第十二話 一番怖い人
着替え終えて仮眠室から出たが、オフィスにいる人は増えていなかった。
「猪狩、今日も遅刻かな」
時計をチラッと見た希夢さんは、ハァーと深くため息をついた。
その時、バンッと勢いよく扉が開く音と共に、猪狩さんが入ってきた。
「今日もセーフ」
「セーフ、じゃないわよ猪狩。後輩もできたことだし、始業時間ギリギリなのやめたら?」
「うっせーよ。セーフならなんでも良いだろ」
2人がやいやい言い合っている様子をめんどくさそうに眺めながら、苺花さんが帰り支度をし始める。
そういえば、苺花さんが昨日夜勤って言ってたっけ。
だが、その様子に2人は気づいていない。
結局、苺花さんはふぁーっと大きな欠伸をしながら、荷物を詰め終え、「お疲れ様でしたー」と元気よく挨拶して帰ってしまった。
「こんな奴が新人教育するくらいなら、私がやったほうが絶対良かった」
「お前は絶対無理だろ。何たって班長が」
「私がー、どうしたのかなー」
苺花さんと入れ替わりで入ってきたのは東雲さんだ。
「「おはようございます」」
「あ、お、おはようございます」
猪狩さんは慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「皆おはよー。それでー私がどうしたのかなー」
東雲さんが問いかけると、猪狩さんは少し青ざめた顔で「なんでもありません」と答えている。
「そうかー。じゃあ、猪狩くんは、臥龍岡くんの魔法の練習お願いするねー」
「…はい」
東雲さんってそんなに怖い人じゃなさそうなのに、なんで猪狩あんなに怖がってるんだろう。
「いくぞ」
そんな疑問を抱いたが、聞くこともできず、黙って猪狩さんに続いた。
♢♢♢
「良いか。ここで働くにあたって、お前に教えておかねばならんことがある」
「はい」
訓練所に入ると、猪狩さんが重々しく口を開いた。
一体、どうしたんだ。こんなに真剣な様子の猪狩さん、初めて見た。
「絶対に、ぜぇーたいに、班長だけは怒らせたらいけない。あの人を怒らせたら、俺らが地獄を見ることになる」
東雲さんが?確かにひんやりとした空気は感じたが、突然声を荒げたり、理不尽に怒り出すことはなさそうな気がする。
あまりピンと来ていない私に、猪狩さんはさらに言葉を続けた。
「あの人は、鳳条希夢が近くにいると穏やかになるが、そうでない時は人格が変わったように冷酷だ。本気で気をつけておけよ」
「はぁ」
とりあえず頷くと、猪狩さんは溜息をついて「忠告はしたからな」と念を押した。
「そんじゃ、魔法の練習始めるか」
「はい、よろしくお願いします」
その日から、猪狩さんによる地獄の魔法訓練が開始されることとなる。