「上」の会話
「男」が去ったその後、すぐ―
黒子頭巾を被った者たちから一斉に声があがる。
「お上、何故あのような事を!」
「あやつ、明らかに悪辣狐狸精に誑かされているに相違ありませぬ!」
「かの大悪が、みすみす他者の連れ合いなどになる筈が―!」
「あのような人とも妖ともつかぬ『胡乱』な者の言いようを信じられるのですか!」
わらわは嘗て幼き折、祖母の膝にて、『かの者』、あの大妖の悪行を幾度も聞かされた。
また、我が母からは、全てを許し手懐ける心得を、繰り返し説かれた…。
「命婦神」の静かな言葉に、周囲の声が止む。
我は古よりの、稲荷のあり様を保って行きたいと常に願ごうておる。じゃが…
辺りを見回す命婦神。
我が臣たるそなた等の中には、我が祖母より仕えし者も数多おる。
このような甘き裁を、心もとのう思うものも居るであろうのう。
「い、いえ、お上! そのような…」
言い訳する者も、やがて押し黙る。
葛の葉、そなたは如何思う?
やや末席の影が、その声に少し膝を進め頭を下げる。
「は…、お上のお言葉まことにごもっとも、かと」
「葛の葉どの! お主、稲荷の御使いの誇りは無いのかっ!!」
すぐに入る声に平然と答え返す。
「『かの者』は金毛狐、我らは白狐…、此処の皆が総掛かりで押し包んでも、討伐などもとより出来ますまい?」
辺りを押し黙まして後、きっぱりと言い放つ。
「お上、かの卿の言い分、面白うございます。賭けてみてもよろしいかと愚考いたしまする」
…ふ、ふんっ、人と情を交わした軟弱者の言いざまよの!
その言いざまに、答えるのは―
「あぁん? 今言うたのはどこのアホゥじゃ、ドタマかち割ったろかっ!」
激しいまでの言いざまに皆が沈黙する。
その時、真っ先に口を開いたのは、当の「命婦神」
葛の葉! 詮議の場をなんと心得るか?!
―はっ、申し訳ございませぬ。
ぬしの言動、このところ目に余る!この後我が訓戒を与えよう!
皆の者、詮議はこれまでである。大儀であった。
頭を下げる葛の葉に冷たい目線を送りながら、去って行く狐たち―
辺りが落ち着いてのち、「命婦神」は葛の葉を近く呼び寄せ―
葛の葉、いつもすまぬのう。
いいえ、千年、二千年前の旧弊に捉われし者ども、命婦様の御心痛、痛み入るばかりでございます。
これ、そなたもかの卿に似た言い草になっておろう?
ほ、これはしたり。
近こう…、では話を聞こうか、卿の言動に対する、ぬしの見立てをな…
江戸、いやそれ以前より―? つまりは『かの者』は、もう数百年も茶店や酒家にて大衆に対しておると言うのじゃな。
はい、南北朝の折、玄翁和尚が殺生石を破壊し、破壊された殺生石は各地へと飛散したと聞き及びますが…
飛散…、それは『かの者』の流離を示しておるのか?
『かの者』は何を思って、そのような―?
「連れ合いとなすつもり」…か、あの九尾狐に寄り添おうというのか、あの者は?
『かの者』の罪や思いに、寄り添う―、思えば、途方もない事であるな。