おもちゃの約束手形は明日へのパスポート
家紋武範様主催の「約束企画」参加作品です。
少年は軽やかに自転車にまたがると、力強い立ちこぎで走り出し、あっという間に視界から消えた。
その姿を見送った母は思う。
(わが息子ながら見事に育ったもんだ)。
息子の後ろ姿を目で追うのは母である自分だけではない。あちこちにわが息子に熱い視線を送る純情乙女たちの気配を感じる。
(アオハルだ)。
母は思う。
(しかし、すまん。乙女たちよ。わが息子は……)。
◇◇◇
学校に着くと少年はいつものとおり自転車置き場に自転車を置くと、待ち構えていた一人の少女が自らを奮い立たせ駆け寄ってくる。
「こっ、こっ、こっ、国分先輩、いっ、いっ、いつも見てあっ、あっ憧れていました。わっ、わっ、私で良ければ、おっ、おっ、お付き合いしていただけませんか?」
少女は震えながらも真っ直ぐに少年の目を見据える。
(いい子だな)。
少年は思う。
(不器用だけど真摯で一生懸命で。きっといろいろ道を間違えたりもするけど、修正できる素直さも持っている。だけど……)。
「ごめん。気持ちは嬉しいけど、君とは付き合えない」
少女の両目から涙があふれ出す。それでも気丈に次の言葉を継ぐ。
「わっ、私では駄目なんですか? わっ、私のどこが駄目なのか教えてくださいっ! すぐ直しますっ!」
その言葉に少年は静かに微笑む。
「違うよ。君は駄目じゃない。ただ、僕には……」
「……」
「好きな人がいるんだよ」
◇◇◇
一人の少女の勇気ある行動から、学校一女生徒からモテる少年国分義季に好きな人がいるということが判明。
そのことは当然に「では好きな人とは誰なのか?」という次の疑問を発生させる。
またも別の勇気ある少女がその疑問を少年にぶつけてみたところ、少年は微笑を浮かべながら、「僕と同い年の女性だよ」と答えるだけだった。
この回答により一部の層から期待されたBL疑惑は消滅した。しかし、「ではその同い年の女性とは誰なのか」という更なる疑問を発生させるのはこれまた当然のことであった。
しかし、今度は少年は何度勇気ある少女たちの直撃質問を受けても魅惑的に微笑を浮かべるだけで何の回答もしなかった。
そのことが告白を出来ないでいた少女たちに淡い希望を与えてもいた。つまり「好きな人とは自分のことかも」と。
そんな思春期の特権のような業のようなものを周囲に漂わせつつ、少年は周囲に誰もいないことを確認してから、ポケットから一枚の紙切れを取り出す。
それは古いボードゲームの付属品「約束手形20000」と印刷された一枚の紙。大事なものだから紛失しないようパウチしてある。
少年はおもちゃの「約束手形」の裏を見る。何やら書いてあるようだ。
そして、少年はそれをしまいこむと独りごちた。
「あと一年ちょっとか」
◇◇◇
その一年ちょっとは瞬く間に過ぎた。
少年は十八歳になり、高校も卒業式を終えた。
卒業式は多くの少女たちの「卒業式の日に国分くんから告白される」という夢を砕いたが、少年は淡々と学校を後にした。
「おかえりー」
母はいつものとおり自然体の明るさで息子を迎えた。
「ただいま」
少年もまたいつものとおりの淡々と返事をした。
「でさー。卒業式の終わった後、また私のところに先生から電話あったわ」
「ふーん」
母の言葉にも少年はいつものとおり冷静だ。
「で、あれ言ってくれたんでしょ?」
「ああっ、言った言った。『うちの息子はかねてから申し上げていますとおり、進学も就職も浪人もせず、高校卒業後、世界無銭旅行に旅立ちます』って言った」
「うんそれでいい。ありがとう」
「そんでまた言われた。『失礼ながらお母さんはそれでいいとお思いですか? 息子さんの将来が心配じゃないんですか?』って言われた」
「で、いつもの答言ってくれたんでしょ?」
「ああっ、言った言った。『先生も御承知のとおり、うちの息子はこうと決めたら、梃子でも動きませんから』って。そしたら『また電話します』って言って切られた」
「ああ、ありがとう」
「いやでもさ」
◇◇◇
ここで母の口調は少し重くなる。
「私は、あんたのことだから十八歳で世界無銭旅行なら平気でこなすと思っているよ。だけどあの娘。アールヴちゃんは本当に来るのかねえ」
「来るさ」
ここで少年は初めて笑顔を見せた。
「『約束手形』もらっているから。ほら『二人とも十八歳になったら迎えにくるから一緒に私の国に行こう アールヴ』ってエルフ語で裏書きされている」
「その話はもう何べんも聞いたけどねえ」
母の口調は重いままだ。
「それは十年以上も前の約束でしょう。あの娘。アールヴちゃんは本当にいい娘だったけど、そんな昔のこと覚えているかな?」
「覚えているさ」
少年の笑顔は変わらない。
「他の女の子はどうだか分からないけど、アールヴは覚えていて、必ず約束を守る。そういう奴なんだ」
「そうは言ってもねえ」
なおも心配する母を遮るかのように少年は今日一番の眩いばかりの笑顔を見せてこう言った。
「ほうら来た」
「!」
その視線の先には同年齢の人間に比べると遙かにその身体が発達した一人のエルフがはにかみながら立っていた。
◇◇◇
「あ、あのな。ヨシキ。これ」
エルフは少年が持っていた「約束手形20000」の裏書きを見せた。
「二人とも十八歳になって、アールヴが迎えに来たら、一緒にアールヴの国に行く 義季」
それを見た少年は大きく頷いた。
「うん。待っていたよ。アールヴ。一緒に行こう」
その言葉にエルフの両目からはあふれんばかりの涙が流れ、少年に向かって突進すると、その手に抱きしめた。
「よがっだー。よがっだー。ヨジギが覚えでながっだら、どうじようがど思っだー」
「モゴモゴモゴ」
少年は返事しようとするがエルフの巨大な胸に顔を覆われ、言葉にならない。
その光景に母は苦笑するしかなかった。
「アールヴちゃん変わってないねえ。体の方がすっかり大人だけど」
◇◇◇
「「お兄ちゃん。行っちゃうの?」」
少年の幼い弟妹は声をそろえて慕う兄を見上げる。
少年は笑顔で返す。
「ああ、行ってくる」
「兄ちゃんがいなくなると寂しいよ」
「もう帰ってこないの?」
少年はぽんぽんと弟妹の頭を優しくたたく。
「行ってくるが、また帰ってもくる。いつになるかは分からないけどな。だから二人とも元気で待っていろ。そうだ」
少年はまだ持っていた「約束手形20000」の裏に書き込む。
「アールヴと一緒に必ず帰ってくる 義季」
不思議そうな顔で「約束手形20000」の裏を見つめる弟妹に少年は言う。
「この約束手形の裏書きは必ず守られるんだ。だから安心して待っていろ」
なおも不安そうな弟妹の肩を今度は母が優しくたたく。
「何て顔してんだい。ここは大好きな兄ちゃんを笑って送り出してやんな」
その言葉に弟妹は笑顔を見せる。
「兄ちゃん行ってらっしゃい」
「お土産忘れないでね」
「おうっ、忘れないぞ」
最後に少年に向かって声を張り上げたのは母だった。
「行ってこい。馬鹿息子。約束手形はもらったからな。必ず帰ってこいっ! 帰ってくる時にはハーフエルフの孫連れて来いっ!」
いくぶん衝撃的な母の言葉に少年は一瞬たじろいだがすぐに笑顔に戻った。
「うん。行ってくる」
そして、少年はエルフと肩を並べて、去って行った。
それを見送る弟妹は何とか涙をこらえていた。だが、母からは一筋の涙が流れてしまっていた。
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