さよなら リリアーヌ・セラフティナ
「アナタ、何不自由無く育ててもらっておいて何を言ってるの?」
・・・なんだと?
妹、フィオナの卒業を家族で祝おう。と、王城から呼び戻されたリリアーヌは、食後の応接室で告げられた母のその一言に、ひどいショックを受けた。
お祝いと言っても食事は普段と同じものだったし、特別なこともなく晩餐は過ぎた。
後は寝るだけとなり、いささか肩透かしをくらったような気持ちで、自室に篭っていたのに、その後呼ばれ向かった応接室のソファーには、この国の第一王子が高らかに足を組んで座っていた。
それではさぞかし立ち上がる時に苦労するだろうに。
因みに彼は、リリアーヌの生まれた時からの婚約者でもある。
どうゆう事かと視線を向けると、その身にしなだれかかっていたフィオナが「サプラぁ〜イズ」と満面の笑みを向けるしまつ。
良い年して貴族としてのマナーとか、人としての常識とか、色々ツッコミどころはあるのだが、口角はそのままに背筋を伸ばしたリリアーヌに、婚約者は笑顔を返して言った。
「やあリリアーヌ、私は君の妹のフィオナと結婚する事にしたよ。君との婚約は破棄させてもらう」
「ごめんなさいお姉さま! 私達は真実の愛を知ってしまったの!」
そう言えばフィオナっていくつだったかしら? そんな事を考えながら、リリアーヌが、表情も変えず無言でいると、沈黙に耐えられなかったのか母親が口を開いた。
「リリアーヌには、代わりにこの家を継いでもらう婿をとることにしたの」
そう言って何某伯爵だかなんだかの名前をあげると、フィオナも喜び声をあげる。
「まあステキ! あの有名な金貸し貴族様じゃない! これでうちもますます安泰ね!」
なるほど。金で売られるのか。冗談じゃないな。
「そんな、急に言われても、私には一体何が何だか。とりあえず問題は1つずつ解決していきたいのですが・・・」
リリアーヌが吐き出した自分の思いに、冒頭の母の言葉が降ってきたのだ。
「アナタ、何不自由無く育ててもらっておいて何を言ってるの?」
リリアーヌは、その言葉に目を見開いて母親を見た。
“婚約者”と“妹”の言葉には「何言ってんだコイツらは?」としか感じなかったのに、母の最後の一言には、ワナワナと震えがきて、恐ろしくなるほど怒りが湧いてきた。そして気づいた時には声に出してしまっていた後だった。
「ゥオィ! 私の人権どこよっ!?」
思いのほか、大きな声が出たな。と。
「ジンケン!?」
驚いた母が、椅子から立ち上がり後ずさる。
そんな事も解らんのかこの人は。と、リリアーヌはがっかりしたが、それよりも自分の口の悪さに驚いた。
叫んだのも人生で初めてじゃなかろうか。と、自分の身体が青白く光を放ち、髪や、ドレスのフリルが、音も無く浮きゆらいでいる。
「り、リリアーヌ、どうしたんだ? 落ち着きなさい」
「お姉さまっ火がっもっ燃えていらっしゃるわ、魔力暴走っ!?」
つい今し方「真実の愛を知った」と、目の前でベタついていた自分の“婚約者”と“妹”が、応接室の中央にあるローテーブルから離れ、ジリジリと距離をとりつつ、恐怖に慄き引き攣った顔でこちらをみている。
扉の前に立つリリアーヌは、握っていた自分の両手を グーパー と開いて確認するが、別に熱くも痛くも無い。燃えているのとは違うと思うが、確かに全身が青い炎に包まれている。
「スーパーサイヤ人みたい・・・ん? スーパーサイヤ人って何よ?」
そう呟いた瞬間 パチン! と音をたてて目の前で何かが弾けて消えた。
全部、思い出した。
リリアーヌは、一瞬で落ち着きを取り戻すと、物心ついた時から15年間、内臓を締めるコルセットに、物の取りずらいオペラグローブに、それこそ日々ハイヒールの靴に血が滲むほど鍛錬してきたこれまでの王妃教育の集大成とばかりに、完璧なカーテシーを披露する。
その美しさに、息を呑むオーディエンス達に、ニッコリと、後光すら感じる微笑みを向け言い放った。
「婚約破棄を受け入れます。書類はお持ちですか?」
そして履いていたヒールを ポイッポイッ と脱ぎ捨てると、腕を脱力させ トーン トーン と2回ジャンプした。
「お姉さまっ!?」
「リリアーヌ!? 何やってるの!?」
「いいからさっさと契約書を出せよっ」
リリアーヌは、首と肩甲骨を回して、左手首を揺らし、右手の人差し指と親指をこすりながら、王子の後ろに控えていた従者に書類の提出を促す。
凄まれた従者は、慌ててトレイごと書類を差し出した。
ここにいる人間の言動を、完無視すると決めたリリアーヌは、受け取った書類にざっと目を通す。
そこには、この婚約を認めた神の名のもとに、神殿長の名前と、向こうのご両親である国王と王妃の名前と、こちらの両親であるセラフィナ侯爵と侯爵夫人の名前があった。
王子は『婚約破棄』と言っていたが、書類の文面にはリリアーヌに不利になる文言は一切なく、お互い与え合った物は返す必要が無く、お互いが失った時間は補う必要も無く、お互いが交わし合った約束は全て反故無効にする。
むしろ、それまでの2人の婚約を今後一切無かった事にする為に婚約証明書を燃やす。と、この紙切れへのサインは、ただそれだけのシンプルな《神聖契約》上の儀式だった。
あぁ、そうなのね。ご丁寧に、自分以外の必要な手続きはもうすでに済ませてあるのね。
「アナタ、何不自由無く育ててもらっておいて何を言ってるの?」
リリアーヌの頭の中で、母親の言葉がリフレインする。
ならばなぜ、自分はこの15年間、国民の為に。と、いったい何をさせられていたのだろう?
なぜ自分は、ついさっきまで、いつもと変わらず登城して、王子の尻拭いをさせられていたのだろう。
なぜ、この後に及んで、微笑みを絶やさずこの場にいなければならないのだろう?
ノブレスオブルージュ? 誰のための?
「アナタ、何不自由無く育ててもらっておいて何を言ってるの?」
母親のこの言葉で、リリアーヌは、今まで自分を殺して他者の為に生きてきた人生を、この瞬間明確に否定されたと理解した。
殺意にも似た怒りが湧き上がってくるのに、全て投げ出して泣き出してしまいたい気持ちが溢れてくるのに、これまで自分が受けてきた王妃教育がその一切を許さないでいる。
それはまるで強い呪いのように。
リリアーヌは、右手を顔の横に持ち上げると、ギュルッ と乱暴に拳を握る仕草で手首を回し、正式な神聖契約証明書類作成用の羽根ペン《神聖契約のペン》を空中から掴み出すと、王子の名前の下の空欄いっぱいに、大きく自分の名前をサインした。
書類は、青い魔法の炎に包まれ、燃え上がる。
コレで、ウハインハイツ聖国第一王子と、セラフティナ侯爵家令嬢リリアーヌ・セラフティナ 2人の婚約関係は破棄された。
するとどうだろう。詰まっていた鼻の通りが良くなったかのように、途端に呼吸がしやすくなった。
身体が、羽が生えたように軽く、視界も明るくクリアに見える。
大丈夫。この体はよく動く。リリアーヌは、大きく深呼吸して気合いを入れた。
「それではみなさまごきげんよう」
その言葉を合図に、父親のいるであろう執務室へダッシュで逃げた。
後ろで何か言っているが知らん。
リリアーヌは、おそらく自分を呼び止めているのであろう声を無視して走る。
貴族は走らないらしいから、あの3人達が追いつくことはないだろう。
王子の従者と護衛は王子から離れて追ってこないだろうし、ウチの誰かが追って来たなら組み伏せ、返り討ちにしてやろう。
そう思いながら〈身体強化〉の魔法をかけて、身を低くして廊下を走る。
今まで暮らしていた家の中を、こんなふうに長いスカートをたくし上げて、足を上げて走るなんて初めて!
ちょっと感動しながら、階段を跳ねるように駆け上がり、2階に上がって自室によって、踵の低い靴を選んで履くと、部屋の中のものを、一切合財余すこと無く収納魔法で懐に蔵う。
そのまま、反対側の廊下を走ると、ノックもせずに執務室の扉を開け放った。
メイドとよろしくやっていた父が驚いてコチラに目を向ける。
仮にも、娘の婚約者が家に来ている日に、部屋に鍵もかけず、いったいこいつは何やってるんだ。
半裸のメイドが床の布をかき集めているのを一瞥して、口をパクパクさせている父親に、呆れ顔のままリリアーヌは詰め寄った。
「廃嫡して下さい。今すぐ」
リリアーヌはそう言って、なぜかそれだけバカ丁寧に椅子にかけてあるメイド服を拾い上げ、検分すると汚れてない事を確認して、一応〈浄化〉の魔法をかける。
「んな、な、何を言っているんだ!?」
「廃嫡してください。この家を出て、1人で生きていきます。ご安心ください。このまますぐに出て行きますし、もう2度とこの家に関わる事はありませんから」
かろうじて足に引っかかっていた下着をたくしあげ、粗末な物を隠そうと尻を向ける父親を気にせず、リリアーヌは執務机の上にあった紙を引っ掴むと、《神聖契約のペン》を出して、日付と適当な文言を書き連ねる。
「宣告 リリアーヌ・セラフティナ 家長に重大な侮辱を加えた罪により、本日を持って廃嫡とする」
書類を父親に突きつけると「ペンをどうぞ。急がないと人がきますよ」そう言って足元の脱ぎ散らかされた汚物を踏みにじってみせた。
父親は、真っ赤な顔をして砕けんばかりに歯を食いしばるが、無言でサインをするしかほかにとれるすべもなく。
リリアーヌは、受け取った正式な書類を魔法で複製して、原本を懐に蔵うと、複製した書類に〈品質保護〉の魔法を掛けながら、踏んでいた服を足で“セラフティナ侯爵様”に蹴りわたした。
侯爵が慌ててその服を引っ掴み、身につけようともがく最中、リリアーヌは「それでは侯爵閣下、お世話になりました」そう言ってちょこんと膝をおる。
大丈夫。この身体はよく動く。考える前に動けるだけ動くんだ。先に進め。足を止めるな。鼓舞するように腕を振って足を前に出す。
考えるのは後で良い。今は、ただ前に進めっ!
リリアーヌは、グローブとドレスを脱ぎ捨てながら、執務室の窓を開けテラスに歩き出た。
空はすっかり夕闇が落ち、農地では小麦の種をまいたばかりだと言うのに、肌を刺す空気は痛いほど冷たかったけど、見上げた月が驚くほどキレイで、これまでの自分の状況も、たった今の現状も忘れて、ほんの一瞬、うっかり見惚れてため息を漏らした。
「リリアぁぁぁーヌっ!」
侯爵夫人の金切り声で我に返る。
淑女は叫ばないんじゃ無かったか?
名前を呼ばれたリリアーヌは、舌打ちと共に先ほど拾った黒いメイド服を身に被り、コルセットの紐を魔法で焼き切ってスカートの下から引きずり出す。
火力を強めて一瞬でそれを燃やし火が消えるまで眺めると、灰を足で蹴り散らして フーッ と息を吐いた。
そして手すりを越えてテラスから飛び降りると、庭を抜け侯爵邸を囲む鉄柵もひと蹴りで飛び越え、誰にも追いつかれる事なく、そのまま走って闇夜に溶けて消えた。
呆然と窓の外を見つめる侯爵を残して、メイドが半裸のまま執務室をゴキブリのように這って出ていくと、しばらくして、侯爵夫人とそのもう1人のご令嬢が、元姉の元婚約者と従者護衛達を連れだって執務室にやってきた。
「リリアーヌはどうしたのですかっ!?」
夫人の問いかけに、侯爵は机の上の書類を指して答えた。
「廃嫡した。出て行った」
速やかに神殿へ納めなければならない書類を手に「どうゆうこと!?」と、金切り声を上げる夫人を誰も気にすることなく、床に脱ぎ置かれたドレスを手にしたフィオナ嬢が「まさか身ぐるみ剥いで追い出したのっ!?」と声をあげて笑ったが、侯爵は「知らん!」と怒鳴ると、続く寝室へと入って バタン! と大きく音をさせ扉を閉めた。
廊下にとり残されたこの国の第一王子とその従者達は、そんな侯爵家一家を、ただぼんやりと眺めていた。




