大人の会話 第弐夜 二個め
業を煮やしたように右手の刀を振りかざす老人―、しかしその眼の前に、場違いな『紙ヒコーキ』が、すい、と飛んで来る。
虚を突かれたように、思わず左手で掴んでしまう。
老人はその『紙ヒコーキ』を見て、眼を見開く。
「こ、これはっ、先ほどの我が呪符っ!」
「く、くくくくっ…」
後ろから聞こえる笑いに、老人は驚愕の表情で振り返る。
「あのような児戯を封邪の術という時点で絶句もの、唖然としてつい固まってしもうたわ…」
ビリ、ビリビリッ―、空気が肌に痛い程ふるえ始める。
「その後なにか斬新なギャグでもかましてくれるのかと期待してみれば、ほほほっ…、なんとまあオチは無しか、つまらぬ!」
「ぬし…、見た目は爺じゃが、術は『襁褓』の取れぬ『乳臭児』よの!」
金色の体毛がゆっくりと、眼を背けたくなるような力と共に溢れ出す。
「あたし…いや、わらわが本物の封邪の術を見せてやろう、ほうれ…」
右手を突き出しわざとのように、パチリ、と鳴らす。
ビシーっ、老人が左手に持った『紙ヒコーキ』が一瞬で凍り付き、その手どころか、腕までも凍り付かせる!
フンッ―、老人は一瞬の気合で右手の刀にて左腕を叩き落し、
「見くびるな、女郎!」
ためらいの無い流れで刀を床に突き立て、右手で天地を指差す。
「天意地恩! 破邪顕威ッ!!」
突き出した右手指に凄まじい光が集まっていく。
「笑止っ、天刑星顕威、呪破!」
びしりと指さした先から光る印が飛び出し、老人の指先の光に被さり―
老人の手指の光が暴走するように膨れ上がると、
ズドォン―!
その右手を粉々に吹き飛ばす。
老人は失われた両手を交互に見詰め、却って笑いを浮かべる。
ゆっくりと迫る白面金毛の威容に、黒尽くめの老人は決心したように、床にどっかりと座る。
「殺せ」
「フン、覚悟を決めたというヤツか、潔いの」
その言葉を覗き込むように、大妖は近づく。
「じゃが、その覚悟は本物かの?、確かめてやろう、くふふふぅっ」
『ママだったもの』は氷の笑みを投げかける。
「おお、そうじゃ今夜は『全てを見せる』約束であったな」
「さあ、ここからはShow Timeじゃ、刮目せよ、『化色五倉增手臂法』っ、覇っ!」
するとその巨体にみるみる腕がにょきにょきと生えていく。
「どうじゃ、尾が九本なら腕も九本となった、そして…」
九本の手の先に、それぞれ妖しく光る刃が出現する。
「これらはわらわが極北の永久氷より鍛えし『薄氷刃』じゃ、血の一滴も流さず、腑分けできる…」
老人が切り落とした左腕を、ひょいと一本の手が絡み上げる。
「そうれ…」
九本の腕がゆさりと動き、何か千切りにしたような細切れが、ばらばらっ、と乱れ落ちる。
「この通り、神経、血管、筋肉に骨…、全てを仕分けできる、ほほ、美しいであろう?」
「さあて、これからどうするか、もちろんわかるな?」
一本の刃が老人の頬を、ぺろりとなぶる。
その肌にこれほどない鳥肌が立つ。
「今夜は逃がさない、というヤツじゃ」
覚悟もどこへやら、蒼白になって震える黒尽くめ。
「さあ見せるがよい、人たるものの内側全てをなっ―」
「うああああああーっ!」
「いやあ、今夜のママは最高に刺激的だったよ」
「そぉ?、ありがとう」
「まあ、『ナマ「展覧会」』をじっくり見せられると覚悟していたのだがね…」
「てかー、なんかあのジジイ、そそられなかったんだよね」
「おや、どこがお気に召さなかったのかな?」
「覚悟決めたわりにさあ、ちょっと押しただけでビビってやんの」
「仕方ないさ、ママの『押し』は半端ないからなあ」
「あんなので『この地方の闇の覇者』って言う? はっ、ちゃんちゃら可笑しいわ!」
「まあでも、身体の全ては見なくても、記憶と心の全ては、いま見せてもらおうかしら…」
真っ青な呆けた顔の黒尽くめの老人の頭に、ひょいと伸びたママのシッポの一本がきりきりと絡みつく。
「…ふん、ふうん、ま、ありきたりな内容ね」
しかしすぐに飽きたようにシッポは離れ、老人はくたり、と崩れおちる。
「ふふ、まあその『ニンジャ様』はママに任せるよ、煮るなり焼くなり好きにすればいいさ」
「…違うのよね」
「何がだい」
「もう、こんな出涸らしに用はないわ。今夜あたし、なんか不完全燃焼なのよ」
「ほう」
「物足りないの、この血が滾ってしょうがないのよ…」
ママはその豊かな胸を自ら抱きしめる。
「ママにそんな事言われると、ぞくぞくするね」
「あなたも言ったでしょ、今夜、一線を越えたい気分…」
「ねえあなた、いつもあたしのわがまま聞いてくれてるでしょ?」
男の真正面から迫り、その腕を肩に回していく。
「お願い、あたしを満足させて―!」
ママの背後にバッ、と刃の手が咲きほこり、男に襲いかかる!
「あなたの血肉の全てでねっ!!」
…
「さあ、完成っと…、うふふ内臓もみんないい仕上がりね、今までで最高の出来だわ」
ママはスイートルームのベッドの上に並んだ「作品」をうっとりと眺める。
「どうかしら、自分自身が『ナマ「展覧会」』になった気分は?」
枕元に置かれた、目を閉じた男の「頭部」に話しかける。
「…ふふ、どうしたの、返事がないわよ?」
「…あんまりいい気分ではないな」
問いかけに男は眼を見開いて答える。
「ここで返事しちゃだめでしょ、もう」
横に並んでいた首と内臓の無い胴体が、探るように手を伸ばして頭を掴み、ゆっくりと頭を乗せていく。
そして首筋を確認するように撫でた後、コキコキと首を左右に振る。
男はベッド上に並べられた自分の「作品」を見やってため息をつく。
「うーむ、これから当分はホルモンは食べたくないね」
「まあ、何となく予感はあったけど… はあ、あんたって一体なんなのよ?!」額を押さえるママ。
「そうか? マンガとかではしばしばある表現だろ」
「あんたの存在自体がギャグかもね」
内臓を抜き取られた筈の身体がむくりと起き上がり、並べられた臓物をその身に納めなおしていく。
「…やはり、心臓と肝臓が無いとつらいな。ママ、頼むからこれきりにしておいてくれよ」
「『コレ』を同じ相手に二度する気は、さすがに起きないわねぇ…」
「しかしママの『匠の技』を体験出来てうれしいよ。ほう、綺麗に切ってくれたから、内臓がこんなに収めやすいぞ」
「…全然っ、嬉しくないわ」
「あーあ、何か気が抜けちゃったなあ」
ママはさっさと衣服を身に着けていく。
「おいおい、帰っちゃうのかい」
男はあわてて開かれた腹部を閉じようとする。
「あなたもここの後始末、大変ね、まあ頑張って、今度一杯おごるからさあ、じゃバイバーイ」
振り向きもせず、手をひらひらと振るだけで去って行くママ。
男はやっと服を身に着けたばかり、唖然と見送ってしまう。
そして破れた窓ガラスに、床に刺さった刀、横たわる両腕の無い老人の身体を見回して肩をすくめる。
「ここまでわがまま聞いて、やっと『一杯おごる』か…、まだ先は長いな」