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日々の泡

作者: 川端マルタ

 県の木ヤマモモ、県の花すだちの花、県の鳥シラサギ。


 一月初旬の某日、僕は十八年とちょっと生きてきて今まで全く縁もゆかりもなかった県のウィキペディアとにらめっこしている。


 発端は今日の昼休み。卒業旅行したいよねとアキが提案して、それで行くならどこにしようかという話になったときにエリが、


「米津玄師が紅白で歌ってた美術館に行ってみたいな」


と言い出した。それにタロウが反応して、二人で紅白の話で盛り上がり始めると、僕は大晦日例年通りガキ使を見ていたものだからその中に全く入って行けずかなり歯がゆい思いをした。午後の授業どころか放課後の予備校の講座すら殆ど上の空で過ごし、センター試験を間近に迎えた受験生がこのような調子で良いものかとチラッと片隅で思わなくもなかったけれど、でも心のその他大部分をエリが占めていてそれはどうしようもないのだ。だから、少しくらい息抜きも必要だろうと言い訳をこしらえ、僕は学習机から離脱してベッドに寝っ転がると、暫定的に行くことが決まった徳島県について調べ始めた、という次第である。


 エリの言っていた大塚国際美術館は鳴門市にあり、どうやら陶板複製画を中心とした展示が特徴らしい。だから、インターネットで検索すると出てくる画像も理系志望で元来芸術に興味の薄い僕にはちょっと豪華なサイゼリヤのようにしか思えない。


 と、そんな折にアキから個人LINEが送られて来る。


『ねえ、ホントに徳島でいいのかな?』


 僕は二三分寝かせてから何食わぬ顔で「どうして?」と返す。女子相手だと何だかすぐに既読をつけるのはちょっと恥ずかしいことだった。


『だって、徳島って何もなさそうじゃん』


「そんなことないよ」


『行ったことあるの?』


「ないけど」


『何だよ』


「でも何もないって言ったら失礼じゃないかな」

「ちゃんとそこで生まれ育って暮らしている人たちがいるんだし」


『確かにそれはそうだけど……』


 会話がひと段落ついたので、気を取り直して僕は調査を続行する。鳴門市は他に渦潮が有名らしく、渦潮と聞くと教養のない僕なんかは真っ先にポケモンの技を思い浮かべてしまうのだけど、世界遺産登録を目指した取り組みがなされていたり、歌川広重の浮世絵になっていたりと、どうやらこれも、もう少し格式高いもののようである。鳴門の渦潮と検索するとYouTubeの動画がヒットし、見ると画面越しでも不安になるくらいの迫力だった。きっと人の心の恋模様を可視化するとこんな感じなのかもしれない。動画だけで充分満足してしまったから、旅行をする意味って一体どこにあるのだろうと考えたくなってくる。


 一つは動画にはならない雰囲気を味わうことにあるだろう。異国情緒というやつだ。そしてそれを生み出しているのは他でもないその現地で生まれ育ち、暮らしている人たちである。二つ、自分の生活からの逃避も考えられる。僕たちは受験が間近に迫っているというのに卒業旅行の計画なんぞ立てているが、見方を変えれば受験が間近に迫っているからこそ卒業旅行の計画を立てているのである。三つ、……旅行は好きな人と一緒の思い出を共有するための口実を与えてくれる。ここで言う好きな人とは、何も恋愛的な意味合いに限らない広義のものだ。


 タロウが画像を送信しました、と、不意に画面に表示される。そしてそのすぐ後で、


『何でこれ1/2じゃなくて2/3になるのかどう考えても納得できないんだけど〜』


 面倒くさいから気付かないフリをしたいところだが、きっと僕が返信しなかったらアイツはエリにLINEを送るだろう。それはそれで腹立たしい。だから、


「確かに条件付き確率的に考えると一見1/2に思えるけど、じゃあ例えばここで扉の数を100枚に変更して、司会者が残り99枚のうち98枚のハズレのドアを開けて見せたとしても確率は1/2に感じるかな」


と、送るとその五分後、


『あーなるほどね、あんがと』


と、返って来た。


 何故ちょっとインターネットで調べれば分かりそうなことをわざわざ訊くのだろうと思うが、それは言わずにテキトーなスタンプを返しておく。面倒くさい気持ちもありながら、でも頼られて悪い気がしないのもまた事実なのである。これがタロウのズルいところで、そして僕には決して真似出来ないから、羨ましく思う。僕にはどうも物事を理屈っぽく考えてしまう癖がある。赴くままに動くことが出来ない。自分がこう言うことで相手はどう思うだろうかと考えてしまう。もしくは相手が僕のことをどのように見ているかを考え、そのキャラクターに依拠した発言をしてしまう。それが一番リスクがないからだ。僕はただちょっと勉強が出来るというだけなのに、周りは僕に優等生的な意見を求めているような気がする。これはもしかすると気のせいなのかもしれないけれど、でも結局、僕は勉強が出来るから、優等生を演じるのは精神的に疲れるようでその実とても楽だ。そうする限り大きな地雷を踏むこともないのだから、僕はつい演じることを選んでしまう。


 でも、例えば恋に落ちたときなど、マニュアル化されていない事態が起きた時にはそのツケを支払うハメになる。恋は人を凶暴にさせる。周りの男はみんなライバルに見えてくるし、また、相手のことを恋しさ余って憎さ百倍に思う瞬間も多々ある。そうして誰かと恋人になるということは、それだけその特定の個人と深い関係になることに他ならなず、それは優等生でいられなくなるということに等しい。何故なら、優等生というのは誰のことも特別扱いしないことと同義だからである。だから僕は、タロウがエリと親しげにしていると嫉妬する癖に、自分からは何らアクションを起こそうとしない。少なくとも平時では絶対に無理だ。吊り橋効果を期待して、如何にしてエリとかずら橋の上で二人きりになるかという、実現性皆無のシミュレーションを何通りも頭の中で思い描いては寝返りを打つ。その内に悶々とし始めた僕は、ついに起き上がると阿波踊りを踊り出す。



ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ

ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ


阿波の殿様 蜂須賀さまが

今に残せし 阿波踊り


阿波はよいとこ 蜂須賀様の

お威勢踊に 夜が明ける


顔は見えねど 編笠越しに

主を見初めた 盆踊り


ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ

ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ

踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら

踊らにゃ損々



 ひとしきり踊り、汗をかいたからシャワーを浴びた。リビングでテレビを見ていた母親から少し不審な顔をされた。僕は三時間前にも風呂に入っているのである。髪をドライヤーで乾かし、ついでに歯も磨いて、もう今日は何をやってもダメなんだろうと潔く眠りに就こうとして、目覚ましをセットしようとスマートフォンに手を伸ばすと、エリから個人LINEが届いている。


『ねえ、まだ起きてる?』


「バリバリ起きてるよ」


『そっか笑』


「LINE送ってくるの珍しいね!」

「どうしたの?」


『うん、まあ相談というか』


「相談?」


『やっぱ相談とはちょっと違うかも』


「えー、何だか気になるよ笑」


『あのさ』

『タロウってわたしのことどう思ってるんだろ』


「あいつとそういうの話したことない」


『ごめん笑』

『たしかに笑』

『二人がそういう話で盛り上がってるの』

『全然想像できない!』


「でしょ!」

「エリはタロウのことどう思ってるの?」


『好き』

『って言ったらどうする?』


「びっくりする笑」

「いつから?」


『自分でもどう思ってるのかまだはっきりしてなくて』


「うん」


『やっぱりタロウとはすごく好きなものとか合うし、話してて楽しいんだけど』

『でも同じくらいアキやケンタのことも大事に思ってて』

『もしわたしとタロウがそういう関係になった時、二人と疎遠になったら嫌なんだ』

『わたしすごくわがまま言ってるね』


「一つ言いたいのは」

「僕らは絶対、そんなことで疎遠にならないよ」

「むしろ全力で応援する」

「だからもし僕らに気を遣って自分の気持ちを押し殺してるなら悲しい」


『やっぱケンタって優しいね』

『自分の気持ちがまだわからないのはほんとなんだけど』

『でもありがと、楽になった』


「大したことないよ笑」

「おやすみ」


『おやすみなさい』


 スマートフォンの電源を切るとそれを枕元に放り、僕は寝巻きの上からダッフルコートを羽織って家を出る。門前でオリオン座くらいしか分からない冬の空を見上げ、一度腹の底から大きく白い息を吐いた。そうして、その白がまだ空気に完全に溶け込まない内にもう、一心不乱に西へ西へと駆け出していた。夜が決して明けないように。僕の元へ、明日というものが永遠に訪れないように。瞳から零れ落ちる涙を置き去りにしてゆくにつれ心は段々軽やかさを帯び始め、街を抜け、県境の川を渡る。景色は移ろい、都市的なものを離れ野生的なものに近づいてゆくと夜はいよいよ力を増す。ついに月明かりも通さない原生林に至ると、僕はふらふらとあちこちにぶつかるものだから、身体中から恐らく血を流している。恐らくと言ったのは、真の暗闇の中では自己とその他の区別はつかないからで、それどころか過去と現在と未来すらぼんやりと混じり合って、従っていま自分は夢の中にいるのだと気付いたからだ。夢と現実は地続きの世界であることを知った。第六感的なものを頼りに何とか林を抜けた頃にはもう自分がどうしてこんなことを始めたのかはとうに忘れていて、ただ次の林を越えることだけ頭にあった。


 その旅路の途中、()()()()、後ろ髪を引かれるような思いに駆られて、振り返った。すると随分遠くの方で富士が噴火しているのが見えた。黒い煙が山頂からモクモクと天に昇って、あたかもそこから夜が生まれているみたいだった。自分の故郷は大丈夫だろうかという不安が胸をかすめるが、物事はなるようにしかならず、僕は僕のやるべきことをやるしかないのだと持ち直すとまた、歩を進める。


 幾多の峠を越え、疫病で荒廃した都を通り抜けたあたりから急速に時代は文明へ向かって流れ始め、或る時僕の前に煌びやかな摩天楼が現れると、それは五十年後の神戸港であった。そこから豪華客船に乗り込もうとしたがお金が足りず、途方に暮れているところへ天蓋を被った僧侶と出くわし意気投合する。彼はこれからお遍路へと向かうらしい。行き先を問われ、返答に窮していたらいつの間にか彼の旅路に同行することになっていて、県道を通って淡路島へと渡る。道中、この島は南北に長いのか東西に長いのかで議論になったが、結局答えは出ないまま僕たちは鳴門海峡まで至った。さあ行こうと言って僧侶が指し示す、その方を見て僕は唾を飲む。何故だか大鳴門橋は蔓橋に置き換わっていたのだ。僕たちは一歩一歩慎重にそれを渡っていたのだけど、でも、そこでタイムリミットは来てしまった。


 強烈な光を背中に感じ、思わず二人揃って振り返った。そのコンマ一秒後に僕は、さっき、旅路の途中で振り返ったのは一度だけだと記述してしまっていたことを思い出した。つまり、僕は自分の長い旅が此処で終わったことを理解した。地平線から顔を僅かに覗かせている太陽の、強いオレンジ色の光は蔓を瞬時に焼き払った。海に投げ出された僕はそのまま渦潮に吸い寄せられて、助けを呼ぼうにも声が出ず、そのまま泡になる。


 目を覚ます。主に背中を中心に今日はひときわぐっしょりと汗をかいていて甚だ不快である。僕はまずシャワーを浴びて、スッキリすると一時間ほど今日の予備校の予習内容を確認する。母の呼ぶ声がする。リビングに向かうとテーブルの上に朝食が並んでいる。それを十五分で食べ終えると、いよいよ学校へ行く支度をし始めて、八時に家を出る。学校までは自転車をこぐこと二十分で至る。門の前でタロウと出くわす。彼は僕の姿を一目見るなり気怠げに微笑んだ。


「おはよう」


「ああ、おはよう」


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