一本だ。強いな、お前」


 三浦は腕を組んだまま、ふむと頷く。


「なかなかやるな、速水。でも一本で調子に乗るなよ」


 そこへ、もう一人の男が手を挙げた。


「俺ともやらせろ」


 見るからに重心の低い体格。構えにブレがない。


「櫻井。投げ技に絶対の自信がある奴だ」


 三浦がそう言うと、櫻井は無言で前に出て構える。


 速水も前へ。

 視線が交錯する。

 静かに呼吸を整え、技の選択肢を脳内で回す。


(大内刈りか……いや、内股、巴投げまであるな)


「始めッ!」


 先に仕掛けたのは櫻井。

 大内刈り。

 鋭い。速い。躊躇のない踏み込み。


 しかし。


(…甘い)


 速水はタイミングを読み、わずかに体をずらす。

 重心を開き、逆に踏み込む。


「っ!」


 崩れた櫻井の体勢を捉え、速水の内股が一閃。


 バシュッ!


 弧を描いて宙を舞う身体。

 ドンッ! と畳が鳴る。


 三浦がすぐに判断を下す。


「一本!」


 再び静まり返る道場。

 空気が一段、変わったのを速水は感じた。


 櫻井は数秒、天井を見上げていたが、やがて苦笑しながら起き上がる。


「…クソ。完全にやられたな。お前、本当に一年かよ?」


「中学では、警察官や大学生と練習させてもらってましたので」


 淡々と返す速水。

 三浦が満足げに頷き、声をかける。


「即戦力だな。入部、決定だ。ようこそ、瑞峰柔道部へ」


 そう言って、ぽんと速水の肩を叩く。


 それを境に、道場内の空気がわずかに変わった。


 それまで彼を“評価対象”として見ていた視線が、“仲間”としての目に変わっていく。


 櫻井が歩み寄ってくる。


「お前、なかなかやるじゃねぇか。技も冴えてるし、すげぇな」


「ありがとうございます。櫻井先輩の大内刈り、非常に鋭かったです」


「へぇ、ちゃんと敬語も使えるときた」


「一応、そういうふうにしてますんで」


三浦がニヤリと笑う。


「“一応”ってのが気になるが。まあいい。お前、名前は?」


「速水蓮です」


三浦は大きく頷いた。


「速水、期待してるぜ」


 放課後の道場。

 速水蓮が部活の合間に休憩していると、畳の外から聞き慣れた声が響いた。


「おーい、速水。今日も部活頑張ってる?」


 速水が振り向くと、入り口に高嶺悠真が立っていた。

 笑みを浮かべながら、スポーツバッグを肩に引っ掛けている。


「…お前、見学か」


「いやー、実はね。入部届、出してきた」


 速水の眉がほんの僅かに動く。


「柔道部に?」


「うん。俺、中学は大会出てないけど、道場にはちょっと通ってたんだよね。親の影響で」


 その言い方は軽い。が、目だけは笑っていない。


 近くにいた三浦翔が、手ぬぐいで首を拭きながら近づいてきた。


「お前が…高嶺ってやつか。速水の同室の」


「そうっす、よろしくっす、部長」


「経験者って言ってたな。どれくらいやってた?」


「小5から中2まで。途中で辞めたけど、基本は覚えてます。今はちょっと鈍ってると思いますけど」


「へぇ…口ぶりが軽い割に、身体の立ち方が無駄に安定してんな」


 三浦の目が、じわりと変わる。


(これは…本当に“ちょっとやってた”レベルか?)


「じゃあ、やってみろ。速水と軽く乱取りだ」


「え、初日から? やだなー、速水、怖いんだけど」


 と言いつつ、道着に着替えて出てくる高嶺。

 その姿に、思わず周囲が息を呑む。


 体の使い方が自然すぎた。

 まるで毎日着ていたかのように、柔道着が馴染んでいる。


 速水は構えながら目を細めた。


「じゃあ、始めッ!」


 三浦の声で、二人が組む。


 初手。速水が軽く前に出る。


(重心を引いてこない…?)


 普通は反応するところ。

 だが高嶺は、まるで“読んでいた”かのように崩されない距離感でその攻撃をいなす。


 次の瞬間、すっと手が動いた。

 速水の腕を取りつつ、自分の右足を内側に滑り込ませる。


 内股。


 速水はすぐに体を捻って踏みとどまるが、その動きは紛れもなく“仕掛けのタイミング”を理解した者のそれだった。


「…なかなか」


「うん、やっぱ動けるね」


 笑いながら言う高嶺。

 だがその軽口とは裏腹に、足の運びも、崩しも、全部が“技術に裏打ちされている”。


(こいつ…なぜ今まで、黙ってた)


 速水がもう一度組み直しにかかる。

 二人の組み手争いが白熱し、緊張が走る。


「…止めッ!」


 三浦の声が響き、ふたりは同時に手を離す。


 周囲から拍手と小さなざわめき。


 三浦が近づいてきて、腕を組む。


「…未経験って話だったら、今すぐ訂正しろよ」


「“今は経験者じゃない”って言っただけっすよ」


「屁理屈だ!」


 高嶺は笑って頭をかく。


「ごめんごめん、ちょっと様子見たくてさ。でも、ちゃんとやりたい気持ちは本気だよ」


 三浦が渋い顔をしながらも頷く。


「…まあいい。動ける奴は歓迎する。正式に入部、認める」


「やった。ありがとうございまーす」


 その瞬間、速水のもとへと歩いてくる高嶺。


「…悪いね、ちょっと隠してて」


「お前、意外と腹黒いな」


「いやいや、俺はただのエンタメ提供係だよ」


 速水は思わず、ほんの僅かに笑った。


「…じゃあ期待してる。今後の“演出”にもな」


 高嶺は親指を立てた。



 こうして、瑞峰学園柔道部にまた一人。

 異質で、しかし侮れない即戦力が加わった。

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