第八話
「あーなんも進展がねぇ」
あれから一か月以上が経ったのだが、怜也は未だ帰って来ては居らず、更に、雲外までも忽然と姿を消していたのだ。
季節は夏本番を迎えようとしており、桜はピンク色から緑色へと姿を変えていた。
「仮面を付けたスーツ姿の妖怪。山にも探しには行きましたが、こんな男は見かけませんでした」
「こいつさえ捕まえられれば、グループの元凶も捕まえられるんだけどなぁ……」
聞き込み三昧で疲れ切った体をソファの上で休ませている百目鬼の隣で、晃明は頭をフル回転させていた。
「おーい河童。キュウリ一本くれよ」
「黙れ、底辺」
「酷すぎねぇか?」
事務所内に響き渡るキュウリの爽やかな咀嚼音が、夏らしさを更に強めていた。
「晃明君と雲外君が掴んだ有力な情報のお陰で、色々と絞れた所もあるが、そう簡単にボスには出会えないね」
「俺、もう一回聞き込みに行ってきます。まだ何か、聞きそびれたことがあるかもしれません」
「晃明君。少しいいかな?」
「はい……?」
立ち上がった晃明を優しく引き留めた神林は、律儀にスーツの上着を羽織って事務所のドアを開けると、晃明に向かって手招きをして来た。
「皆も少しは休憩を取ってね? 倒れたら困るからさ」
もう既に、いびきをかいて寝始めていた百目鬼を起こさないよう晃明は、半袖短パンのラフな格好のままで、神林と共に事務所を後にした。
事務所から出ると、力強く突き刺さるような日差しが晃明の肌を照らしていた。
隣で日差しを浴びる長袖長ズボンの神林に、晃明はつい顔を歪めてしまう。
「暑くないんですか?」
「暑いよ?」
「じゃあ上着ぐらい脱いだら――」
「いいんだよ。これが私の正装だから」
温かな笑みを浮かべ、ゆっくりと歩き出した神林の背中を、晃明は少しだけ見つめてみた。
大きくて、頼りがいがあって、温かな雰囲気が溢れ出す背中。
だけど、何か感じる。
寂しい、悲しい……いや、何を思っているのかは分からない。だからこそ、気になってしまう。
神林さんを見る度に不思議な気持ちになってしまうのは、何故なのだろうか。
「晃明君は怜也君に助けられたから、妖怪の味方になろうって思ったのかい?」
「きっかけになったのは確かにそれですけど、昔から妖怪に興味があるというか、なんか、惹かれてしまうんですよね」
「分かるなぁ。私もさ、妖怪を嫌って憎む人間の気持ちが、良く分からないんだよね。妖怪達は、何よりも綺麗な存在なのにさ」
そう言って振り向いた神林の表情は、今までに一度も見たことがない笑顔を浮かべていた。
それは、瞳も雰囲気も全てが笑っている様に見えるのに、何故か、口角だけが全く上がっていなかったのだ。
それを笑顔と呼んでいいのか。
晃明の中で、神林に対しての謎が更に深まってしまった。
「さぁ、晃明君も気に入ったえんらで食事にしようか?」
この一か月、ろくな食事を取らず、百目鬼のカップラーメンしか食べてこなかった晃明にとって、えんらの店内に充満していた温かな料理の匂いは、空腹なお腹を鳴らした。
「あら、空腹な晃明君いらっしゃい」
「お恥ずかしいです……」
「晃明様! 最近お見掛けしなかったので、とても寂しかったです……」
「雪音さん。また肉じゃがを貰ってもいいですか?」
晃明と神林はカウンターに座ると、出されたお茶を口に運んだ。
「あの、ずっと気になっていたんですけど」
「なんだい?」
「神林さんは、どうして妖怪と人間の共存を目指そうとし始めたんですか? それに、神林さんは仮面を付けたスーツ姿の妖怪を知っているんですよね?」
晃明から質問を受けた神林から、柔らかかった表情が一瞬にして消え去ってしまった。
「見たことがあるだけだよ。名前も、どこに居るのかも、私には分からない」
「どこで出会ったんですか? 魔物と出会うなんて、神林さんに何があったんですか?」
「晃明君。それはまた今度にしようか? この食事には似合わない」
神林は、いつも通りの穏やかな表情へと戻すと、出された卵焼きを口へと運んだ。
「そんなに出雲君のことを知りたいの?」
「え、あ、はい‼」
「玉子さん、余計な事は言わないでくださいよ?」
口角を緩ませながら、カウンターの向こう側から問いかけてきた玉子に対して、晃明は頭を力強く縦に振った。
「出雲君はね、私の息子みたいな存在なのよ」
「息子?」
「家事が出来ないのは、誰に似たのかしらね?」
「さぁ?」
息子のような存在だと言われても、何のことかは分からない。
神林の本当の家族の有無も、過去さえも何も分かっていない。それについては、玉子さんも深く話そうとはしない。
それでも、神林の過去に何かあった事は晃明にも分かった。だからといって、それを無理に聞くことは出来なかった。
冷たい料理と、新メニューであるアジの南蛮漬けを食べながら、晃明はゆっくりと店内を見渡した。
何人かのお客さんが居る店内で、彼女の姿だけが無かった。
「あれ、燈さんは? ここの従業員ではないんですか?」
「燈は、夜にしか来ないのよ」
「何か、他に仕事を?」
「山に行っているのよ。ここから見えるあの綺麗な山にね?」
「燈の話をしなかったのかい?」
「丁度燈が来ていたのよ」
「燈さんも、何かの妖怪なんですか?」
晃明は箸を置いて、神林の方へと向き直った。
まだ、自分には知らないことが多すぎる。神林のことを知れる手がかりが、どこかにあるかもしれない。
晃明は、魔物に関しての何かしらの情報を持つ神林の事を、きちんと知ることが出来なければ、きっと、何も分からないままで終わってしまうと感じていたのだった。
「燈はね、私達とは違うのよ」
「違う?」
「人間でも妖怪でもない。晃明君もきっと、初めて出会う存在だと思うわ」
玉子も、雪音も料理を作る手を止めると、小さなため息を吐いた。
「彼女は、浮遊霊と言われている存在なの」
「浮遊霊……?」
「自分の死を受け入れられない、又は死んだことを理解できずにいる人間の魂のことだよ。燈は、僕がここに来る前からずっと彷徨い続けているんだ」
「どうして……ですか?」
晃明の問いに三人は顔を見合わせると、小さく頷き合った。
だが、次に口を開いたのは彼らではなかった。
「燈は殺されたんだよ。人間にな」
「百目鬼さん⁉」
「どうちゃん……そんな言い方しなくても……」
「じゃあ、なんて説明すんだ? 妖怪と間違えられたあいつは、人とは判別出来ないほどまでに拷問させられた挙句に、まだ微かに息がある中で生き埋めにされた。こんな感じで詳しく言った方が良かったのか?」
晃明の隣に座った百目鬼は、淡々と残酷な燈の過去を赤裸々に説明した。
「彼女の……未練は?」
「恋人を探すこと」
「恋人?」
百目鬼の発言に、晃明以外の三人も首を捻らせた。
親密な関係の百目鬼にだからこそ、燈は話した事なのかもしれない。雪音から渡された一升瓶を片手に、百目鬼は更に説明を続けた。
「人間と妖怪の恋。それが、あの山の中で起こっていた。だがその妖怪は、はるか昔に封印されていた質の悪い妖怪だった。その封印を解いてしまった燈とその妖怪が、恋仲に発展した。だけど、それが人間にバレてしまい、燈は恋人を庇って死んだんだ」
「その恋人の妖怪は……?」
「奴の行方が分からないままだから、燈は浮遊霊になった」
「恋人を見つけ出せれば、燈さんを未練から解放できる……」
話を聞いた晃明は、何かあるはずの山へと行こうと決心した。
お茶を飲み干したところで、晃明の前に居た雪音が重く閉じていた口を、ゆっくりと開いた。
「あんた、燈に恋人が居ることを知っていて付き合っていたの⁈ 弱っていた燈に漬け込んで、付き合ったんでしょ? 燈は、あんたみたいな妖怪と付き合うような人間じゃない!」
「雪音。どうちゃんは、誰よりも燈に寄り添って来たのよ」
「俺らは一緒なんだよ。未練が」
声を荒げた雪音へと百目鬼は視線を上げた。頬に咲いた、真っ赤な瞳で。
「俺には、妻が、息子と娘が……どうやって生きて、どうやって死んでいったのか。一生分からない。そして、二度と会えない。でも、燈は知ることが出来る。その恋人は、まだ生きているんだからな」
「百目鬼さん……」
「俺も燈も、何十年も経ったある日に、次の恋へと落ちた。お互い、忘れられない相手が居る。それでも、付き合って欲しいって燈から言ってきたんだ。文句があるなら、燈に言え。冷凍女」
百目鬼は一升瓶のお酒を一気飲みすると、晃明の肩を力強く掴んだ。
「ていうか、俺はそもそもこんな辛気臭い話をしに来たんじゃねぇ。晃明――」
百目鬼は、晃明の肩を掴む手の甲に新たな瞳を咲かせた。
「怜也が帰って来たぞ」
百目鬼からの知らせを受けて、すぐに事務所へと戻った。
勢いよくドアを開け放ち、怜也が居るであろうソファへと急いで駆け寄った。
「怜也……⁉」
「晃明……」
ソファに横たわっていた怜也の姿は、途轍もなく変わり果てていた。
何年もずっと一緒に居たはずなのに、今、目の前に居るのは怜也ではないように思えてくる。
顔面右半分は骨に変わり、左手も全てが白骨化していた。
晃明は、そんな冷たい左手を強く握りしめた。
「何があったんだよ……なんで魔物なんかに着いて行ったりしたんだよ‼」
「この前、晃明に触れた時に……晃明に近づいてくる魔物の様な存在が見えたんだ。だから……どうにかしても止めたくて」
「だからって、一人で危険な場所に行くな! どれだけ俺が心配したと思ってるんだよ!」
「ごめん。でも、約束したから。晃明は俺が守るって」
怜也は、晃明から後ろに居た神林へと視線を移した。
「あんたが、神林?」
「初めまして」
「魔物がお前の事を知っていた。殺しそびれたと」
怜也の言葉に神林の顔が引き攣った。
動揺し始める神林に関係なく、怜也は話を続けていく。
「あんた、人間じゃないんだろ?」
「え? いやいや、どう見たって人間だろ」
百目鬼が否定するが、当の本人は口を噤んだままその場から離れていった。
「私は人間だよ。彼とは昔に一度会ったことがあるだけ。それだけだよ……」
「じゃあ、なんで魔物はあんたのことを必死になって殺そうとしてるんだよ」
「それは……」
晃明は、神林の身体が小刻みに震え始めていたことに気づいた。
「神林さん。言いたくないことは、無理に言わなくていいです」
「ごめんね。少しだけ……時間をくれるかい?」
震える身体を押さえるように腕を擦りながら、神林は事務所の外へと出て行った。
「あんな神林さん、初めて見ました……」
「はぁ……仕方ねぇ、代わりに俺が話す。神林の過去を」
「でも……」
「いつかは話さないといけないことだ」
ソファの背もたれに腰かけると、百目鬼は更に大きなため息をついた。
これから話される神林の過去について、一番知りたかったことがこんなにも早く聞けるとは思っていなかった晃明は、いつもよりもしっかりと耳を傾けた。
怜也に向けられていた扇風機の音も、自分の呼吸音も聞こえなくなるほどに。




