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第三の条件  作者: コバヤシ
15/22

第15話 観測者達の会議

 件名:対象“速水蓮”初期適応観察レポート/作成者:識別コード《灰》


 入学初日、対象は予定通り午前七時二十九分に登校。女子生徒が転びかけ、それを助ける男子生徒を目撃。呼吸は一定で歩行リズムも完璧に調整されていた。

 観測ポイントB-5の音響センサーでは「違和感なし」と判定されたが、実際には「目の前で突発的な出来事があったのに平静である」という点で、すでに異常である。


 校門から昇降口まで、対象は13名の生徒および2名の教員とすれ違った。注視時間平均0.3秒——短い。

 しかし、その短い時間で視線を交わされた相手の内、5名が無意識に姿勢を正した。


 対象は、周囲に対して圧をかけている。

 だが、それは威圧でも虚勢でもない。

 “制御された異物感”だ。

 

 廊下での歩行は他の生徒と同じ速さでありながら、すれ違いを一切生まない。

 机に向かう動作、荷物をしまう仕草、椅子に腰かける流れ、どれもが「無駄がない」というより、「訓練された兵士」の所作に近い。


 対象は学園という“社会的構造”の中に自らを順応させつつ、完全に独立している。

 会話は控えめ。声質は低く、感情表現は抑制的。

 しかし、無関心ではない。必要な情報は抜け目なく取得し、不要な情報は流している。


 対象は、明らかに“敵地における初動”を行っている。我々が考えていた「異常な新入生」という想定は、甘かった。


これは…「計算された侵入」だ。


 補足:本日、対象は廊下の防犯カメラ(ダミー)の設置位置を一瞥しただけで、そこに本体が存在しないことを見抜いた可能性がある。

 また、観測者G班の尾行要員が「見失った」。理由は不明。対象が尾行に気づいて撒いた可能性が高い。


 対象“速水蓮”の分類を引き上げることを提案する。本件、至急《黒》の判断を仰ぐ。


 記録終了。


極秘記録:観測者会議ログ/識別コード:《黒》直轄会議室


出席者:

《黒》:全体戦略の指針を定める。

《灰》:速水蓮の初期観察を担当。

《蒼》《朱》《白》:それぞれ情報戦、心理分析、生体パターン解析を専門とする。


 暗い部屋に、五人分の端末が並ぶ。壁も天井も光を吸収する黒。声だけが、虚空に浮かぶ。


《黒》

「報告は読んだ。速水蓮。予測を超えた存在だ」


《灰》

「はい。初期接触において、対象はすでに我々の存在を疑っている兆候があります。現時点で“静観”が妥当とは思えません」


《蒼》

「確認ですが、対象は感情的動揺を一切見せていませんか?」


《灰》

「ええ。動揺どころか、“自分が常に見られていること”をどこかで認識しているような冷静さでした。観察されることに耐性がある。あるいは、訓練されている」


《朱》

「おそらく彼は、自身の内面にも“観測者”を内在させている。我々と同じだ。いや、それ以上に精緻かもしれない。自我と情報処理が統合されている人間は、脅威だ」


《白》

「身体パターンを解析しました。驚異的です。安静時心拍数、歩行時の筋肉分布、全身の熱バランス、すでに“極限環境下で生存可能”な個体と近い反応が出ています。異常というより“完成体”です」


 沈黙。


《白》

「さらに一点、特筆すべき分析結果が出ました。対象“速水蓮”は、神経伝達物質の自己制御を行っている可能性があります」


 誰も言葉を挟まない。


《黒》

「…言葉を選べ。《制御》とは、どのレベルか」


《白》

「はい。自律神経系の活動に同期したドーパミン、セロトニン、アドレナリン群の分泌量が、“状況ごとに理論値へ近似”する挙動を示しています。これは生物としては“ありえない適応”です」


《朱》

「つまり彼は、興奮すべき場面でアドレナリンを放出し、平静を要する場面ではセロトニンを高める…そういったことを意図してやっていると?」


《白》

「意図的かどうかは不明です。ですが、少なくとも無意識レベルの条件反射ではありません。彼は“自分が今、何を必要としているか”を、内分泌系レベルで判断し、調整している。仮に意識的な操作であるなら、彼は、自己の脳を薬理学的に扱っているということです」


《黒》

「“外部の道具を使わずに”」


《白》

「その通りです。ナノマシン、薬物、機械的刺激——すべての可能性を除外しました。対象の能力は“完全な生理的統御”によるもの。いわば、“脳内薬局を内包した人間”です」


《蒼》

「恐ろしいのは、それが“防御”ではなく“戦術”だということだ。彼は緊張すべき場面では、自己の興奮を遅延させて最大値をぶつける。リスク回避の場面では、あえてドーパミンの報酬系を遮断して“引き際”を判断している。これは“本能”ではない。“意志による合理”だ」


《黒》

「なるほど。“人間が手にしてはならない領域”に、彼は足を踏み入れている。だが、それを続ければ彼は壊れる。“人間の感情”という不安定さを排した存在が、果たして人類の進化に寄与できるのか?」


《朱》

「“感情なき観測者”は、最後には自己の存在も否定する。対象が自らを観測し続けるならば、彼は、鏡の迷宮に閉じ込められるでしょう」


 そのとき、《黒》が低く告げた。


《黒》

「分類を変更しろ。“観察対象”ではない。“対話対象”だ」


 ざわめきが端末越しに走る。


《蒼》

「…接触を、ですか?」


《黒》

「そうだ。静観では手遅れになる可能性がある。このまま“学園という実験環境”に彼を放置すれば、予測不能なイレギュラーを生む。制御ではなく、共存の道を探れ」


《灰》

「では、誰が接触を?」


《黒》はわずかに間を置き、命じた。


《黒》

「“九条楓”を使え。彼女は外部構成員だが、観測の素質はある。速水蓮に“気づかせる者”が必要だ」


 記録音声停止。

 虚無の中に戻った空間には、誰の息遣いも残らなかった。

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