第九話
海沿いにあるのどかな街。魚漁業が盛んで、出雲の父親も漁師であった。
裕福でもなく、ごく普通な家で生まれ育った出雲は、ある瞳を持っていた。決して、怖い物では無い。ただ、人間にはあまり持って生まれる可能性が少ない珍しい物だった。
それは、幽霊の姿や、人間に化けて過ごしている妖怪本来の姿が見えてしまう瞳だった。
しかし、まだ幼かった出雲には、自分にそんな瞳があることを理解出来てはいなかった。
「ねぇ、おじさん。どうして角が生えているの?」
「え? お前、霊感あんのか?」
「何それ?」
とある日の夕方。小学生の出雲が出会ったのは、堤防に腰かけて美味しそうなおにぎりを頬張っている鬼の妖怪だった。
「坊主。名前は?」
「神林出雲」
「立派な名前だなぁ」
「おじさんは?」
「俺か? 俺は亮だ」
興味津々に隣へと腰かけてきた出雲の頭を優しく撫でながら、亮と名乗った鬼は優しい笑みを出雲に向けていた。
「人間じゃないの?」
「今は人間だよ。出雲にはそう見えないかもしれないけどな?」
「どうしてここに居るの?」
「暇つぶしってやつだ。出雲こそ、ここで何しているんだ?」
「散歩」
「そうか。じゃあまた会えるかもな?」
出雲は、差し出されたおにぎりを受け取ると、大きく頷いた。
ただ数分の会話で二人は仲を深めたのだ。
そして二人は、じっと日が沈んでいくのをおにぎりを食べながら、黙って見つめ続けた。
その日から二人は、この場所でおにぎりを食べる仲となった。会う時間は特に決まってはいない。
朝早くの時もあれば、お昼の時でも。晴れていればいつでも出会えた。
「亮おじさん」
「なんだ?」
「このおにぎり美味しいね」
「だろ? 愛情たっぷりのおにぎりだ」
「愛情?」
「それはな? 俺の奥さんが作ったんだよ」
「鬼?」
「違う。彼女は人間だ」
幸せそうに、亮は薬指に輝く指輪を出雲に見せつけてきた。
「安物だけど、これで良いって言ってくれた優しい家庭的な子なんだよ。まぁ、まだ子供の出雲には分からねぇと思うけどな?」
さっぱり分からない話を聞き終えた出雲は、おにぎりを頬張りながら、また違った質問を投げかけた。
「ねぇ、角が生えた人ってこの街にいっぱい居るの?」
「そりゃあ……まぁ、居るだろうな」
「昨日お父さんと話していた人も角が生えていたから。いっぱい居るんだなって思ったの」
「それは……一体どんな人だったんだ?」
「角だけじゃなくてね、蜘蛛みたいに足が沢山生えている様にも見えた」
出雲の説明に、亮は分かりやすく表情を曇らせた。
「その人は、今どこに居るんだ?」
「僕の家に居るけど?」
「……案内してくれるか?」
出雲は立ち上がった亮を不思議そうに見上げた。
どこか焦っているようにも、不安で仕方ないとも読める表情に、幼い出雲でもいつもとは違う亮の異変に気付いていた。
出雲は、言われた通りに急いで亮を連れて家へと向かった。出雲の家は、海から少し離れた場所にある小さな古い平屋。
引き戸を開けて家へと入ろうとした出雲を、亮は後ろから抱き上げると、家から距離を取った。
「亮おじさん? 入らないの?」
「ごめんな。出雲」
「……おじさん?」
亮はそれからしばらくの間、出雲を抱きしめたまま謝り続けた。理由も何も話してくれない亮の腕の中で、出雲はただじっとしていた。
眩しい太陽が照り付ける中で、出雲は何も理解出来ないまま。
いつもよりも静かに感じる家の前で。
それから数日後、出雲は亮の家に居た。
家族全員が亡くなったと聞いた出雲だったが、詳しくは誰も教えてはくれなかった。あの家で一体何が起こったのか。そんな疑問だけが、成長していく出雲の中にずっと残り続けていた。
亮の養子となった出雲は、妖怪と人間の夫婦に育てられ、海から更に離れた山の近くにある街の古民家で、立派に成長していった。
毎日笑顔で、頭が良く、思いやりのある優しい子へと。
しかし、ただ一つだけ。
彼には足りないものがあった。
「亮さん。僕は大学に行くよ」
「そうか! 好きなように学んで来い!」
「僕は妖怪と友達になりたいんだ」
「友達?」
「この街を変えるために必要な事なんだよ」
出雲は誰にも優しく、物静かな子であったが、友達と呼べる者は一人として居なかったのだ。
「僕を支えてくれる存在探しをしたいんだ」
「出雲。友達はな? お互いを思いやって、協力し合う仲の事を言うんだ」
「僕は呪われている。そんなことをしたら、皆死んじゃう」
「出雲は呪われてなんかない! 出雲‼」
家族を失った原因が自分にある事を、成長していった出雲はどことなく感じていた。そして、亮に迷惑をかけてしまっていることを、その全ての責任を神林出雲は背負い続けていた。
誰にも決して本心は語らず、上辺だけを語り合う。
人間と親しくすることを辞め、強くて、自分とどこか似ているような妖怪を選んで仲間にしていった。
誰かを怨み傷ついて、自分を責めてしまい傷ついている妖怪となら仲良くできる。そう思った出雲は、歪な友情を築いていったのだ。
今も尚たった一人で、自分は呪われているのだと責め続けながら。
「これは、玉子さんから聞いた話だ。昔から全く変わらない神林を心配してな」
「玉子さん……」
「神林の養母だ」
「え……? てことは、妖怪の亮さんは玉子さんの旦那さん……?」
「そうだ」
百目鬼の話で分かったこともあるが、更に増えた疑問も多々あった。
「その話の中には無かった気がするのですが、神林さんが魔物に狙われている理由はどこに?」
「神林の両親と姉を殺害したのは、魔物だ」
「となると、昔から魔物に怨まれていた。ということになりますが?」
「そこが、今でも分かっていないらしい。どうして、神林の家族が魔物に殺されなくちゃいけなかったのか。今も尚、執拗に追いかけ続ける理由がな」
神林が、人間と妖怪がちゃんと共存出来る平和な街へと変えようとした理由は、亮と玉子夫婦を間近で見ていたから。
恋愛に興味が無いのも、人間である晃明の前で不自然な笑顔を浮かべ、一線を引かれたような距離を感じていたのは、今でも自分を責め続けているから。
やはり、残った疑問は二つ。
何故、神林の家族が狙われ、今も狙われ続けているのか。
何故……人間と深く関わることを避けていたのに、自分を雇ったのか。
「父親でもある亮という妖怪が、何かを知っている可能性があるんじゃないのか?」
「玉子さん曰く、神林が大学に行き始めてすぐに、山に行ったきり帰って来ていないらしい」
「行方不明って事ですか?」
「そもそも、何故山へ?」
神林さんの話に、皆、浮かんだ疑問をどうにか解決しようと意見を交わし合っていた。
きっと、神林の家族を殺したのが、魔物グループのリーダーであると、晃明はどことなくそう感じていた。
神林の過去についての真相を突き止める事が出来れば、魔物達による被害を止めることが出来るはず。
「亮さんには兄が居たらしく、そいつに神林を会わせようとして、呼びに行ったらしい」
「じゃあ、そのお兄さんは今どこに?」
「それも、行方知らずなんだよなぁ」
「おかしいですよ。二人共居なくなるなんて」
晃明は、あの山が神林の過去に関係している事を確信した。
すぐにリュックを背負って山へ行こうとした晃明に、春馬が何かを思い出したのか、突然大きな声を漏らした。
「あ!」
「なんだよ、急に」
「鬼の妖怪、山、兄弟、行方不明。これが繋がるある事を思い出しました」
「何ですか?」
「あの山の中で、鬼の妖怪を執拗に探し、全ての鬼を封じ込めていた人物が居たことを」
春馬は、自分の中で何かが解決したのか、デスクに両手をつくと怪しげな笑みを溢した。
「やっぱりあいつだ。全部あいつが起こした事だったんだ……」
「春馬さん。その人は一体誰なんですか⁈」
すぐさま駆け寄ってきた晃明に、春馬は笑みを浮かべたまま力強く肩を掴んだ。
「雲外鏡に決まっているだろ」
「そんな……雲外さんはそんな事をする人じゃありません!」
「何故、お前ごときがそう言い切れる?」
いつも丁寧な口調で優しい春馬さんの変わりように、晃明は思わず口を噤んだ。
人を蔑み、嘲笑うかのように微笑む春馬に、皆も表情を硬くしていた。
「まぁいい……本人に聞けば分かることだ。そこに居るんだろ⁈ 雲外様よ!」
「雲外さんが……?」
振り向いた晃明の視界に入ったのは、異様な程に綺麗なスーツに身を包み、目だけを覆うように真っ黒な仮面で隠していた雲外だった。
「なんだよ、その姿……魔物みたいな恰好をしやがって」
「面白い情報が手に入ったので、晃明殿にお伝えしようと戻ったのですが、とても面倒なことになっているみたいですね?」
「雲外さん……今まで何していたんですか⁈」
「質問は、一つだけお答えしますよ。晃明殿」
無表情のまま近づいてきた雲外は、仮面を外すと晃明の前で立ち止まった。
「一つだけって、お前なぁ!」
「百目鬼。少し落ち着け」
今にも掴みかかりそうな程に怒りを露わにしていた百目鬼を押さえると、河井は二人の距離を遠ざけた。
雲外の格好も、今までの行動も全てが気になるが、今優先すべきことは神林の事だと決めた晃明は、雲外を見上げると、聞かなければならないことを問いかけた。
「山の中で何があったんですか? 亮さんとお兄さんを本当に雲外さんが――」
「えぇ。小生が丁寧に眠らせておきましたよ? ただ、亮と呼ばれている鬼だけ、ですが」
「亮さんだけ?」
「もう一人も眠らせるはずだったのですが、邪魔が入りましてね……」
「じゃあ、お兄さんはどこに居るんですか⁈」
「一つと言っているのですが……まぁいいでしょう。彼なら、亡くなりましたよ? 神林出雲を狙う魔物によって」
雲外は不敵にゆっくりと口角を上げると、晃明の頭に手を置いた。
「以上で?」
「亮さんを解放してください」
「こちらの仕入れた情報は、要らないと言うのですか?」
頭に乗せられた手を掴むと、晃明は雲外を力強く睨みつけた。
決して怒っているわけではない。ただ、雲外がどちらの味方なのかがはっきりとしていない中で、雲外が裏切り者である可能性が高いことが嫌だった。
「俺は……雲外さんを信じています。もし、この要求が呑めないのであれば、二人の居場所だけでも教えてください。俺が救い出します」
「流石、晃明殿。清々しいほどに無駄な正義感をお持ちですね」
「さっきからムカつくな……」
百目鬼の怒りがそろそろ爆発しそうになりかけている中で、春馬だけは雲外をただ睨み続けていた。
「雲外さん‼」
「では、晃明殿。貴方のその正義の力を試してみましょうか」
「試すって……?」
「試したところで潔く解放してくれるとは、思わないが?」
晃明を押しのけ、春馬は雲外の襟元を片手で掴みかかった。
しかし、どれだけ百目鬼に怒鳴られても、春馬に胸ぐらを掴まれたとしても、雲外は顔色一つ変えずに、ただ晃明へと視線を向け続けていた。
「どうなさいますか? 小生は決して嘘をつきませんが」
「二人の居場所を教えてくれるんですね?」
「こちらに行けば、二人に出会えるはずです。そこの場所にある祠の中に入ってみてください。正義のヒーローである晃明殿なら、きっと救えますよ」
雲外は春馬の腕を簡単に振り払うと、晃明に小さなメモを手渡した。それを開けば、どこかの家の住所が書かれていた。
しかし、受け取った晃明が顔を上げた時には既に、雲外の姿は消え去っていた。
「罠だ。絶対に行くんじゃない」
「春馬さん。雲外さんと何があったんですか? 掴みかかるなんて、春馬さんらしくありませんよ」
「そんなことはどうでもいい。行きたきゃ勝手に行ってこい。俺は、神林を探してくる」
「春馬さん……!」
重たく、苦しい空気に包まれてしまった事務所内。
あれだけ明るく、毎日の様に喧嘩する声が聞こえてくるはずなのに、今は誰一人として話そうともしない雰囲気になってしまった。
「おい、河童。怜也のこと頼んだぞ」
「僕に命令するな。それに、この事務所は元から安全だ」
「分かったよ、いちいちめんどくせぇな。晃明、メモ寄越せ」
「え?」
「行くんだろ? 案内してやる」
「でも……」
「俺だって、あいつが本気で俺らを裏切ったとは思ってねぇよ」
頭を激しく掻きむしり、重たい空気を吹き飛ばしたのは百目鬼だった。
相変わらずの仲の悪さを見せつけると、晃明から奪ったメモを手に取り、事務所から出て行った。




