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第三の条件  作者: コバヤシ
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第1話 選別の学府

 世の中には本来助け合うべき隣人同士を、殺し合わせるように変容させる術を使う者がいる。


例えば、あるゲリラ集団は人員確保のために目標のコミュニティ(集落)を襲撃した後、そこで徴兵した。


そして、徴兵した者が逃げ出さないように帰る場所を無くす術を使う。


その方法とは、徴兵した兵士に近所の住民の手を切り落とさせたり、娘を穢させたりする等の徹底した人間関係の破壊。


  このような、良心が欠如しているが、非常に合理的な方法を考え出し実行する者がいる。


 彼らは善悪の基準を持たず、道徳の枠組みを理解しながらも、それをただ「道具」として扱う。


 人の心を蝕み、利用し、壊すことに何の躊躇もない。常人には理解しがたいが、彼らにとっては合理性こそが絶対なのだ。

水城透 著『悪意の演算 ― 戦場の心理と支配の技術』無頼舎より一部抜粋

 

 県立片橋中学校。3月某日

 卒業式の日、体育館には形式ばった祝辞と答辞が響いていた。教師たちは朗々と語り、生徒たちはそれを適当に聞き流しながら、心の中で今日を境に変わる生活に思いを馳せていた。


 壇上の卒業生代表が感謝の言葉を述べる中、速水蓮は後方の席で静かに目を伏せていた。背筋を伸ばしながらも、その眼差しには感慨の色は薄い。


(…退屈な時間だな)


 こうした儀式の無意味さに辟易しながらも、無駄な抵抗はしない。


 やがて、卒業証書授与が終わり、校長の訓話が続いた。速水はぼんやりと、これまでの三年間を思い返してみる。


 速水蓮にとって、中学生活はある種の実験場であった。


 この荒れた中学で、己の立場を築くために戦い、利用し、支配してきた日々。


 力だけではなく、相手の心理を読み、最小の労力で最大の結果を得る方法を模索した時間。


 時には相手を叩き潰し、時には裏から手を回し、時には飄々とやり過ごしながら生きてきた三年間。


(底辺と言って差し支えない環境だったな)


 卒業後、もう二度と戻ることはない。だからといって、惜しいとも思わない。


 ただ、今の自分を形作った場所の一つであることは確かだった。


 式が終わり、体育館から解放された生徒たちは、友人同士で名残惜しげに語らい、写真を撮り合い、卒業という節目を楽しんでいた。


「蓮!」


 後ろから声をかけられる。振り返ると、同じ学年の少年、かつて何度かやり合った相手の一人が立っていた。


「お前、本当に寮付きの進学校に行くんだな?」


「ああ」


「そっちでも相変わらず、やるのか?」


 何を、とは言わない。だが、速水には意味が伝わった。


「さあな。環境が違えば、やり方も変わる」


 それだけ言って、速水は踵を返した。

 喧騒を後にしながら、ふと自分がこれから向かう場所について考える。


 瑞峰学園―全国屈指の進学校でありながら、異端児が集う場所。


 そこに行けば、これまでの「やり方」では通用しないかもしれない。


 それでも、速水は不安ではなく、むしろ淡い期待を抱いていた。


(楽しませてくれよ)


 中学の卒業式が終わった翌日、速水蓮は新しい生活の準備を進めていた。


 進学先は瑞峰学園。

 全国的に名の知られた進学校でありながら、単なる学業エリートではなく、多様な才能を持つ者が集まる場所だ。


 寮生活を伴うため、荷物をまとめ、家族と別れる必要がある。


 もっとも―。


「…ま、特に感慨はないな」


 部屋の荷物は少なかった。必要最小限の衣類、本、トレーニング用品、そして柔道着。私物と呼べるものもわずかで、 センチメンタルな別れを演出する要素はない。


 母親は「頑張りなさいよ」と軽く声をかけるだけで、特に涙を流すわけでもない。

 年の離れた姉と父親に至っては仕事で不在だった。

 ただ、祖父が選別がわりに「ちゃんと飯を食えよ」という言葉をかけてくれただけである。

 

(うちの家族らしいな)


 速水は淡々と荷造りを終え、準備を整えた。


 翌朝、早めに家を出る。

 瑞峰学園の最寄り駅に到着すると、校門へと続く道を歩く。


 校門をくぐると、すでに多くの新入生たちが集まっていた。


「おっと」


 一人の男子生徒が、前方で転びそうになった女生徒を支えて助けた。


 女生徒は短く礼を述べて、恥ずかしそうに早足で去る。


「おい、高嶺。初日からやるじゃん」

「いやいや、普通でしょ、これくらい」


 男子生徒は、中学からの友人と思われる人物と談笑しながら校内へと向かっていった。


 (友達か)


 速水蓮には中学時代に友達という者ができた覚えがない。


 入学式が終わり、新入生たちは各自の教室へと移動した。


 瑞峰学園 1年A組。


 長身で姿勢のいい男性教師が、前に立ち、生徒たちを見渡す。


 「さて、入学式も終わったことだし、まずは自己紹介といこうか」


 ざわ…とクラスが静かな動揺を見せる。


「とりあえず、出席番号順でいこう」


 1番から順番に、簡潔な自己紹介がされていく。


「よっしゃ、次オレか」


 声の主をよく見ると、校門付近で女生徒を助け、友人と一緒に登校していた男子生徒であった。


 男子生徒は立ち上がり、軽く笑ってみせた。


「高嶺悠真です。地元の中学から来ました」

 

 声は明るく、堂々としている。


「趣味は特に無いけど……あ、飯を食うのは好き。美味いもん探しに行くのが楽しみかな」


「いいね!」


 誰かがそう声を上げると、クラスに和やかな笑いが広がった。


「ま、そんな感じで! みんなよろしく!」


 高嶺は気負いのない態度で席に戻った。


 その後に少し緊張した様子で、女生徒が立ち上がった。


「七瀬柚葉です」


 柔らかく、それでいて少し控えめな声。


「本を読むのが趣味で、特に物語を読むのが好きです」


 静かながらも、芯のある話し方だった。


「あと…体を動かすのも好きで、中学では水泳をやっていました」


「水泳か、かっこいい!」と誰かが呟く。


 七瀬は少し恥ずかしそうにしながらも、丁寧にお辞儀をした。


「これからよろしくお願いします」


 クラスの雰囲気が、柔らかくなった。


 速水は椅子から立ち上がり、ゆっくりと前を向いた。


「速水蓮です」


声は淡々としており、表情にもほとんど変化がない。


「得意科目は特にないけど、読書はよくします」


 その一言で、何人かの生徒が「へえ」と反応した。


「スポーツも嫌いじゃない。柔道をやってた」


 短く、それでいて無駄のない言葉。


「…以上」


 椅子に座ると、周囲から「クールだな」とか「硬派っぽい」といった小声が聞こえた。


 しかし速水自身は気にする様子もなく、次の自己紹介に耳を傾けた。


 次々と自己紹介が進んでいく中、一際目立つ声が聞こえた。


 「はーい! 次、あたしね!」


 明るい声とともに、勢いよく立ち上がる。


「夏海玲奈でーす! みんなよろしくねっ!」


その瞬間、クラスの空気がパッと明るくなった。


「趣味は遊ぶこと! それから、美味しいものを食べること! そして——あだ名をつけること!」


「お、おお……?」と周囲が戸惑う。


「えーっと、たとえばハヤミン!」


いきなり速水を指差した。


「…俺か?」


「そ! 速水蓮だから、ハヤミン! 」


「ナナちゃんは、ナナちゃん!」


「えっ、わ、私?」


「そ! 七瀬だからナナちゃん! みんなも、名前が覚えやすくなるでしょ?」


 玲奈が無邪気に笑うと、クラスの空気が一気に和んだ。


「これから、どんどんあだ名つけていくから覚悟してね!」


 笑い声が広がる中、玲奈は満足げに席に戻った。


(…妙なヤツだな)


 速水は玲奈を橫目で見ながら思った。


 だが、彼女のような存在は、時に場の空気を大きく変える。


 —場を支配する者。


その資質があることだけは、確かだった。


 そして、このクラスの中には、まだまだ興味深い”人物”が潛んでいる気がする。


 こうして入学式初日は過ぎていった。

入学式が終わった後、新入生たちは学園内の大講堂に集められた。


 壇上には、黒縁眼鏡の職員が一人。

 年齢は五十代ほどか。背筋を伸ばし、全体を見渡している。


「これから瑞峰学園寮について、生活上の注意を説明する」


 声はよく通り、淡々としていた。

 威圧感こそないが、聞き逃したら“自分が損をする”という雰囲気が自然と生まれている。


「寮は基本的に二人部屋だ。完全個室ではないため、相手との協調が必要になる。トラブルが発生した場合、双方に責任が発生することもある。理解しておけ」


 速水は特に表情を変えずに聞いていた。


 隣の席では高嶺がこっそりと「ふたり部屋ねぇ…」と呟きながら、口角を上げている。

 彼らは、すでに同室だと知らされていた。


「生活ルールとして、門限は22時。外出には事前申請が必要。無断外泊は禁止。破れば当然、指導が入る」


「寮には食堂、大浴場、談話室、自習室、ランドリールームなどが揃っている。食事は朝夕の二食が基本。休日は昼食も出るが、事前申請が必要だ」


「騒音・破壊行為・無断立ち入りは禁止。寮は“生活の場”であると同時に、学園の一部だ。規律を守れない者は、学園にもいられない」


 どこからか、「破壊行為って…誰がやんだよ」という小声が漏れる。

 速水は無言で視線を天井に向けた。


(…いるだろうな、何人かは)


 人の数だけ、歪みもある。

 そして、この学園には“異物”が集まっている。

 それが分かっていて入学したのだから、驚くべきことではなかった。


「寮監について質問はあるか?」


 一人の男子生徒が手を挙げる。


「寮監って、怖い人なんですか?」


 職員は、ほんのわずかに口元を緩めた気がした。


「厳しいが、必要な時には親身だ。教員が当番制で務めている。よって、日替わりで性格が変わると考えておくといい」


 小さな笑いが広がった。

 高嶺が速水の耳元で囁く。


「なるほど、日替わり地雷ガチャってことか」


「……例えが無礼すぎる」


 速水は苦笑しそうになる口元を引き締めた。危ない、無駄な表情が出るところだった。


 職員が書類を配り始める。


「詳細はこの用紙に記載されている。ルームメイトと確認し、各自で責任を持って読んでおくこと。以上、解散」


 その号令と共に、新入生たちは三々五々、寮の各棟へと向かった。



 速水と高嶺の部屋は、第三寮・2階の端にあった。


 玄関のドアは金属製。簡素だが、防音性と耐久性は高そうだ。


 鍵を開け、中に入ると—そこは、まさに「新しい生活」の場だった。


 ベッドが2台、並列に置かれている。

 勉強机と本棚、小型冷蔵庫、窓際にカーテン。

 余計なものは何もない。清潔で、機能的。まさに学園用の設計だ。


「ふーん。割と悪くないね」


 高嶺はベッドにダイブし、その反動で軽く跳ねた。


「柔らかすぎず、硬すぎず。お前、どっちのベッドがいい?」


「どちらでも構わない」


「だよなー。じゃあ俺、窓側もらうわ。なんか落ち着くし」


  速水は頷き、逆側のベッドに荷物を置いた。


「明日から授業だっけ?」


「そうだ」


「にしても、この学園…空気がちょっと、変だな」


「どういう意味で?」


「いや、別に悪いとかじゃなくて…。なんか、“選ばれてる”っていうか、“集められてる”っていうかさ。雰囲気が、普通の学校と違う」


(…気付くか)


 速水は思った。


 高嶺悠真という人間は、見た目こそ柔らかいが、決して鈍感ではない。

 むしろ、直感で物事の本質に手をかけてしまうタイプだ。


「今のところは、まだ静かだ。だがいずれ、何かが動く」


「ふーん? 予言っぽいな。未来人?」


「そういう設定は君に任せる」


「それ、意外と悪くない設定だな」


 高嶺は笑いながらベッドに寝転んだ。

 天井をぼんやり見つめながら、呟く。


「ま、面白くなるといいな。せっかく来たんだし」


 速水もまた、机の椅子に腰を下ろしながら、内心で答える。


(そのうち、面白くなりすぎて引き返せなくなるかもしれないけどな)


 こうして、瑞峰学園での最初の夜が、更けていく。



 次の朝。

 速水は、夜明けと共に目を覚ました。


 まだカーテンの向こうは、淡い蒼色に染まっている。


 高嶺はベッドの中で寝息を立てていた。


 静かに起き上がり、体を動かす。ストレッチ、腕立て、スクワット。

 一連のルーティンを終えると、洗面所で顔を洗った。


 鏡の中には、整った顔立ちに無機質な表情を浮かべる少年がいる。


(—さて。今日から、新生活(じっけん)を始めるか)


 速水蓮にとって、この学園もまた、実験場である。

 だがここでは、何を観て、何を選ぶべきなのか、

 まだ、その答えは見えていなかった。

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