さよなら[ウハインハイツ聖国]1
大きな鐘を片手で振りながら出発を知らせる大男を横目に馬車に乗り込むと、どうやら旅の道連れは、3組の母娘と、単独の行商人が2人と、随分少なく感じた。
これから雪が降り、長距離移動は辛くなる一方だ。定期馬車とはいえ、本格的な冬に入る前のちょうど最後の隊商馬車だったのかもしれない。
荷馬車5台と、護衛の傭兵や冒険者達を連れだって、一行は無事、何事も無く街を守る門を出ると、王都を囲む街壁が見えなくなって、ユリナはやっと息を吐いて、その背もたれに身を預けた。
領地と領地の関所をつなぐこのような隊商は、一晩ごとにある野営地や、各領館があるような大きな街から、小さな村や集落を経由し、それぞれの場所で荷を売り買いしながら、2週間ほどかけて辺境伯領に向けて街道を進む。
砂漠を往来するキャラバンのような過酷さは無いが、個室でベットのある宿屋に泊まれるのは良くて3日に1晩だ。
そのたびに馬を変え、乗客も入れ替わるのだが、国境検問所のある辺境伯領まで一緒だったのは、母娘1組と2人の行商人だけだった。
どうやら他の荷馬車にも、私達のような一般の移動者は居たようだが、それが誰で、誰がどう入れ替わったのかは知るすべも無い。
停車後もあまり荷馬車から離れなかったせいか、時を共にするのも、会話をするのも、乗車券の木札を確認する御者の他は、この母娘と行商人だけだった。
この行商人が、隊商の本体とは別に、野営のたびに他の乗客や護衛などの同行者に商売をするので、なるほど上手いことできているなと感心した。
ユリナもこの行商人から、石鹸とリネンの手拭いを数枚買った。
詳しいことはわからないけど、ベロア生地があるのにタオル生地が無いのが謎だ。
前世の特技を如何なく発揮させたおかげで、元リリアーヌ侯爵令嬢としてこの世界で生きてきた元日本人のユリナでも、全てが物珍しく、快適だった。
生まれて死ぬまで街壁から外に出る事のない民草蔓延るこの世界には、行楽や道楽で旅をする一般人などいない。
商人でもないのに馬車に乗って領地や国を移動するなんて、何かしら理由のあるただの長距離移動だ。暇を持て余す中、四六時中顔を突き合わせることになる旅の道連れは皆随分とヒトが良いらしい。飴玉一つで快くこの世の常識をユリナに教えてくれる。
ある日の休憩中、母親の方が行商人と何か交渉しているのに付き合っているのに飽きたのか、娘がそばに来てニコリと笑った。
「私、ソフィ。お母さんと、田舎のお家に帰るところなの」
ユリナは、読みかえしていた帳面を閉じ微笑み返す。
「こんにちは。私はユリナ。お隣の国に人を待たせてるの」
そういって女の子の頭を撫でた。まあ嘘なんだけど。可愛い。
すると、ソフィはニコニコとしたまま聞いてきた。
「おねいさんも、髪を売って乗車券を買ったの?」
ユリナは一瞬間を置いて「そうよ」と答えておいた。
「おねいさんの髪はまっすぐで艶々だから金貨をたくさん貰えたわね?」
「フフっありがとぅ。ソフィの今の髪型素敵ね。とってもキュート」
「お母さんが切ってくれたの! それでこの服も買ってくれた」
そう言って女の子はクルクル回って見せた。
「素敵ね。とても似合っているわ。王都でもこんなに可愛い子は見たことが無かったわ」
と拍手して褒め称えた。
すると女の子は「キャー」と小さく笑って「カップを出して」とはしゃぐので、言われるままに差し出すと、魔法で出した水を分けてくれた。
ソフィは「秘密よ」と可愛く笑って行ってしまった。
そうか、それで馬車に乗っていた女性たちは皆ショートカットだったのか。
市井の女性の流行りなのかと思っていた。
旅の道中、皆が快く話してくれることは、リリアーヌが、いかに無為にこの18年を過ごしていたか思い知らされる教えばかりだった。これからは、自分も女1人で身を立てていかなければならないのだと、思い知らされた。
辺境伯領の宿屋の部屋で、ドレスは全て布と糸に戻す事にした。
ほとんどがシルク生地のような艶めき輝くみるからに高級な布で、仕立て直して平民服にするのも難しく、そのまま売るのも本来の価値では無理だろう。
いくつかをリボン状に変え、ちょっと高級な装飾品にリメイクする。
アクセサリー類も、宝石を全て外し、金属部分をインゴットに変える。
一際大きなルビーをさらに細かく砕き、穴を開けてビーズに変えたら、ブリックピンク色のリボンの端に数個だけ縫いつけ飾ってみると、艶のあるリボンの揺れに合わせて、一瞬光を反射させ、キラリとわずかに輝く様子は、女の子が喜びそうだ。
大量に買った塩に、粉末状にした薬材を配合して、こちらでは珍しいシーズニングソルトを何種類か作り、ガラス瓶に小分けにして、主婦の方々のお財布を狙う。
そういえば道中、飴も大人気だった。
砂糖は長年、城や侯爵家からちょろまかしていたのが売るほどあるし、飴の作り方も知っている。
ナッツやドライフルーツで日持ちのする焼き菓子など作っても売れるかもしれない。
これだけ商品が揃えば、自分1人食っていくだけならなんとかやっていけるかも。とほくそ笑む。今日のところ寝てしまおう。と、部屋に閂をかけ気づいた。
それまでで1番大きな宿屋だったのにもかかわらず、この部屋にも扉に鍵が付いていなかった。
財産を持たない者が守るのは自分の命。
民草の者は部屋の内側から閂をかけるのだ。
施錠と言う概念自体が一般的ではないらしい。
この世界にはまだ鍵が無いのだ。
だから貴族の家や城には必ず門番や衛兵が立っているのか。
なるほど、どおりで。
と、ユリナは執務室に易々と入れた夜の事を思い出した。
これは良い事を思いついたかもしれない。
朝になり、次の馬車を探そうと広場に向かうと、国境検問所がある村までは徒歩半日以上かかるらしく、そこまでに定期馬車はなんと週に一度しか無いと言うのだ。
セキュリティの問題なのか? とも思う処だが、徒歩での移動は結構あるらしいので、なんのためなのかいまいちよくわからない。
さてどうしたものかと悩んでいたら、それまで王都から一緒にやってきたソフィ母娘に声をかけられた。
母親のアイリーンの言う事には、帰ると言っていた村は国境検問所の村だった。
元々子沢山の家で、広さだけはあるから、おそらく掃除はしないといけないが、ウチで何泊でもするといい。ここからは家の荷馬車があるので一緒に行かないか。と誘ってくれたのだ。
お礼を言って業者台に並んで座り、今は道すがら身の上話を聞いている。
果樹園を営む家に生まれ、実家には薔薇が茂っており、植物を育てるのが得意だった。
10才にもなると、食い扶持を減らすために家を出され、下女見習いとして王都の貴族の家に住み込みで働くこととなり、しばらくしてそのウデを見込まれ、ガーデナーとして勤めていた貴族家の頭首が死んで、自分は辞める事になってしまった。というのだ。
化粧をしているが、顔に薄らと無数の傷があるのは女性だてらに庭師をやっている所以か。さほど気になるモノでもないが、メイドや侍女ではなく女性の庭師とは珍しいかもしれないない。とユリナは聞き役に徹した。
アイリーンが、10年以上音信不通だった実家に「戻っても良いか」と手紙を出すと、偶然にも「君の家の者はつい先日全員死んだばかりだ」と、幼馴染から返事があったそうな。
居間で一家全員亡くなっているのを、しばらく村で見ていないな。と心配し、家を訪ねた村の人に発見されたそうで、その後アイリーンの連絡先を知る人も分からなくなり、他の亡くなった人たちと一緒に、村の合同で葬式を済ませてしまったので、どうしたものかと思っていた矢先だった。
「どうしてなくなっていたのですか?」
「その日は急な寒さだったので、薪の用意が間に合わず、おそらく凍死しただろうと、手紙には書いてありました」
なんでも、他の家でも同じように外傷も無く人が亡くなっていたらしく、今季の寒さがいかに異常であるかを物語っていた。
「頼る家族が亡くなって、どうしようかとも思ったんですけど、母娘2人だけですし、家と畑がある田舎の方が、なんとかなるかと、帰郷することにしたんです」
アイリーンさんまっすぐ前を向いたまま言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
話をしているうちに年齢もそれほど違わないと聞いて、おかげで道中楽しくお話をしながら、国境検問所の村にたどり着くことができた。
馬を馬屋で労い「古い家ですけどどうぞ」と、家屋に招かれると、1人の男性が玄関の前に立っていた。
アイリーンが、驚いた様子で彼に駆け寄る。
ユリナは軽く会釈すると、何となく近づくのをやめて、聞き耳を立てながらソフィと景色を眺めていた。
久しぶりに会う幼馴染は、検問所の役人になっていて、今までこの家と馬の面倒を見てくれていたらしい。
今日は午前中はどうしても休みが取れず、自分が迎えに行くのは難しいから、昨日のうちに街に馬車の用意をしてくれていたのも彼だと言うことだ。
どうも、ご家族の安否確認の際、発見者の村人は、玄関扉を壊して中に入ったらしく、修理を後回しにして扉は壁に板で打ちつけてあったそうなのだ。「君が帰ると便りをもらってから修理をしたんだ」と幼馴染が言っている。
今日はこれから、引っ越しを手伝うと言っているようだ。
ユリナはすかさず、宿泊のお礼に家の掃除は私とソフィでしておくから、ほかにしなければいけないことがあればどうぞ。「ねぇ?」と、ソフィを見るとソフィも頷いたので、ユリナの申し出に「ではお言葉に甘えて色々物入りなので買い足してきます。なるべく早く戻ります」と2人は出かけて行った。
私、このままここに今晩泊まらせていただいても良いんだろうか。