初めての会話
最初の話の、何日か前―
都会から手外れた歓楽街の外れ、幾つものバーやラウンジ、スナックが入るありふれた雑居ビル。
その空き部屋の一つの前に大量の荷物が置いてあった。
その光景は珍しくもない、新店のオープンだろう。
早ければ数日、持って数カ月でまた変わる、いつもの事、そのビルの掃除人の老婆が冷たく見やる。
バタン、タクシーの音に老婆は窓から下を見やる。
いま、タクシーからおり立った三十路半ばらしい、色っぽい女性。
一人でビルに入ってくる。
あれがあの新店の関係者か?
チン、とエレベーターの扉が開く、そして老婆は腰をぬかす。
一人のはずの女が、なんと七人の女を従えて、堂々と入ってくる!
店の中では、七人の女の子が、甲斐甲斐しく働いていた。
掃除をし、酒を並べ、備品の支度や調理など…
何故かみんな同じ顔、同じ姿に見える。
「今度の此処はどのくらいかね…」
ママは一服しようというのか外に出る。
そこにはさっき店に入る時には無かった祝い花が一つ置いてあった。
「なによこれ」
何の間違いだろう?
ママは物憂げに、その紅い薔薇を指でつつく。
祝い花、か…ふん、あたしほど祝われない存在もないだろうがね…
「勝手に置いてすみませんねえ」 のんびりとした声がする。
その方向を見るとひとりの男がいた。
あそこに誰かがいた気配など、無かったはずだけど…
歳は、三十代半ばか、四十前? 背は中肉中背、顔は、また何とも印象に残りにくい、特徴の無い顔だった。
しかしその口元に浮かぶ笑みだけは印象的だった。
しかしその笑みは、愛想笑いなのか、冷笑なのか、はたまたアルカイックスマイルとでもいうのだろうか?
ただ、その男の印象はその『笑み』しか残らないであろう、そんな表情だった。
眉をひそめるママ。
「あんた、お祝いの押し売り?! ごめんだわ」
「いえいえ、とんでもない」
腰を折り、ぶんぶんと手を振るありきたりな仕草は、わざとらしさを通り過ぎて、笑ってしまうほどだ。
「あまりにもお綺麗なママがいらっしゃったので、つい置いてしまいました」
「祝い花って、つい、置けるものじゃないでしょ、白々しい」
「お気遣いなく、私の言う事なら何でも聞いてくれる花屋を、知っているだけですよ」
男の言いざまに、ちょっと興味を感じたのか、ママは愛想笑いを浮かべる。
「ふうん…」
まあ、猫じゃらしを見つけた程度の笑みだったが。
「ここいらじゃちょっとした顔、ってところ?」
「そんなものです」
はーぁ…
諦めと妥協のようなため息の後…
「…まあ、いいわ。あたしの店の客、第一号に認定してあげる、入ってよ」
「一杯目はおごりよ、何にする?」
「ジントニックをお願いします」
「遠慮しなくていいのよ」
「シンプルなカクテルほど、作り手の腕が見える、とも言いますが…」
「…はい、どうぞ」
「早いですね」
「適当よ、ささーっとね…飲みなよ」
「ほう、適当でコレ、ですか。ならママの心のこもった一杯はどれほど―」
「十年早い!」
「おっと、厳しいですねぇ、…七年くらいに負かりませんか」
「…はは、アンタおもしろいね」
「お店の名は『華陽』と書いて『はなび』というんですか、なかなか洒落ていますね」
「…はは、適当よ」なにかちょっと引っかかる。
「おや、Yamazakiの25年ものがあるじゃないですか、お願いしていいですか」
「高いわよ?」
「一杯目のおごりは安くして、次にわざと高いモノ頼む、という寝技ですよ」
「本人が言ってりゃ世話ないわね、ストレートでいい?」
「はい、もちろん」
「フォクシー?」
「『色っぽい』を意味する英語ですよ。『キツネのような』という意味もありますが」
「…あら、あたし、狐みたいに見えるかしら?」
「ママみたいに色っぽいのなら、『妖狐』も顔負けですよ」
「あたしの名は『陽子』じゃないわ、『たつき』よ」
「ほう、ちょっと変えたら『妲己』じゃないですか、すばらしい」
「アタシの名は、たつき!」
また引っかかる、名前を言われただけで、何でこんなに…