出発・・・できない
泣き止んだハティの顔を拭いて、静かに遅くなった昼食を食べる。冷めてしまった紅茶と一緒に。
モソモソと無言で食事を済ますと、片付けて家の外に出た。
「出しっぱなしにするわけじゃ無いけど、一応、鍵をかけるね」
ユリナが、玄関扉に鍵をかけスペアキーを渡すと、ハティは、嬉しそうな顔を隠すことなく満面の笑みで鍵を受け取り「ありがとう」と素直に言った。
・・・ま、眩しい。
なぜだろう。物凄く自分が汚れた大人になったような老け込みを感じる。
ユリナは片手で目元を覆い「悔い改めます。勘弁してください」と呟いた。
例え良かれと思ってでも、気軽に嘘をつくのはやめよう。とチクチク痛む胸を抑えこんだ。
日暮まではまだもう少しあるが、今日のところはこのぐらいにして、石板と小屋を分けて、懐に蔵う。
「凄い」と素直に感嘆を述べるハティに、ユリナは「これで旅行中の夜間対策は万全だね」と笑んでおく。
2人は、森にある適当な物を採取しながら街に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
本来なら夕飯は外食するはずなのだが、さっき、遅い昼食を取ったばかりだ。
部屋に戻ってから小腹が空くのも嫌なので、気軽につまめる軽食を屋台で買って蔵っておこう。なんだかんだで、ストックがさっき焼いたスコーンしかない。
明日の午後からは、小屋の準備に加えて、食事の作り置きを用意する作業も追加しておこう。
きっと森や舗装されていない道なき道の徒歩旅行なんて、家に入る時はクタクタだ。慣れるまでは、料理なんてする気になれないことだろう。
夜間普通に家で寝られると考えたら、旅の支度など九割型終わったような物だ。
ハティじゃなくても、こんな世界では、暗くなったらさっさと寝てしまって、さっさと朝を迎えるに限る。
「・・・あ〜・・・ベットぉぉっ」
小屋に1人用のベットを置いたまま懐に蔵ってしまった。
スキル収納ってやつは、ものすごく便利でチートなスキルだが、収納時の状態のままでしか取り出すことができない。という欠点があった。
いや、欠点というほどのことではない。他の利点とは比べ物にならぬほど些細なことなのだけど、魔法やスキルってやつは、意外と細いところで不便を強いられるのだ。
いや、慣れなのだろうか。コレも所詮“練度”というやつの未熟さゆえのミスだろう。功夫が足りないってやつだ。
不可抗力であれきりだと思っていたのに、今夜も2人並んで、元々宿に設えてある大きなベットを使って寝るしかない。
ユリナはガックリと項垂れ、ベットに肘をつきもたれかかると、床の上に座り込んだ。
流石に部屋の中で小屋を出すわけにはいかない。いくら獣人用の部屋とは言え、石板すら並べられないだろう。
新たにベットを作り直すにしても、手頃な板材も無い。伐採した木材ならわんさかストックしてあるのに、加工材木、板材や角材などは全部使ってしまった。
ここで出せるか? でかい木を一本丸ごと。
「こんな風に、小屋ごと収納してしまうと、中の物が気軽に取り出せなくなっちゃう場合があるのよ。大丈夫? 何かすぐに必要な物とかない?」
「必要な物は常に身につけているが?」
「そっか〜コレに関しては私の方が迂闊だったか〜」
適当な一軒家を購入して、売り物にしようとしている[鍵]や[箱]の仕組みと同じく、亜空間を繋げる魔法を付与して[扉]だけ持ち運ぼうかとも考えたが、それは人目につくリスクが格段に上がる上、家のこまめな管理が必要になる。
しかも、まかり間違ってもその[扉]を他者に知られるわけにはいかない。
いくら常識がないユリナとて、移動手段が徒歩か騎獣の世界で、ノブを回すだけで転移移動ができる魔道具など、国のパワーバランスを一気にブチ壊すアイテムであることぐらい想像できるので自重した。
しかも、依存性の高い魔道具になる事必須の上、ユリナしか作れない「異世界人チート・亜空間干渉」アイテム。それこそ、幽閉されて生産奴隷待ったなしの、取り扱い要注意アイテムだ。
それを思えば、家を持ち歩くぐらいどうということもない。と、思っていたけど、やっぱり、不便なんだよなぁ。
「ごめん。ハティ。今日も同じベット使うことになるけど、諦めて」
「俺は、別に」
「良いの!?」
「え、俺、は、アンタが良いなら、俺は」
「ありがとう〜助かる〜」
ユリナは手を打って喜ぶと、遠慮なく窓の木戸を全開放した。
突然の事に驚いたハティは、それでも流石の反射神経で胸のボタンをプッシュする。
衣服は一瞬で胸のバックの中に吸い込まれた。
「オマエぇ〜っ」
「ハティっみて! ほら! 月! すごくキレイ!」
「・・・っ!」
グラデーションがかかる空を、切り抜いたようにぽっかりと浮かぶ白い夕月。
時が止まったように、ハティの目が釘付けになる。
月の光を浴びて、より一層キラキラと光る銀狼。
ステキだ。ハティには月がよく似合う。なんてキレイなんだろう!
ユリナはハティに抱きつき、モッフル!モッフル! と、撫でさすった。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
我に返ったハティは、目を細めてそんなユリナを眺め見る。
幸せそうで何よりだ。満面の笑みで口からヨダレを・・・
「っ!? わっ! バカ! オマエ! ヨダレはやめろっ! もう良いだろっ!離れろ!!」
「ジュルッ! もうちょっと! もうちょっとだけお願いします!」
「イヤだ! 早く窓、閉めろよ!」
「そんなに寝つき良くないもん! もうちょっと、あと10分!」
「ふざけんなよ!」
またしてもユリナは背中をハティに踏まれ、身動き取れなくなるのだが、このままではハティも動くことができない。
「閉めろ」「閉めない」を繰り返すこと10分が経過し、ハティが折れて背中から降りると、とうとうユリナにされるがままに撫でられている。
「オマエこれ毎晩やるつもりかよ」
「・・・毎晩お願いしても良いんですか?」
「・・・ダメに決まってるだろ」
ユリナが渋々窓に向かうと、ハティはやれやれとベットの上に乗り、毛布の中に滑り込む。
ユリナはついたてを懐から出すと、ベットの前に置いて、部屋のランプの火を消した。
エプロンを外してパシパシとふるい〈浄化〉の魔法をかけて懐に蔵う。
コルセットベルトを緩めてジレを脱いだら、こちらは明日も使うので、丁寧にシワを伸ばしてついたてにかけ、上にベルトも乗せる。
ワンピースを脱いで〈浄化〉をかけてから懐に蔵い、ふと、窓の外の月を見上げる。
そう言えば、家を出た日もこんな格好だったなぁ。
ダボついたズロースと、ペラペラのキャミソール。
リリアーヌが持っていた、フリルとレースがモリモリのネグリジェもあるのだけど、寝るのに邪魔なので、厚手の木綿平織り生地で作った、貫頭衣にかろうじて袖がついたようなナイトウエアを愛用している。
これなら前の世界のパンツとブラでも問題ないかもしれない。
この機にネグリジェはブラとパンツに全部変えてしまおうと思いたち、懐から数着のネグリジェと下着類を出すと「錬金錬成」と、瞬く間にパンツとスポブラを作り上げた。
華美な装飾は省いたので、レースがだいぶ余った。後でリボンにしよう。
凄くスッキリした。ナイトウエアをかぶって、やっと窓の木戸を閉める。
ついたての向こうでは、銀狼がベットの上で寝息を立てていた。
なんて寝つきの良い事でしょう。
ユリナはそそくさと毛布に入り、背を向けている事だし。と、遠慮なく大きな銀狼に抱きつく。
毛皮はその元の持ち主が生きていてこそ。と、その素晴らしく艶々の毛皮に頬擦りしながら、たっぷりと深呼吸してその香りを堪能した。
犬科の獣最高。大型の犬科獣との生活万歳。
その規則正しい寝息と、天日干しした布団のような香りに誘われ、ユリナもあっという間に微睡の中に落ちていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の日から、朝目覚め身支度を整えると、ハティが買って来た朝ごはんを一緒に部屋で食べ、工房へ向かいがてら、パン屋で焼きたてのパンを買う。
パンは、毎日バケットとカンパーニュを5つ注文で作ってもらっているので、お休みの日を除いて毎日買い、亜空間収納に蔵っておく。自分で焼いたりもするだろうが、時間停止・無限収納のおかげで、いくつあっても良いので買える時に買っておく。
ここのパン屋は、酸味が無く、ハードパンの皮がパリパリとしていてとても美味しい。
工房についたら、午前で指導の仕事を終えると、そのまま森に向かって小屋を出し、ひたすら料理や家具を作り、店の商品開発に励んだ。
日が暮れる前に街へ帰りがてら、採取をして宿屋に向かう。
夕飯もここで作ったものを宿屋で食べるようになった。もういっその事この小屋で過ごしたいところなのだが、ユリナのスキルの事は極力隠しておきたいので、アリバイづくりのためにも宿屋を利用する。
何のための匿名登録か。自らバラすようでは、骨を折ってくれている公爵様や商人の方々に申し訳ない。本末転倒にならないように、十分に気をつける。
そんなこんなで、日々のルーチンが固まって来た頃、約束の1ヶ月はあっという間に過ぎてしまった。
職人達は、もはやユリナが作るアイテムと遜色無いクオリティで商品を作り、簡単なウォード錠や、複雑なシリンダー錠の他に、和錠や南京錠なども作り出せるようになっていた。
いやはや、職人とは恐ろしいものだ。今はピンタンブラー式のシリンダーキーだが、ディンプルキーに辿り着くまであっという間だろう。後は各自各々で研鑽を積みたまえ。
ユリナは、お世話になった商人や工房の親方やおかみさんにお礼を述べ、職人達に別れを告げて、ようやく[国境検問所の街 東]を旅立つことになった。
すっかり顔馴染みになった門番にも手を振り、街壁の外に出たところで立ち止まって、さぁどうしようか。とハティに相談する。
「街の近くの森で夜営の練習もしてみたかったけど、もう先に進みながらで良いよね」
「そうだな。どのぐらい進めるかわからないし、キリがないだろう」
「そうよねぇ1日どのぐらい進めるのかしらねぇ頑張るけどさぁ」
とりあえず一歩踏み出さないとないとね。
ユリナは覚悟を決めて地図を開く。
すでに最短ルートが設定されていて、森や草原を通ることになるが、気温差と高低差の少ないルートにしてもらった。
[トレハンツ獣王国]は大陸の南側に位置するので、平地なら氷点下になる事は滅多にないし、雪も降らないので助かる。
王都まで3つの関所を通り、王都からは、5つの関所を通過したら目的地の[ヴェストラン]のある[国境検問所の街 西]だ。
当然通り過ぎるだけの領地もあるが、関所の最短距離ルートなので問題ないらしい。
「あれ? 東の端から、王都通って、西の端に行くって、これ冷静に考えたら[トレハンツ獣王国]横断するってことじゃん?」
「そうだな」
「徒歩で国横断するとかないわーーーーー!!」
「まだ一歩も進んでない。その間に少しでも歩けばいいのに」
ハティが「ほら、行くぞ!」と西に向かって歩き出す。
「ゆっくりね!? まずは嫌になっちゃわないようにゆっくり行こう? ね?」とやっと歩き出すが、まだウダウダ言っているユリナに、一体到着がいつになる事やら。と先を思って軽く目眩を感じるハティだったが、それでもユリナの歩調に合わせて、2人で並んで前に進むのだった。




